来月29日、現代ラスベガスの最高舞台T-Mobileアリーナで行われるウエルター級のUndisputed championship。

米国で最も人気がある147ポンドの完全統一戦は、1988年にWBOが発足して4団体時代になってから初めて。

ともに無敗のウエルター級王者が雌雄を決するとなると、3団体時代のドナルド・カリー対ミルトン・マクローリー(1985年12月6日)に次ぐ史上2度目。

最も鮮烈な記憶を刻んだのは、2団体時代のシュガー・レイ・レナード対トーマス・ハーンズ(1981年9月16日)で衆目一致するでしょう。

しかし、The Showdon はハーンズは無敗(32戦全勝30KO )でしたが、レナードはロベルト・デュランに敗れ、当時の星勘定は30勝21KO1敗。無敗対決ではありませんでした。

米国でウエルター級がヘビー級に並ぶ人気階級になったのは、徐々に注目を集めていったのではなく、たった1試合のことでした。

それが、レナードとデュランの初戦です。

1980年6月20日、モントリオールはオリンピック・スタジアムは4万6000人!の観客でフルハウス。そこは、3年前にレナードがモントリオール五輪ライトウエルター級で金メダルを獲得した縁起の良い場所。

相手はライト級上がりで、全盛期を越えた伝説。何もかもがレナードのために用意された舞台装置でした。

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当時、米国五輪代表ボクサーの試合は1回戦からから地上波生中継されていましたから、米国スポーツファンがレナードのアマからプロへの歩みに対する応援感情は、甲子園のヒーローに抱く愛着に近似していたかもしれません。

それでも、レナードvsデュランまでのウエルター級は「ヘビー級を除けば人気階級」の域を出ませんでした。

1930年代にフェザー級、ライト級、ウエルター級の3階級制覇の離れ業をやってのけたヘンリー・アームストロングの動機が、ヘビー級ジョー・ルイスに偏った人気に一矢報いようということでした。

アームストロングはウェルター級のUndisputed titleを、わずか2年弱で19度も防衛しましたが、人気でヘビー級に近寄ることは出来ませんでした。

また、1976年に、あのホセ〝ピピノ〟クエバスが日本で防衛戦を行なっているように、レナード以前のウェルター級は、軽量級よりは遥かに注目を集めていたとはいえ、ライト級やミドル級と同じヘビー級以外なら人気階級というポジションに甘んじていたのです。

1980年6月20日以前には、ヘビー級を軽く凌ぐ「フロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ」のようなウエルター級の栄華など想像だにできなかったはずです。

たった1試合で、正確にはレナードのたった1試合でウェルター級が米国ボクシングで最高の人気階級に押し上げられたのでした。