今朝の朝刊。
昨夜のジュニアフライ級団体統一戦が大きく取り上げられているかもと思いきや、一面トップは「サッカー日本代表決定」。
もちろん、スポーツ面も「サッカーW杯カタール大会」が大きく紙面を占めました。
それでも、読売新聞はボクシングの記事もカラー写真付きで紹介。
世界初挑戦が失敗に終わった岩田翔吉の記事も、写真は付きませんでしたが「まだプロ10戦目、悔しさを晴らす機会は、きっと訪れる」とエールを送られていました。
今夜のお話は「サッカー」と「岩田翔吉」。
サッカーW杯第1回大会が開催されたは1930年。ウルグアイの独立100周年を記念する行事の一環として開催されました。
1930年。リング誌はすでに創刊されて8年が経ち、ヘビー級の世界チャンピオンはマックス・シュメリング、ライト級にはトニー・カンゾネリが君臨していました。
ボクシングの歴史には劣るものの、サッカーも長い歴史を持っています。
そして、いつの間にか国民の「文化」や「帰属意識」の源泉になっています。
「ブラジルや南米はドリブル使いの個人技」「イタリアは最小得点を堅牢な守備で守る」「ドイツはゲルマン魂を燃やし最後まで諦めない」…。
これ、ボクシングにもあります。
メキシコは打撃戦上等のメキシカンスタイル、中南米はボディワークの柔らかいテクニシャン、韓国はフィジカルを前面に押し出す骨太なコリアンスタイル、米国黒人は恵まれた身体能力を生かしたボクシング、西欧はアマチュア仕込みのテクニック重視のボクシング、東欧やキューバは技術をさらに突き詰めたボクシング…。
フィリピンは強打を振りまわしてオッズを破壊する驚異の外弁慶、日本は技術を重視しながらも最後は大和魂、豪州は頑健な肉体を生かしたパワーボクシング…。
私がボクシングの魅力に引きずり込まれた80年代は、浜田剛史や六車卓也のような〝斃れて後已む〟往生際の悪いスタイルのファイターが目立っていました。
「ボクシングはどつき合い」。「ボクシングは喧嘩」。「最後は気持ちの強い奴が勝つ」。
浜田がロニー・シールズにSDで辛勝したとき、採点に対する反論はほとんどありませんでした。ボクシングマガジンなどは「シールズは所詮はアマの名花」と切り捨てました。
六車のWBAバンタム級王者ウィルフレド・バスケスへの挑戦がスプリット・ドローで失敗に終わったときは、112-117で六車の負けとしたパトリシア・モース・ジャーマンが「勝者の顔じゃない」と口にしたこともあり、非難囂々でした。
当時の日本には「ボクシングは科学」という考え方はなく、前に出る攻勢が評価される傾向がはっきりありました。
昨夜、WBOジュニアフライ級王者ジョナサン・ゴンサレスの引いたボクシングに空回りした岩田翔吉でしたが、畑山隆則ら〝ボクシングは喧嘩〟〝最後は気持ちの強い奴が勝つ〟論者が「岩田の負けはおかしい」と疑問を呈したそうです。
採点は公式ジャッジが必ずしも正しいわけはなく、マニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリー第1戦」「村田諒太vsアッサン・エンダム第1戦」のような承認団体も認める明らかな誤審も繰り返されています。
ただ、昨日の判定は一人の117-111はやや厳しいとはいえ、残る二人の116-112は納得のスコア。
現代の採点基準は、ラスベガスだけでなく世界的に「どちらが科学的に戦ったのか」がポイントです。
昨夜のゴンサレスは岩田よりも科学的なボクシングをした、岩田は科学的ではなかった、のです。
80年代なら、岩田が勝っていたかもしれませんが、今は2022年。
岩田の敗北は、全く議論を呼ぶ判定ではありません。
昨夜のジュニアフライ級団体統一戦が大きく取り上げられているかもと思いきや、一面トップは「サッカー日本代表決定」。
もちろん、スポーツ面も「サッカーW杯カタール大会」が大きく紙面を占めました。
それでも、読売新聞はボクシングの記事もカラー写真付きで紹介。
世界初挑戦が失敗に終わった岩田翔吉の記事も、写真は付きませんでしたが「まだプロ10戦目、悔しさを晴らす機会は、きっと訪れる」とエールを送られていました。
今夜のお話は「サッカー」と「岩田翔吉」。
サッカーW杯第1回大会が開催されたは1930年。ウルグアイの独立100周年を記念する行事の一環として開催されました。
1930年。リング誌はすでに創刊されて8年が経ち、ヘビー級の世界チャンピオンはマックス・シュメリング、ライト級にはトニー・カンゾネリが君臨していました。
ボクシングの歴史には劣るものの、サッカーも長い歴史を持っています。
そして、いつの間にか国民の「文化」や「帰属意識」の源泉になっています。
「ブラジルや南米はドリブル使いの個人技」「イタリアは最小得点を堅牢な守備で守る」「ドイツはゲルマン魂を燃やし最後まで諦めない」…。
これ、ボクシングにもあります。
メキシコは打撃戦上等のメキシカンスタイル、中南米はボディワークの柔らかいテクニシャン、韓国はフィジカルを前面に押し出す骨太なコリアンスタイル、米国黒人は恵まれた身体能力を生かしたボクシング、西欧はアマチュア仕込みのテクニック重視のボクシング、東欧やキューバは技術をさらに突き詰めたボクシング…。
フィリピンは強打を振りまわしてオッズを破壊する驚異の外弁慶、日本は技術を重視しながらも最後は大和魂、豪州は頑健な肉体を生かしたパワーボクシング…。
私がボクシングの魅力に引きずり込まれた80年代は、浜田剛史や六車卓也のような〝斃れて後已む〟往生際の悪いスタイルのファイターが目立っていました。
「ボクシングはどつき合い」。「ボクシングは喧嘩」。「最後は気持ちの強い奴が勝つ」。
浜田がロニー・シールズにSDで辛勝したとき、採点に対する反論はほとんどありませんでした。ボクシングマガジンなどは「シールズは所詮はアマの名花」と切り捨てました。
六車のWBAバンタム級王者ウィルフレド・バスケスへの挑戦がスプリット・ドローで失敗に終わったときは、112-117で六車の負けとしたパトリシア・モース・ジャーマンが「勝者の顔じゃない」と口にしたこともあり、非難囂々でした。
当時の日本には「ボクシングは科学」という考え方はなく、前に出る攻勢が評価される傾向がはっきりありました。
昨夜、WBOジュニアフライ級王者ジョナサン・ゴンサレスの引いたボクシングに空回りした岩田翔吉でしたが、畑山隆則ら〝ボクシングは喧嘩〟〝最後は気持ちの強い奴が勝つ〟論者が「岩田の負けはおかしい」と疑問を呈したそうです。
採点は公式ジャッジが必ずしも正しいわけはなく、マニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリー第1戦」「村田諒太vsアッサン・エンダム第1戦」のような承認団体も認める明らかな誤審も繰り返されています。
ただ、昨日の判定は一人の117-111はやや厳しいとはいえ、残る二人の116-112は納得のスコア。
現代の採点基準は、ラスベガスだけでなく世界的に「どちらが科学的に戦ったのか」がポイントです。
昨夜のゴンサレスは岩田よりも科学的なボクシングをした、岩田は科学的ではなかった、のです。
80年代なら、岩田が勝っていたかもしれませんが、今は2022年。
岩田の敗北は、全く議論を呼ぶ判定ではありません。
コメント
コメント一覧 (2)
アグレッシブの印象であろうが、
科学的な闘いを重視する採点であろうと
人が採点する判定などあてにならない。
フシ穴の眼
が
しました
あれで岩田の負けを確信したわ
若いから再起がんばれ
フシ穴の眼
が
しました