「面白い将棋をお見せしたい」。

全てのタイトルを独占して「今後の目標」を聞かれたとき、そう答えたのは21歳3ヶ月の藤井聡太が初めてではない。

今から66年前、1957年7月11日に史上初のタイトル独占を成し遂げた39歳9ヶ月の棋士も同じことを口にした。

「面白い将棋をお見せしたい」。

史上初の完全統一王者がそう語った1957年7月から、さらに丁度10年時計の針を逆回しにした1947年7月。その棋士は29歳でまだ何のタイトルも持っていなかったが、人気は頭抜けていた。

厚顔不遜な言動に日本中が面白がっていただけではない。定石に囚われない新手を次々と発明する、爽快な破壊者だったからだ。

敗戦からまだ2年、国破れて絶望に沈んだ国民にとって、その棋風は「もしかしたら明日があるかもしれない」と信じることができる、希望の風だったのだ。

IMG_5684
FullSizeRender
ここにGHQ本部が置かれていました。


唯我独尊の青年棋士に興味を持ったのは、日本人だけではなかった。

その夏、GHQが、青年棋士を指名して呼び出した。

征服者にとって、壊滅的な敗北を喫した国に、威風堂々の棋士が存在することが不思議でならなかったのだ。いや…正確にいうと気に入らなかったのだ。

「何が将棋だ、くだらない」。

日本の希望の芽を最後の一つまで踏み潰したいという、そんな嗜虐の動機もあったかもしれない。

若い棋士を山のように取り囲み、GHQの高官たちは底意地悪く微笑みながら「将棋は取った駒を自分の持ち駒として使うそうじゃないか?捕虜虐待だ。チェスは国際法に則って、取った駒を虐待することなんてしない。そんなんだから、日本は戦争に負けるんだ」と詰め寄ってきた。

大柄なアメリカ人が大笑いするのを前に、小さな日本人はフケだらけの頭をかきながら「チェスが取った駒を使わないのは捕虜虐殺、虐待よりタチが悪い。そもそも、将棋は虐殺でも虐待でもない、取った駒を生かす。その能力を発揮させるのだ。さらにこっちとあっちを行き来することもある。自由とはそういうことだ。さて、どちらが民主主義的だと思いますかな?」と澱みなく答えてみせた。

ずらりと居並んだGHQの高官たちが言葉に詰まるのを愉快そうに眺めながら、29歳の天才棋士は言葉を繋いだ。

「そういえば、チェスはキングが危険に晒されるとクイーンを盾にして逃げるというじゃありませんか。ご自慢のレディーファーストはどこに行ったんですかなぁ?」。

ついに高笑いし出した日本人の若者に、GHQの幹部たちは怒りを覚える前に、感動していた。

そこにいた全員が、この憎めない、しかし不撓不屈の反骨精神を秘めた棋士の話をもっと聞きたいと、ビールと食事まで出してきた。

日本人の若い棋士は「こんな暑い日はビールに限りますな」と、何本もラッパ飲みしてみせたが、その言葉は酔いに乱れるどころか、さらに舌鋒鋭くなった。

「酒と食事もいいが、タバコも吸いたいな」と、厚かましくも注文した。

将校の1人が、大量のタバコと…高官の命令でチェスと将棋の盤と駒を持ってきた。

この第一生命ビルでの〝独演会〟で、青年棋士が「吹ぅけぇばぁ、飛ぶような、将棋の駒にぃ〜」と歌ったという伝説は事実ではない。

村田英雄の「王将」がリリースされたのは1961年11月。29歳の日本人がGHQ本部で半日も独演した日から、14年4ヶ月も後のことだったのだから。

退屈しのぎに将棋がいかに劣ったボードゲームかを思い知らせてやろうと考えていたGHQの面々は、29歳の言動に惹き込まれ、なんと6時間以上も独演会に聞き入っていた。

「暗くなったから帰る」という青年棋士を引き止めようと、高官たちは「何か欲しいものはないか?」と聞いてきた。

そのとき、のらりくらりと話していた棋士の目が恐ろしいほどの光を放った。

「あなたたちでも将棋のことを少しはわかっただろう」と静かに語ると、10年後に全てのタイトルを手中に収める、未来の完全統一王者は、ゆっくりと6時間以上に及ぶ独演会を締め括った。

全ては彼の読みの中だった。

GHQは彼を呼び出したつもりだったが、実は全ては彼の手の内だったのだ。

「巣鴨プリズンにいる、あんたらが言う戦犯を処刑したらアカンよ。それこそ捕虜虐殺や。みんな使えるものばかり、歩でも金になるんやで」。



王手、だった。