50〜60年代は力道山のプロレス、70年代になると王貞治の本塁打記録。

日本のスポーツは常にアメリカを目指してきました。 

力道山も王貞治も、ある一面を照らしてしまうと彼らの〝アメリカ越え〟は虚飾でしたが、日本列島を沸騰させた興奮は、本物でした。

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そして、80年代になると岡本綾子が登場し、日本のスポーツファンは「本物のアメリカ越えは、アメリカのメディアからもたらされる」という、当たり前の真実に気づいてしまいます。

90年代には野茂英雄がMLBで大きなムーブメントを巻き起こし、今ではNPBの超トップ選手がMLBに挑戦するのは、シーズンオフの風物詩になりました。

00年代では中田英寿とイチローが欧米で躍動、「アスリートの一番格好いい姿=欧米の最高峰で大活躍すること」という現在につながる〝栄光の方程式〟が確立されてしまいます。

当然ですが〝栄光の方程式〟には、二つの大前提があります。「欧米のメジャースポーツであること」と「欧米に最高峰があること」です。

例えば、大相撲の力士は米国を目指したりしません。
米国にもSUMOはありますが「メジャースポーツ」ではなく、「最高峰の舞台」もないからです。

まず、そもそもボクシングはメジャースポーツではありません。正真正銘のマイナースポーツです。ましてや、軽量級になると、そのマイナースポーツの中の不人気階級です。

フェザー級以下の軽量級には〝栄光の方程式〟など存在しないのです。

欧米に華やかな最高峰の舞台が存在しないスポーツがマイナーであったり、ほとんど認知すらされていないのは、当たり前ですが欧米だけの話です。

具志堅用高や辰吉丈一郎は欧米では全く無名でも、日本では十分に有名で、具志堅は国民栄誉賞の候補にも挙がりました。

しかし、同じく欧米で無名の井上尚弥の場合は、日本で十分に有名か?と言われると答えに窮してしまいます。

野球やサッカー、ゴルフの「アスリートの一番格好いい姿=欧米の最高峰で大活躍すること」という〝栄光の方程式〟が、井上や西岡利晃らに眩しく映ったであろうことは想像に難くありません。

リング誌が全米でも有名なメディアだとか、毎週シャッフルされることもあるPFPという妄想ランキングが〝栄光の方程式〟につながる素数になるかのような無責任な報道も、日本のファンをミスリードしてきました。

「憧れ料」まで支払って、米国で欺瞞のメガファイトを偽装するのは、井上で終わりにしなければなりません。


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藤井聡太の将棋を国内限定のボードゲームだからレベルが低いなんて、誰も思っていないでしょう。

ボクシングの軽量級も、相撲や将棋と同じ「日本が最高峰」という性格が色濃い競技です。ありもしない「ラスベガス」を捏造するような卑屈は必要ありません。

井上尚弥や井岡一翔のボクシングは、十分に面白いし、素晴らしく奥深い世界を見せてくれています。



力道山や王貞治を愛したスポーツファンは、純情でした。

「米国で人気・需要がある」という虚構のフィルターを通してアスリートを愛する、そんなスポーツファンは不幸で愚かで、可哀想な人達です。