高校時代、練習試合ですら1本の本塁打も打てなかった小さな少年がプロで567本の大きなアーチを描きました。

プロ入りして外国人選手の大きさとパワーを目の当たりにしたとき「俺もあんなふうになりたい」と思ったと言います。

はあ?…普通なら「パワーでは敵わないから別のやり方で生き残らなければ」と考えるはずです。

それなのに、彼は小さな体で常識破りに重いバットを振り回すことを選びました。

「ホームランはヒットの延長」と諭す野村克也と王貞治の言葉も無視して、その男は身の丈に余る重いバットを振り回し続けました。

「完璧なヒットが本塁打。だったら完璧を目指すのはプロとして当然」。絶対にブレない人でした。

右アキレス腱断裂の大怪我を負ったときは、新聞に「再起不能」の活字が踊りましたが、この男はどこまでも往生際が悪いのです。

「まともに走れなくなったから、これからは心置きなく本塁打だけを狙って打席に入れる」と、まるで邪念が取れたと言わんばかりのセリフを吐いたのです。

そして、厳しいリハビリを経てグラウンドに戻った男は44本の本塁打をスタンドに叩き込み、キャリア初の本塁打王に輝きました。

不惑を過ぎてからも、40本以上のアーチを描いた、伝説でした。

牛島和彦のフォークを打つために、バッターボックスから投手寄りに何歩か踏み出して、ボールが落ちる前に捉えて打ったホームラン。

そんなことがあるのか?と度肝を抜かれました。

今なら、ビデオ判定で本塁打は取り消し、アウトにされてしまうのでしょうが「落ちるから打てないのなら、落ちる前に打ってやろう」という狂気の発想の持ち主でした。

小さな身体に重く大きな負荷をかけ続けたキャリアでした。ブーマーとのハイタッチで、右肩を脱臼したこともありました。

松井秀喜や村上宗隆が目指す本塁打数を表現した背番号を付けるずっと前に、この男も数字を背負っていました。

松井秀と村上との違いは、その数字が「55」ではなく、この男の場合は「60」だったということです。



身長170㎝のプロ野球選手が外国人選手を凌ぐパワーで本塁打王を獲る…野球少年の私にとって彼は希望そのものでした。

そして、不惑を過ぎてから日本中の注目を集め「目がかすんでボールがよく見えなかった。勘でバットを振っていた」というまで戦い抜いた姿は、今の私のお手本です。