Friday 6, December 1985  

Las Vegas Hilton, Hilton Center, Las Vegas

WBA /IBF©️Donald Curry vs WBC©️Milton McCrory


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WBA/IBF王者のドナルド・カリーが24歳、ミルトン・マクローリーが23歳。

カリーは幻のモスクワ五輪代表で、400戦して敗れたのは4つだけ(6敗説もあり)。マクローリーも1979年、横浜で開催された世界ジュニア選手権のウエルター級で優勝したエリートアマ。

プロでは〝ローンスター・コブラ〟カリーは24戦全勝18KO、WBC王者〝アイスマン〟マクローリーは27勝22KO無敗1分。ともに無敗のまま世界王者になり、完全統一王座を賭けて激突するのです。

それなのに、このメガファイトに地味な印象が付きまとっていたのは、4年前のUndisputed championship(シュガー・レイ・レナードvsトーマス・ハーンズ)の輝きがあまりにも鮮烈過ぎたこと、4−1でカリーが明白に有利と見られ、勝敗への興味が物足りなかったことが挙げられるでしょう。

さらに、この試合が歴史の中に埋没している最大の原因は、若い2人の才能がこの試合以降、期待された活躍ができないままリングを去ってしまったということです。

今なお毎年、回想されるレナードvsハーンズは歴史的な名勝負になっただけでなく、その後2人がスパースターへと大きく羽ばたいたことからも、ファンの記憶に「あれがスターダムへの始発駅」と永遠に刻み込まれているのです。

それでも、全盛期の入り口に立った若い才能の激突と、いう一点では共通していました。

一方で、The Showdownが文字通りの「決戦」だったのに対して、カリーvsマクローリーの看板はThe Toss−Upと銘打たれました。

トス・アップ、バレーボールのアタックに繋げるトスのことで、勝者にはさらに大きなメガファイトが用意されているということでした。

カリーもマクローリーも複数階級制覇を表明、その先に見据えていたのは当時の米国リングのど真ん中に屹立していた完全統一王者マービン・ハグラーへの挑戦でした。



試合はカリーが立ち上がりから優勢。

最初のダウンは2ラウンドの半ばにカリーが放った左カウンター、WBC王者のアゴにジャストミート。

怪しい足元で立ち上がったマクローリーでしたが、ここでストップしても良いほど深いダメージを負っています。

リチャード・スティールならここで試合を止めていたでしょうが、この夜の主審はミルズ・レーン。

コブラの猛毒に全身を痙攣させるマクローリーを見た私たちは「こいつならハグラーを倒せるかもしれない」と戦慄したのですが…。

フィニッシュは再開直後に放ったカリーの右一閃。

このダウンで10カウントを数えてしまうレーン…。マクローリーは3分近くも立ち上がれませんでした。





もし、あのトス・アップのあとカリーが、オッズと予想通りにロイド・ハニーガンとマイク・マッカラムを倒してハグラーとのメガファイトの舞台に上がっていたなら…?

そんな「もし」が虚しくなるほど、「あのあと」のカリーは精彩を欠いてしまいました。

誰も叩かなかったカリーのジョー。ハニーガンに撃たれ、マッカラムに砕かれ、カリーは毒を抜かれたコブラに落ち果ててゆきました。