世界の七不思議は解明されてしまった。

しかし、それは20世紀までの拙い科学でも解読できた、人類に対する簡易な一次試験に過ぎない。

何故に、冷やし中華はシーズン制を取るのか?

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世界最高峰の舞台で、藤浪晋太郎が奏でる制球難は、音階と音程を無視したジャズであり、ど素人には耳障りなだけだが、玄人は素晴らしいエンディングへの布石に過ぎないことをよく理解している。

ど素人に分かりやすく言うと、あれは絵でたとえると、ピカソなのだ。あれは、詩でたとえるとランボーなのだ。

というわけで、この偏差値18レベルの馬鹿ブログでも藤浪に触発されて、これからは世の中のアレコレに対して、アカデミックに追求してゆくのだ。

それにしても、いきなり、あまりにも高尚なテーマだ。


何故に、冷やし中華はシーズン制を取るのか?


サッカーや野球、多くのスポーツはシーズン制を取っているが、そこに冷やし中華との共通性は見出せるのか?

米国ではホッケーがベースボールに〝進化(駆逐)〟されてしまったが(あ、友人の娘さんがホッケーの州代表で活躍、なかなか注目されているから駆逐されてないか)、冷やし中華はどうして「つけ麺」というキラーに駆逐されなかったのか?

「つけ麺」は1970年代に東池袋で賄いとして生まれたとされているが、そもそも冷やし中華はいつどこで、何のために生まれたのか?

そば屋、町中華、ラーメン専門店、ガチ中華…今や「冷やし中華」は数えきれない業態でその承認を受けている。

冷やし中華はいつどこで、何のために生まれたのか?…その手がかりは、もしかしたら「冷やしたぬき」や「冷やしきつね」が握っているかもしれない。

しかし、狸・狐はワサビだが、冷やし中華は黄色いカラシ。そこだけに焦点を当てると、ちゃんぽんにもその源流を見出すことが出来るのではないか?


いずれにしても、あまりにも深遠なテーマである。