2010年4月25日〜5月3日。アゼルバイジャンはバクーで開催された第2回ユース選手権。

この大会でベスト8に入ると、同年8月にシンガポールで開催される第1回ユース五輪への出場権が手に入る〝エリートへの道〟の第一歩です。

しかし、この遠征は最初から波乱含み。

4月中旬からアイスランド・エイヤフィヤトラヨークトルで火山の噴火が相次ぎ、航空運行が大混乱。日本から5人が派遣された選手団は、中継地のトルコや現地でも足止めを食らってしまいます。
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2日遅れで始まった大会で、日本代表の5人のうち4人は残念ながら初戦敗退。

2回戦を突破して、勝てばベスト4の3回戦に進出したのはライトフライ級の井上尚弥(新磯高校=現・相模原弥栄高校=2年)、ただ一人。

日本代表の最年少、井上はアジア・ユース選手権の銅メダリストでしたが、3回戦の相手は大国キューバのベイタ・ソト。0−11の完封負けでユース五輪への夢が断たれます。

このソトを準決勝で破ったのが、プロでWBSSに出場したライアン・バーネット。そのバーネットは地元のサルマン・アリザダに敗れて銀メダル。

当時の井上は世界的には「あと一歩」だったものの、高校生という若さで代表チームの常連。

国内では井岡一翔に勝って勢いの乗る林田太郎がライトフライ級の一番手でしたが、井上にも2年後のロンドン2012の出場が期待されるなど、その潜在能力は高く評価されていました。
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同じ月に「フル代表」のメンバーは中国貴州で開催された世界大会「第1回中国オープン」に参戦。

ライトフライ級の林田、バンタム級の須佐勝明、ライトウェルター級の川内将嗣ら6人が出場。表彰台に上がったのはミドル級の村田諒太(銅メダル)でした。

この大会でMVPに輝いたのがゾウ・シミン。

ロンドン五輪に向けて、井上は林田超えを目指し、村田は重戦車のアクセルをゆっくり踏み込んでいた12年前の春、でした。



あれから12回目の春がやって来ました。

二人は期待のそのままにプロでも花を咲かせました。

予想できなかったのは、この忌々しいパンデミックだけです…。