ボクシング観戦はどう変質していったのか?

米国でのボクシング観戦の変質を簡単に辿ると「〜1930年代=会場でのリアル観戦:時代がどんなに変質してもこれを上回る楽しみはありません」→「1930年代〜=ラジオ:実況の音声だけでリングの躍動を想像する崇高なメディア」→「1950年代〜=テレビ:数少ない固定カメラでも試合の流れがわかるボクシングは当時、最もテレビ向きのスポーツでした」→「1960年代〜=クローズドサーキット:映画館や大きなホールの大画面を有料で楽めます」→「1990年代〜=PPV:自宅のテレビで気軽にメガファイトが楽しめるようになりました。かつてのテレビとの違いは課金されることです」→「2010年代〜=ネット配信:会員になったりPPVで購入したり、いずれにしても課金されます」。

米国ボクシングが衰退した最大の理由は、社会の成熟によりスポーツが「ブルーカラーの憂さ晴らし」から「家族連れや女性、子供も楽しむエンタテイメント」に変質したからでした。

1950年代をピークにボクシングの社会的地位は、後発の球技などに抜き去られてゆきました。

かつて、スポーツには〝受け継がれる〟性格が色濃くありました。

父親に歴代ヘビー級王者の名前を誦じることを教えられた子供が、やがて父親になると自分の子供に同じように教え伝えてゆきました。

「ロッキー・マルシアノは確かにいい選手さ。しかし、ジャック・デンプシーには敵うまい」。

「父さんが何を言おうが、現代のボクサーの方が強いに決まってるじゃないか」。

そんな会話が、世代を超えて交わされ、継がれてきたはずです。

ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンは地球上にただ一人だけ。世界最強の男でした。

しかし、1960年代から浸透し始めたクローズドサーキットと、その課金スタイルを引き継ぐPPVはカジュアルなスポーツファンからボクシングを引き剥がしてしまいます。

さらに、70年代から泥沼化した承認団体の分裂と階級の増殖は、このスポーツを内部から腐敗させてしまいました。

世界チャンピオンが地球上に8人しかいない神だった時代は、とうの昔に終わったのです。

現代は誰が一番強いのか、つまり誰が神なのか、誰にも分からない時代です。

推定・神はいるかもしれませんが、推定・神などが神であるわけがありません。

マニー・パッキャオの8階級制覇は、ヘンリー・アームストロングの3階級制覇よりも優れた記録なのでしょうか?

フロイド・メイウェザーの連勝無敗記録は、ロッキー・マルシアノを凌駕しているのでしょうか?

オリジナル8の時代は、シュガー・レイ・ロビンソンを語るときにだけ用いられたバウンド・フォー・バウンドは、今やベスト10形式で履いて捨てるほどの多くのメディアが勝手なランキングをデッチあげています。


2年前の12月16日のPFP4位を覚えている人が、どれだけいるでしょうか?

いや、それどころか2年前の今日のPFP1位を記憶している人ですら、何人いるでしょうか?

かつてのヘビー級チャンピオンを諳んじる遊びは、もはや、どこの親子の間でも絶滅してしまいました。

大きなスクリーンのクローズドサーキットは今もカジノのホテルで生中継していますが、圧倒的少数派になりました。

自宅の小さなテレビ画面でPPVを観る、それどころか、さらに小さなスマホ画面で観る…。

ボクシングのリングは、どんどん小さく縮小されてしまいました。

当たり前ですが、スポーツは生で見るに限ります。偉大なパフォーマンスが繰り広げられる現場を目撃出来るのは肉眼だけです。

しかし、海外の試合はもちろん、日本の試合でも生観戦なんて滅多にできません。

それなら、より大きな画面で見たいと思います。

スマホの中に閉じ込められたグレートを見るのは忍びないです。

文化的背景のない日本では難しいでしょうが、映画館やホテルの大宴会場などでクローズドサーキットを展開したら面白いと思います。

応援Tシャツや抽選でサイン入りグローブやミニチュアベルトなどが当たるとか、特典を付けたら面白いはずです。

もちろん、そんなのは豊穣なボクシングファンのベースありきなのですが…。