今夜はボクマガではなく、Number誌。
このシリーズはボクマガへの哀悼と、紙媒体への偏愛を叩きつけるのがテーマですので、あしからず。
今やサッカーやメジャーリーグの海外最高峰に大きく舵をとって、ボクシングが取り上がられることはほとんどなくなってしまったNumber誌。
しかし、1980年創刊のこの雑誌は最初から「世界志向」で、海外ボクシングを特集するシリーズを展開するなど〝紙のWOWOW〟でした。
野茂英雄や中田英寿の登場によって「本物の世界」が明らかになり、ボクシングの軽量級は米国など先進国ではメジャーではないどころかマイナーですらない無関心な存在であること、世界戦のほとんどが日本開催という違和感にスポーツファンが気付いてしまう中で、徐々に取り上げられることが少なくなってしまいました。
それでも、今から11年前の創刊30周年記念で発行されたNumber-PLUSは「ボクシング完全讀本 拳の記憶」た。
具志堅用高の「120%、沖縄のために戦った」。
〝元祖〟刺青ボクサー・大嶋宏成の「過去への復讐」。
徳山昌守の「在日世界王者、技巧派の証明」。
辰吉丈一郎の「父ちゃんが笑われるのはイヤや」。
井岡一翔の「父と叔父とのトライアングル」。
亀田興毅の「不変の針路」。
…他にも坂本博之やエディ・タウンゼント、高橋直人らの人間像に迫る面白い記事がてんこ盛り。
ここで取り上げるのは2年後の2013年に発行された「拳の記憶Ⅱ」から。
「マニー・パッキャオ『戦慄の拳』〜無名時代、日本に暮らす2人のボクサーと拳を交えていた…」。
パッキャオに惨敗したことで人生が変わった2人。〝
激レアさん〟にも登場、すっかり「パッキャオと戦った人」が定着した寺尾新。
そして、このブログでも度々登場している千里馬哲虎。
1998年5月18日、後楽園ホール。私事ながらこの試合を見ました。もちろん、パッキャオが何者かなんて知る由もありませんでしたが。
寺尾はパッキャオの左ストレートについて「ありえない距離からガーンと。安全地帯にいたつもりが。あれっ…って」。「同じ体重の人間とは思えなかった。あらゆる角度から飛んでくるから対応できない。急所じゃないところに当たっても倒れますよ」。
「最初のダウンはバッティング。運もなかったのでは?こうしておけば、という後悔は?」と聞かれた寺尾は「ありません。殺されると思った」。
絶対に勝てない相手を体感してしまった寺尾は、頭を丸刈りにし、コンビニエンスストアでサントリー角瓶を買って水割りにして飲みました。
「酒を飲んで泣いた。心が折られた。
それでも、パッキャオが米国で何度も大番狂わせを起こし、センセーションを巻き起こすうちに何かが吹っ切れます。
引退し、貧困な時期でも「こっちは缶ジュースを買うのに迷ってるのに、パッキャオはジュース工場をいくつも建てられるくらい差がついた。でも、あの夜、確かに俺とパッキャオは戦ったんです。人生って面白いですよね」と笑っていたそうです。
そして、2001年2月24日、フィリピン・アンティポロシティー。パッキャオの保持するWBCインターナショナル・ジュニアフェザー級王座に挑戦したのは千里馬哲虎、本名は康哲虎。神戸育ちの在日コリアンです。
この4ヶ月後に、IBF王者リーロ・レジャバの対戦者が直前キャンセル。パッキャオは急遽MGMグランドガーデンアリーナに呼ばれるのですが、それはまた別の話。
千里馬は「対戦前にビデオを見て勝てないとわかった。それでも自分に負けないという目標を立てた」。
3日前に現地入りして最初に驚いたのはパッキャオの人気ぶりで、挑戦者でも地元の名士への挨拶回りや、ファンへのサイン会に駆り出されたそうです。
「選手生活のサインの9割はフィリピンでしました」。
試合は「パンチの角度が全く読めなかった。ガードは硬いわけじゃないけど、足の動きが速くてこれも全く読めない」。
それでも「パッキャオと試合ができて、心を強くするという目標は達成できた」「テレビでいい試合を見ると嬉しいじゃないですか。会場で見たらもっと嬉しい。実はリングの上ならもっと嬉しいんです。こんな強い奴と、自分だけが戦えてるんですから。痛いのさえ我慢したらいいんですから」。
ファイトマネーは2000米ドル、100ドル紙幣20枚を受け取りました。銀行で両替すると1枚、検査器にはじかれたそうです。
偽札でした。
寺尾と千里馬は、ボクサーとして大切な一戦をパッキャオが相手だったために失ってしまいました。
もし、パッキャオと戦っていなければ、2人のボクシングキャリアはおそらくもっと輝いていたかもしれません。
勝負事に「負けて良かった」なんてことは絶対にありません。いいえ、そんなことは、あってはいけません。
それでも、しかし…。
寺尾と千里馬の人生を考えると…。私は正直、悔しいほど、ものすごく羨ましいと妬んでしまうのです。
このシリーズはボクマガへの哀悼と、紙媒体への偏愛を叩きつけるのがテーマですので、あしからず。
今やサッカーやメジャーリーグの海外最高峰に大きく舵をとって、ボクシングが取り上がられることはほとんどなくなってしまったNumber誌。
しかし、1980年創刊のこの雑誌は最初から「世界志向」で、海外ボクシングを特集するシリーズを展開するなど〝紙のWOWOW〟でした。
野茂英雄や中田英寿の登場によって「本物の世界」が明らかになり、ボクシングの軽量級は米国など先進国ではメジャーではないどころかマイナーですらない無関心な存在であること、世界戦のほとんどが日本開催という違和感にスポーツファンが気付いてしまう中で、徐々に取り上げられることが少なくなってしまいました。
それでも、今から11年前の創刊30周年記念で発行されたNumber-PLUSは「ボクシング完全讀本 拳の記憶」た。
具志堅用高の「120%、沖縄のために戦った」。
〝元祖〟刺青ボクサー・大嶋宏成の「過去への復讐」。
徳山昌守の「在日世界王者、技巧派の証明」。
辰吉丈一郎の「父ちゃんが笑われるのはイヤや」。
井岡一翔の「父と叔父とのトライアングル」。
亀田興毅の「不変の針路」。
…他にも坂本博之やエディ・タウンゼント、高橋直人らの人間像に迫る面白い記事がてんこ盛り。
ここで取り上げるのは2年後の2013年に発行された「拳の記憶Ⅱ」から。
「マニー・パッキャオ『戦慄の拳』〜無名時代、日本に暮らす2人のボクサーと拳を交えていた…」。
パッキャオに惨敗したことで人生が変わった2人。〝
激レアさん〟にも登場、すっかり「パッキャオと戦った人」が定着した寺尾新。
そして、このブログでも度々登場している千里馬哲虎。
1998年5月18日、後楽園ホール。私事ながらこの試合を見ました。もちろん、パッキャオが何者かなんて知る由もありませんでしたが。
寺尾はパッキャオの左ストレートについて「ありえない距離からガーンと。安全地帯にいたつもりが。あれっ…って」。「同じ体重の人間とは思えなかった。あらゆる角度から飛んでくるから対応できない。急所じゃないところに当たっても倒れますよ」。
「最初のダウンはバッティング。運もなかったのでは?こうしておけば、という後悔は?」と聞かれた寺尾は「ありません。殺されると思った」。
絶対に勝てない相手を体感してしまった寺尾は、頭を丸刈りにし、コンビニエンスストアでサントリー角瓶を買って水割りにして飲みました。
「酒を飲んで泣いた。心が折られた。
それでも、パッキャオが米国で何度も大番狂わせを起こし、センセーションを巻き起こすうちに何かが吹っ切れます。
引退し、貧困な時期でも「こっちは缶ジュースを買うのに迷ってるのに、パッキャオはジュース工場をいくつも建てられるくらい差がついた。でも、あの夜、確かに俺とパッキャオは戦ったんです。人生って面白いですよね」と笑っていたそうです。
そして、2001年2月24日、フィリピン・アンティポロシティー。パッキャオの保持するWBCインターナショナル・ジュニアフェザー級王座に挑戦したのは千里馬哲虎、本名は康哲虎。神戸育ちの在日コリアンです。
この4ヶ月後に、IBF王者リーロ・レジャバの対戦者が直前キャンセル。パッキャオは急遽MGMグランドガーデンアリーナに呼ばれるのですが、それはまた別の話。
千里馬は「対戦前にビデオを見て勝てないとわかった。それでも自分に負けないという目標を立てた」。
3日前に現地入りして最初に驚いたのはパッキャオの人気ぶりで、挑戦者でも地元の名士への挨拶回りや、ファンへのサイン会に駆り出されたそうです。
「選手生活のサインの9割はフィリピンでしました」。
試合は「パンチの角度が全く読めなかった。ガードは硬いわけじゃないけど、足の動きが速くてこれも全く読めない」。
それでも「パッキャオと試合ができて、心を強くするという目標は達成できた」「テレビでいい試合を見ると嬉しいじゃないですか。会場で見たらもっと嬉しい。実はリングの上ならもっと嬉しいんです。こんな強い奴と、自分だけが戦えてるんですから。痛いのさえ我慢したらいいんですから」。
ファイトマネーは2000米ドル、100ドル紙幣20枚を受け取りました。銀行で両替すると1枚、検査器にはじかれたそうです。
偽札でした。
寺尾と千里馬は、ボクサーとして大切な一戦をパッキャオが相手だったために失ってしまいました。
もし、パッキャオと戦っていなければ、2人のボクシングキャリアはおそらくもっと輝いていたかもしれません。
勝負事に「負けて良かった」なんてことは絶対にありません。いいえ、そんなことは、あってはいけません。
それでも、しかし…。
寺尾と千里馬の人生を考えると…。私は正直、悔しいほど、ものすごく羨ましいと妬んでしまうのです。





コメント
コメント一覧 (1)
ブログ主さんは当然、入手していると思いますが、当時、レナード、ハグラー、ハーンズ、デュランの黄金のミドルやタイソンの活躍をテレ東で観ていた私にとっては日本人ボクサーを主としたこの号はあまり魅力的に思えず、購入しませんでした。
そして案の定、普段は人気ですぐに売り切れるNUMBERが書店で山積み状態になっていて、それ以来、NUMBERでボクシングの特集は外国人ボクサーが主になったと記憶しています。
しかし、時が経つにつれ、『あの時、買っておけばよかったなあ...』とつくづく思いました。
いつか、本ブログで回想して頂くことを期待します。
*記事とは全然、関係ないのですが、先日、ドネアがスーパーフライ級転向を示唆しました。それについてのブログ主さんの意見(通用するか、市場価値はあるか)等を拝見したく希望します。
フシ穴の眼
が
しました