スターというのはみんなの期待に応える存在。

でもスーパースターの条件は、その期待を超えること。(長嶋茂雄)


この50年、日本のボクシング界をリードした世界王者11人を【みんなの期待に応えたか?】【その期待を超えたか?】の2点から独断と偏見で評価してゆきます。



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「ジャパニーズ・パッキャオ(リング誌)」と呼ばれたエースの本質は、フェルナンド・モンティエル戦に全てが凝縮されています。

世界が4団体時代を迎えていたのに、日本はWBAとWBCしか認めない鎖国状態、そんな時代にたった一人で〝開国〟したのが長谷川でした。 



【みんなの期待に応えたか?】

1999年11月22日プロデビュー。

東洋太平洋バンタム級王者を経て、2005年4月にウィラポン・ナコンルアンプロモーションのWBCタイトルに挑戦したときの戦績は17勝5KO2敗。

倒し屋のイメージは全くなかった長谷川でしたが、 WBCバンタム級の10度防衛のうち7度をKOで飾ります。

運命のフェルナンド・モンティエル戦までの5試合は、いずれもKO防衛で、1ラウンドと2ラウンドで終わらせたのが各2試合、もう1試合も4ラウンドで仕留めました。

長谷川が王者に君臨した5年間は「日本のエースが世界最強を証明する」期待が、右肩上がりで加速的に膨らんでいた時間です。

WBO王者モンティエルの長谷川戦前までの戦績は42勝31KO2敗2分と、数字づらは素晴らしかったものの、リング誌評価は王者にもかかわらずバンタム級9位という異例の低さでした。

それもそのはず、強豪マーク・ジョンソンに敗れたのはまだしも、ジョニー・ゴンザレスとのお互いが安全運転に終始した敗北は、特にメキシコのファンを大きく幻滅させていました。

さらに、長谷川が2ラウンドで屠ったアレハンドロ・バルデスに大苦戦の末にテクニカルドローに逃げ込んだ姿からは、WBOのストラップを持っているだけで、いつものWBC御用達の雑魚挑戦者に毛が生えた程度だと思われていたのですが…。

長谷川のマッチメイクを担当していた帝拳の本田明彦会長も「10度目の防衛戦に内定していたエリック・モレルが逮捕歴があったことから入国できない可能性があるため、一度はモンティエルが代役を務めることで合意していた」と語るように〝いつもの挑戦者の一人〟の評価でしかありませんでした。

その後、モンティエルがWBO暫定王者決定戦に出場したことで、長谷川の相手は代役の代役アルバロ・ペレスに落ち着きました。

すでに交渉の下地が出来ていたことから、モンティエルとの事実上の団体統一戦は「(モンティエル側のファイトマネー釣り上げ要求以外は)すんなり話が進んだ」(本田会長)。

当時のバンタム級シーンは長谷川が最強と見られていたものの、強豪との対戦がないことから、リング誌ではルシアン・ブテらと共に「未だ試されていない推定最強王者」に挙げられていました。

また、ショータイムがアブネル・マレス、ジョセフ・アグベコ、ヨニー・ペレス、ビック・ダルチニアンの4人総当たりの「バンタム級最強トーナメント」を展開。

このトーナメントは開幕前に長谷川穂積とノニト・ドネアもオファーを受けていましたが、報酬のあまりの低さに2人は参戦を見送っていました。

団体統一戦には今以上に大きな障害を幾つもクリアしなければならなかった時代です。

2012年4月30日、日本武道館。

「モンティエルなら楽勝のはず」という大方の予想に反して、会場の雰囲気は「こんな緊張感は初めて」(亀田興毅)という張り詰めたものでした。

それは、すなわち、ファンも長谷川の実力に一抹の不安を抱えていたからかもしれません。そして、それは長谷川自身も。

確かに、あの息が詰まるような空気の中で、嫌な予感は醸成されていました。

「過去最強や」。インタバルで長谷川の声が拾われます。

モンティエルが過去最強。五分五分の展開の中で、嫌な予感は膨らむ一方でした。

あの試合に勝利することが「みんなの期待」だったとするなら、確かに長谷川はそこに届きませんでした。

しかし、ウィラポンを攻め落として始まった世界戦ロードの道のりで、対戦相手の質は低かったとはいえ、長谷川はあの大勝負のリングに上がるに相応しい勝ち方を収めてきました。

それだからこそ「みんなの期待」が形になっていったのです。



【その期待を超えたか?】

フェザー級の王者決定戦を制し、ジュニアフェザー級のピースをキャッチして王者のまま引退した長谷川。

モンティエル戦でノックアウトされてからは、慰めのボーナスロードでした。 

「強豪を倒してくれ」という思いは薄まり、ひたすら暖かい春風のような応援が長谷川の背中を押しました。

海外では「過大評価とグラスジョーの典型」と辛辣に評価されましたが、日本では「夢を見させてくれたファイター」であり続けました。


あの2011年4月30日の日本武道館、あれほど緊迫した空気に包まれた会場を私は一度も経験したことがありません。

想像をはるかに上回る緊張感でした。

それだけでも、長谷川は「その期待を超えた」というと、暖かすぎる評価になるかもしれません。

しかし、長谷川はリングの中で勝ち続けても最強が証明できないという狂ったボクシング界で、あの日の日本武道館のリングをファンに体感させてくれたのです。

今日の柔らかい天気のせいではなく、春風を送るのにふさわしいボクサーでした。