「日本人には無理?日本人には無理でも村田諒太には無理ちゃうんじゃ」。

アマチュア世界選手権75㎏級で「金メダルを狙う」と宣言した村田諒太に、記者から「日本人にミドル級で世界一は無理じゃないか?」という言葉を発せられたとき、村田が激昂した言葉です。

日本のプロボクシングは、105ポンドのストロー級から160ポンドのミドル級まで、ウェルター級を除くすべての階級で複数の世界王者を送り込んできました。

147ポンドのウェルター級よりも重い154ポンドのジュニアミドル級、ミドル級に足跡を残しているにもかかわらず、この階級が日本人を拒み続けてきた最大の原因は「世界的なレベルの高さ」ではなく「チャンスが少ないこと」です。
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短命に終わった過大評価の典型エイドリアン(左端)あたりなら日本人でも十分チャンスがあったと思いますが…。

フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、テレンス・クロフォード、エロール・スペンスJr.に日本人が勝つ姿はなかなか想像できませんが、競技人口(※)でウェルター級はジュニアフライ級よりも多いにもかかわらず、世界挑戦の機会は圧倒的に少ないのが現実です。

※1月9日現在でジュニアフライ級が49人、ウェルター級が51人(BoxRec)。

世界ウェルター級。それは極端に少ないチャンスをモノにしなければならないがゆえに、最難関クラスに見えてしまっているだけです。

実質的な階級難易度は、日本人の〝天井階級〟ミドルを超えたスーパーミドルやライトヘビー、クルーザー、ヘビーの4階級がウェルター級よりも遥かに上でしょう。

そして、この4階級の中で日本人にとって最も遠いクラスがヘビー級であることは、論を待ちません。

「日本人にヘビー級は無理」。そう言われて激昂できるボクシングファンはいるでしょうか?

「ヘビー級の世界王者」。それこそが日本ボクシング、いいえ日本スポーツ界に残された最後のフロンティア、夢です。そのことは、偏愛的なまでに無理やりに作られた日本ランキングを見てもよくわかります。


しかし、この巨大すぎる壁に日本人が挑戦することは、アルファベットのピースですらたったの一度も許されていません。

藤本京太郎がOPBFとWBOでアジア地域のヘビー級王者に就いたのは快挙でしたが、ジュニアミドル級からクラスを上げてきた石田順裕に苦戦するなど、世界に夢を描ける実力がそもそもありませんでした。

BoxRecで「歴代日本ヘビー級ボクサー」を紐解くと、藤本を筆頭に31人の名前がリストアップされます。

BoxRecが遡ることができたのは1950年代までですが、日本人のヘビー級挑戦は、そんな新しい時代に芽吹いたものではありません。

なんと、白井義男が世界フライ級王者となる1952年から遡ること20年、1930年にその発露が確認できるのです。

当たり前といえば、当たり前です。日本人が初めてプロボクシングを知ったとき、なんの知識もなくてもヘビー級が最上級王者だとすぐにわかったでしょう。

1932年1月、32人の力士が大日本相撲協会に対して体質改善を要求してストライキ、交渉は決裂し関係した力士らは協会から離脱し独立団体を結成しました。世に云う春秋園事件です。
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のちの横綱、大関・武蔵山も大相撲に嫌気がさした32人の中の一人でした。

当時の日本ボクシング界は、ピストン堀口のプロデビューを1933年に控え、ブームの導火線に火が着いた状況で、武蔵山の才能に惚れ込んだ帝拳の田辺宗英がボクシング転向を画策します。

当時の文献を見ると「筋肉質」という言葉が躍る武蔵山のスペックは身長188㎝、体重253ポンド(118㎏)。身長だけでも、現代の藤本を5㎝も上回っていました。

マックス・ベア(189㎝/220ポンド)、ジェームス・J・ブラドック(189㎝/)、ジョー・ルイス(187㎝/210ポンド)…世界ヘビー級王者に君臨していた当時の巨人と比べても全く見劣りしません。

しかし、大日本拳闘会の加納健治の猛反対を受けて武蔵山のボクシング転向は露と消えてしまいます。

人気力士だった武蔵山の転向を快く思っていなかったのは、相撲やボクシングの興行も仕切っていた山口組。神戸から強いつながりのあった大日本拳闘会に働きかけて、武蔵山を相撲協会に〝差し戻した〟のでした。

大谷翔平が投手としてローテーションを守りながら、本塁打王争いを堂々繰り広げた2021年を目撃した私にとって、もはや「日本人だから無理」という壁はどこにも存在しないように思えてきます。

その一方で、タイソン・フューリーやデオンティ・ワイルダーと互角以上に打ち合って倒してしまう日本人の姿が想像できない私もいます。


…日本人のヘビー級へのアタックは「武蔵山」以降も続きます。