信じられないかもしれませんが、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンが、あらゆるスポーツの中で最も尊敬されていた時代がありました。
あらゆるスポーツの中で、最も早くから職業として認知されていたのがボクシングですから、それはある意味、不思議なことではありません。
米国で見ると、20世紀初めまで、人々が熱狂したスポーツは競馬とボクシング。そのファンは、ほぼ100%がブルーカラーの男たちです
まあ、競馬とボクシングをスポーツと括るのか、それともギャンブルと括るのかは、あなた次第ですが。


野球が国民的人気を博すのはベーブ・ルースが登場する1920年代のことで、フィールドの王様パンビーノの年収は、大統領の7万ドルを上回る8万ドル、為替換算すると現在の2億8000万円に相当するといわれています。
しかし、同時代のヘビー級王者ジャック・デンプシーは1試合で30万ドル前後のファイトマネーを得ていただけでなく、現在のクローズド・サーキットやPPVにつながる、試合を撮影したフィルムを上映する映画館の収入の20〜30%も歩合で加算されていました。

現代でも、単純な報酬だけでなら、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、カネロ・アルバレスも他のスポーツ選手に負けていませんが、デンプシーと比べると一般的な認知度、社会的なステイタスは天地の差です。
今から100年前、ボクシングの世界ヘビー王者のステイタスは、とにかく別格だったのです。
もちろん、1920年代なんて女子供がスポーツを楽しむ時代ではありません。「アスリート」という言葉はもちろん「スポーツ」でさえも一般的ではありませんでした。
とはいえ、時代の劇的な変遷だけがボクシングを凋落させたわけではありません。
ランキングの捏造や、認定団体と階級が癌細胞のように増殖したことが、このスポーツのタイトルの価値と、社会的地位は貶め続けてきたのです。
熱心なファンですら「世界王者がいま何人いるのかなんてわからないし、知ろうとも思わない」なんて、正気の沙汰ではありません。
それでも、ボクシングがまだオリジナル8の構造を維持していたなら、世界王者には今でもそれなりの価値が認められていたでしょう。

ボクシングファンの1人として、未練がましいことを言うと、タイソン・フューリーとフランシス・ガヌーがボクシングルールで行われたように、この種の茶番劇ではボクサーがリスペクトされるケースが珍しくありません。
もちろん、ロベルト・デュランやトレバー・バービック、ジェームス・トニー、リディック・ボウら、ボクサーが〝野〟に下ったケースも数多くありますが、そのほとんどは世界的な注目を集めたイベントではなく、〝あっち側〟がAサイドの地味な茶番劇でした。

ほんの一部のスーパースターに限定すると、今なおボクシングは格闘技の王様だと、なんとかかんとか言いくるめることが出来るのではないでしょうか?
また、今回の一戦の以前に、イベンダー・ホリフィールドがすでに元UFCライトヘビー級王者にボクシングルールで惨敗を喫していることを思い出せば〝ガヌーの花火〟は、ボクシングの世界に撃ち込まれた二発目のクサビであり、今更大騒ぎすることではありません。
そもそも二つのナックルパートだけで戦う非常にプリミティブなボクシングは、異業種にとって参入のハードルが低い格闘技です。
これが、ボクシングから他の格闘技へ進出するという逆の流れなら、ハードルが高くなるのは当然です。
ただ、どんな言い訳を講じようとも、井上尚弥やテレンス・クロフォードが外敵に大苦戦したのとは全く話が違います。
ヘビー級、無差別級が特殊なクラスであることを踏まえても「PFPなんて意味ありますか?誰が一番強いのか?そんなのフューリーに決まってるじゃないですか」(村田諒太)という、現役最強ボクサーが、門外漢と議論を呼ぶスプリット・デジションの試合をやっちまったのです。

立ち位置が違うとはいえ、格闘技最強を標榜していたプロレスが総合格闘技に駆逐されたケースと、今回では全くワケが違います。
プロレスは、そもそも色モノと見られていました。
迂闊にも真剣勝負の舞台にノコノコ出てしまった高田延彦、ガチ童貞と馬鹿にされても絶対にその舞台に上がらなかった前田日明…彼らは別にしても、桜庭和志はもちろん、アレキサンダー大塚や安田忠夫の勝利は、たとえウタカタであったとしてもプロレスファンに十分な幻想を見せてくれました。
そして、そのウタカタが完全に弾け飛んでしまったとき、プロレスはショーであることを〝カミングアウト〟するのです。潔く、真っ当で、正しい選択です。
そして、プロレスはパンドラの箱を閉めて〝本業〟に集中、女性や外国人など新たな需要を刺激していくのです。
八百長と蔑まれたプロレスが真剣勝負の舞台に飛び込む、そこには間違いなくロマンがありました。
しかし、ボクシングがど素人を自分たちのリングに引っ張り上げる行為に、ロマンはカケラもありません。
ロマンがあるとしたら、引っ張り上げられた方です。
「絶対負けられない戦い」など、最高峰の技術を競い合う舞台ではあり得ません。
ただ、そうではない、つまり最高峰の技術を競い合う舞台ではない場合は「絶対に負けられない戦い」、苦戦すら許されない戦いは、存在します。
フューリーのガヌーは、魔裟斗のKID、那須川天心の堀口恭二とは全くワケが違ったのですが…。
あらゆるスポーツの中で、最も早くから職業として認知されていたのがボクシングですから、それはある意味、不思議なことではありません。
米国で見ると、20世紀初めまで、人々が熱狂したスポーツは競馬とボクシング。そのファンは、ほぼ100%がブルーカラーの男たちです
まあ、競馬とボクシングをスポーツと括るのか、それともギャンブルと括るのかは、あなた次第ですが。


野球が国民的人気を博すのはベーブ・ルースが登場する1920年代のことで、フィールドの王様パンビーノの年収は、大統領の7万ドルを上回る8万ドル、為替換算すると現在の2億8000万円に相当するといわれています。
しかし、同時代のヘビー級王者ジャック・デンプシーは1試合で30万ドル前後のファイトマネーを得ていただけでなく、現在のクローズド・サーキットやPPVにつながる、試合を撮影したフィルムを上映する映画館の収入の20〜30%も歩合で加算されていました。

現代でも、単純な報酬だけでなら、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、カネロ・アルバレスも他のスポーツ選手に負けていませんが、デンプシーと比べると一般的な認知度、社会的なステイタスは天地の差です。
今から100年前、ボクシングの世界ヘビー王者のステイタスは、とにかく別格だったのです。
もちろん、1920年代なんて女子供がスポーツを楽しむ時代ではありません。「アスリート」という言葉はもちろん「スポーツ」でさえも一般的ではありませんでした。
とはいえ、時代の劇的な変遷だけがボクシングを凋落させたわけではありません。
ランキングの捏造や、認定団体と階級が癌細胞のように増殖したことが、このスポーツのタイトルの価値と、社会的地位は貶め続けてきたのです。
熱心なファンですら「世界王者がいま何人いるのかなんてわからないし、知ろうとも思わない」なんて、正気の沙汰ではありません。
それでも、ボクシングがまだオリジナル8の構造を維持していたなら、世界王者には今でもそれなりの価値が認められていたでしょう。

ボクシングファンの1人として、未練がましいことを言うと、タイソン・フューリーとフランシス・ガヌーがボクシングルールで行われたように、この種の茶番劇ではボクサーがリスペクトされるケースが珍しくありません。
もちろん、ロベルト・デュランやトレバー・バービック、ジェームス・トニー、リディック・ボウら、ボクサーが〝野〟に下ったケースも数多くありますが、そのほとんどは世界的な注目を集めたイベントではなく、〝あっち側〟がAサイドの地味な茶番劇でした。

ほんの一部のスーパースターに限定すると、今なおボクシングは格闘技の王様だと、なんとかかんとか言いくるめることが出来るのではないでしょうか?
また、今回の一戦の以前に、イベンダー・ホリフィールドがすでに元UFCライトヘビー級王者にボクシングルールで惨敗を喫していることを思い出せば〝ガヌーの花火〟は、ボクシングの世界に撃ち込まれた二発目のクサビであり、今更大騒ぎすることではありません。
そもそも二つのナックルパートだけで戦う非常にプリミティブなボクシングは、異業種にとって参入のハードルが低い格闘技です。
これが、ボクシングから他の格闘技へ進出するという逆の流れなら、ハードルが高くなるのは当然です。
ただ、どんな言い訳を講じようとも、井上尚弥やテレンス・クロフォードが外敵に大苦戦したのとは全く話が違います。
ヘビー級、無差別級が特殊なクラスであることを踏まえても「PFPなんて意味ありますか?誰が一番強いのか?そんなのフューリーに決まってるじゃないですか」(村田諒太)という、現役最強ボクサーが、門外漢と議論を呼ぶスプリット・デジションの試合をやっちまったのです。

立ち位置が違うとはいえ、格闘技最強を標榜していたプロレスが総合格闘技に駆逐されたケースと、今回では全くワケが違います。
プロレスは、そもそも色モノと見られていました。
迂闊にも真剣勝負の舞台にノコノコ出てしまった高田延彦、ガチ童貞と馬鹿にされても絶対にその舞台に上がらなかった前田日明…彼らは別にしても、桜庭和志はもちろん、アレキサンダー大塚や安田忠夫の勝利は、たとえウタカタであったとしてもプロレスファンに十分な幻想を見せてくれました。
そして、そのウタカタが完全に弾け飛んでしまったとき、プロレスはショーであることを〝カミングアウト〟するのです。潔く、真っ当で、正しい選択です。
そして、プロレスはパンドラの箱を閉めて〝本業〟に集中、女性や外国人など新たな需要を刺激していくのです。
八百長と蔑まれたプロレスが真剣勝負の舞台に飛び込む、そこには間違いなくロマンがありました。
しかし、ボクシングがど素人を自分たちのリングに引っ張り上げる行為に、ロマンはカケラもありません。
ロマンがあるとしたら、引っ張り上げられた方です。
「絶対負けられない戦い」など、最高峰の技術を競い合う舞台ではあり得ません。
ただ、そうではない、つまり最高峰の技術を競い合う舞台ではない場合は「絶対に負けられない戦い」、苦戦すら許されない戦いは、存在します。
フューリーのガヌーは、魔裟斗のKID、那須川天心の堀口恭二とは全くワケが違ったのですが…。
コメント
コメント一覧 (3)
まぁもたないだろうな
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました