一昨日の「3150FIGFT vol.4」は、随所に挟まれる亀田興毅ファウンダーのたどたどしい挨拶も新鮮でした。

一番盛り上がったのは、ファウンダーがリングサイドにサイバーエージェントの藤田晋社長と並んで座る島田紳助を紹介したときだったでしょう。

というわけで、正月気分の抜けない1月8日、日曜日の朝はボクシングマガジン1989年8月号から。

IMG_0205

表紙は今なお「ボクシング史上最高試合」と謳われる、1981年のシュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズの「THE SHOW DOWN」から、8年越しの再戦。試合内容から判定まで何もかもが「幻滅」のメガファイト、あまりにも遅すぎた再戦でした。 

当時、米国ボクシングは〝消灯〟寸前でしたが、クローズドサーキットからPPVへと一握りのスター選手がより巨額のファイトマネーを手にするシステムが構築されつつありました。

日本でもNHKがBSで「世界のボクシング」の放送開始、特別なメガファイトは地上波のNHK総合へ28年ぶりの復活も噂されるなど、新しい局面を迎えていました。

この頃は、私にとっても想い出がいっぱい。

まずは「ファン登場 I love Boxing」のコーナーに島田紳助が登場。

カラーページでも取り上げられた日本フェザー級タイトルマッチで1位の福田健吾を2ラウンドKOで初防衛に成功した王者・浅川誠二が「勝ったら」という条件付きでのインタビューでした。

紳助は「大場政夫に憧れ」プロを目指した高校時代や、ジムでは「シャドーの鬼と呼ばれていた」と持ち前のシャレっ気も披露。 

そういえば、セコンドから福田を思いっきりヤジっていました。 

IMG_0206

私も後楽園ホールによく通っていたボクシングファンとして優等生だった時代。

世界王者は不在、世界戦の連敗記録を更新中だった暗黒時代ですが、私の観戦歴では黄金時代だったのかもしれません。

レパード玉熊や畑中清詞、平仲明信、ストロー級で再起の大橋秀行らが世界へスタンバイしていました。

彼らだけでなく、私は後楽園ホールのリングで個性的なファイターが放つ妙な磁力にも惹き寄せられていました。

ホープ時代のピューマ渡久地や川島郭志、日本タイトル3階級制覇のライト級王者の五代登、ジュニアフェザー級でますます〝磨きがかかった〟逆転の貴公子・高橋ナオト、ジュニアライト級の赤城武幸、ウェルター級の吉野弘幸にジュニアミドル級の上山仁…。

そして、五代に日本タイトルを追われた大友巌が朴奉春から一発KOでOPBF王座を奪取した試合も、この8月号に掲載されています。

当時のライト級はフリオ・セサール・チャベスがWBAとWBCを統一、IBF王者はパーネル・ウイテカーと、あらゆる意味で大友(大川ジム)がどうにかできる世界ではありませんでした。

それでも、大友の巌という名前そのままの無骨で不器用で力任せのファイトには異様な魅力がありました。「こいつとは絶対ケンカしたくないな」という。

引退試合では、あのオルズベック・ナザロフを相手に最後まで倒れず戦い抜いたど根性に、後楽園ホールの片隅で感動に震えていました。

その大友は、大動脈解離という病気で今年10月に突然死を迎えてしまいます。まだ59歳の若さでした。



そして、この号の世界の情報を伝える「トピックウォッチング」では「リング誌の廃刊」も伝えられています。

1922年の創刊から67年。この当時も、米国ボクシングの没落から廃刊が噂されており、最期の4月号の発行部数はわずか2万5000部(実際はもっと少なかったと思われます)でした。

モハメド・アリが活躍していた70年代の全盛期には60万部を発行していたと〝自称〟していた、〝自称〟「ボクシングの聖書」ですが、実際には12〜13万部で、信用が失墜したランキング操作のスキャンダルと同じく、5倍もサバを読む〝詐称〟でした。

このときは、なんとか翌年に復刊を遂げたリング誌でしたが、その後も米国ボクシングの凋落は全く歯止めがかからず、今年で廃刊。今回は復活の目処が全く立たない、完全カウントアウトです。

当時の私の読者歴は長くはなかったものの「長い間ずっとお世話になった」と感慨深かったのを覚えています。スキャンダルに経営難と「権威ある」とは素直にいえないリング誌でしたが、面白い記事が多かったのです。私にとっては世界のボクシングと英語のテキストでした。

高校の図書館で貪り読み、大学では自分でも購入するようになって、人生の楽しみの一部だったリング誌、若く多感な時期に愛した雑誌との時間はとてつもなく長く感じたのでした。


そして、通算40年以上になるリング誌とのお付き合いが今年、ついに終わってしまいました。