日本人の奥底には「アメリカへの憧憬」だけではなく「アメリカ超え」への渇望が宿痾のように横たわっています。
それは、世界一の国に対する単純な憧れだけでなく、もしかしたら戦争で負けた復讐心の持って行き所なのかもしれません。
戦争に敗れた国は、打ち負かされた国に対して、何らかの復讐心が噴き出すものです。
ましてや、そのやられ方ときたら、市民を標的にした大空襲に、原子爆弾を二発も落とされたのですから。
もし、あの戦争に勝っていたならアメリカへの憧れや、アメリカ超えへの渇望はずっと小さなものだったはずです。
もちろん、日本の「アメリカ超え」への渇望は政治的・軍事的な意味ではなく、経済的・文化的な方向です。
経済的には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「NOと言える日本」などの著書が表現したように、明らかな〝戦果〟を見せました。
一方で、文化的には映画アカデミー賞や音楽グラミー賞での主要部門を勝ち獲る栄冠にはいまだ届かないままです。
スポーツの世界では、米国のメジャー競技である野球でイチローが首位打者を2度も獲るなど大きな果実をもぎ取りましたが、米国の「イチローは象ではない、蚊だ」というアンチな意見には、心のどこかで引っかかるものがあったのも事実です。
「アメリカ超え」の渇望、それを叶えるためには〝象〟を倒さなければならない、そのことを私たちは気づいています。
なぜ、大谷翔平への声援が異質なのか、それは彼が〝象〟を倒すからです。
まだ日本の中にとどまっているにもかかわらず、私たちが佐々木朗希に特別な思いを寄せるのは、彼が〝象〟にでも〝虎〟にでもなりうる可能性をまざまざと見せつけたからです。
どうして村田諒太とゲンナジー・ゴロフキンの試合が日本史上最大になるのか、その理由は村田が〝象〟を倒す期待を賭けるに値するのです五輪のミドル級金メダリストだからです。
その一方で、私たちはイチローの精緻が持つ魅力を知っています。また、ボクシング軽量級の素晴らしさを理解しています。
佐々木朗希や大谷翔平、村田諒太が切り拓いたパワーの世界は「アメリカ超え」を果たすためには絶対に必要なカードです。
しかし、「イチロー的な世界」と「パワーの世界」のどちらに、日本人の心が傾倒するかというと…。
イチローと大谷、朗希が同じ時代に全盛期を迎えてMLBのフィールドで躍動していたら…イチローのインパクトは希薄化していたでしょうか?
ボクシングではイチロー的な井上尚弥と、大谷的な村田諒太が並走してきました。
ミドル級の村田はゲンナジー・ゴロフキンとの対戦も実現、その先にはカネロ・アルバレスも鎮座していました。
層の薄い軽量級の井上は欧米では無名で自分よりも遥かに貧困な対戦相手に圧勝しているとはいえ、その先にはカネロもゴロフキンも存在しません。
リングの外で見る参考資料は試合を楽しむ重要なツールです。しかし、リングの中のパフォーマンスと直接関係のない、そんなものを抜きにして考えたとき、どちらの試合を見たいでしょうか?
大谷や朗希のような日本のパワーが席捲して「アメリカ超え」が当たり前になると、この宿痾は完全に治癒するはずです。
そのとき、私たちは参考資料に目を落とすことなく、純粋にリングの中のパフォーマンスだけを見ることが出来るのかもしれません。
それは、世界一の国に対する単純な憧れだけでなく、もしかしたら戦争で負けた復讐心の持って行き所なのかもしれません。
戦争に敗れた国は、打ち負かされた国に対して、何らかの復讐心が噴き出すものです。
ましてや、そのやられ方ときたら、市民を標的にした大空襲に、原子爆弾を二発も落とされたのですから。
もし、あの戦争に勝っていたならアメリカへの憧れや、アメリカ超えへの渇望はずっと小さなものだったはずです。
もちろん、日本の「アメリカ超え」への渇望は政治的・軍事的な意味ではなく、経済的・文化的な方向です。
経済的には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「NOと言える日本」などの著書が表現したように、明らかな〝戦果〟を見せました。
一方で、文化的には映画アカデミー賞や音楽グラミー賞での主要部門を勝ち獲る栄冠にはいまだ届かないままです。
スポーツの世界では、米国のメジャー競技である野球でイチローが首位打者を2度も獲るなど大きな果実をもぎ取りましたが、米国の「イチローは象ではない、蚊だ」というアンチな意見には、心のどこかで引っかかるものがあったのも事実です。
「アメリカ超え」の渇望、それを叶えるためには〝象〟を倒さなければならない、そのことを私たちは気づいています。
なぜ、大谷翔平への声援が異質なのか、それは彼が〝象〟を倒すからです。
まだ日本の中にとどまっているにもかかわらず、私たちが佐々木朗希に特別な思いを寄せるのは、彼が〝象〟にでも〝虎〟にでもなりうる可能性をまざまざと見せつけたからです。
どうして村田諒太とゲンナジー・ゴロフキンの試合が日本史上最大になるのか、その理由は村田が〝象〟を倒す期待を賭けるに値するのです五輪のミドル級金メダリストだからです。
その一方で、私たちはイチローの精緻が持つ魅力を知っています。また、ボクシング軽量級の素晴らしさを理解しています。
佐々木朗希や大谷翔平、村田諒太が切り拓いたパワーの世界は「アメリカ超え」を果たすためには絶対に必要なカードです。
しかし、「イチロー的な世界」と「パワーの世界」のどちらに、日本人の心が傾倒するかというと…。
イチローと大谷、朗希が同じ時代に全盛期を迎えてMLBのフィールドで躍動していたら…イチローのインパクトは希薄化していたでしょうか?
ボクシングではイチロー的な井上尚弥と、大谷的な村田諒太が並走してきました。
ミドル級の村田はゲンナジー・ゴロフキンとの対戦も実現、その先にはカネロ・アルバレスも鎮座していました。
層の薄い軽量級の井上は欧米では無名で自分よりも遥かに貧困な対戦相手に圧勝しているとはいえ、その先にはカネロもゴロフキンも存在しません。
リングの外で見る参考資料は試合を楽しむ重要なツールです。しかし、リングの中のパフォーマンスと直接関係のない、そんなものを抜きにして考えたとき、どちらの試合を見たいでしょうか?
大谷や朗希のような日本のパワーが席捲して「アメリカ超え」が当たり前になると、この宿痾は完全に治癒するはずです。
そのとき、私たちは参考資料に目を落とすことなく、純粋にリングの中のパフォーマンスだけを見ることが出来るのかもしれません。


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フシ穴の眼
が
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