ボクシング産業にとって、モハメド・アリの引退は致命的な出来事になるはずだった。

シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーの4人の王者による伝説的なラウンドロビン(総当たり)が、9年間にわたって4階級(ウェルター級からスーパーミドル級)に渡って行われ、アリがいなくなったこのスポーツを牽引した。

ウィルフレド・ベニテス、ピピノ・クエバス、カルロス・パロミノ、アイラン・バークレー、フアン・ロルダンなどの名脇役たちも、スーパースター4人の彩りをさらに鮮やかにする。
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80年代の終わりには、ラリー・ホームズに代わってマイク・タイソンがヘビー級チャンピオンとして君臨するようになり、世界は再びヘビー級に目を向けるようになった。


1983年に設立された国際ボクシング連盟(IBF)と、1988年に設立された世界ボクシング機構(WBO)が、WBAとWBCに続いて承認ビジネスを開始したことで、主要団体の数は2倍になった。

また、クルーザー級やスーパーミドル級が創設され、重量クラスの数も増えました。
タイトルや階級が増えることで、より多くの階級を渡り歩くハードルは一気に下がった。

偉大さの尺度は、1つの階級を支配することから、複数の重量級でベルトを獲得することへと徐々に変化していく。

そのきっかけとなったのは、1981年の28日間で、アレクシス・アルゲリョとベニテスが約43年ぶりに3階級制覇を達成したこと。

ハーンズは、最初のチャンピオンになる前から、史上初の4階級制覇者になることを意識、1987年にロルダンを相手に目標を達成する。 


1980年代に増殖しなかったのは、世界戦のラウンド数だけで、15ラウンドから12ラウンドに縮小された。このレギュレーションはWBCが最初に行い、その後WBAとIBFが追随する。

また、1980年代は、劇場でのクローズドサーキット放送からペイパービュー放送へと移行し、ファンが自宅で気軽にメガファイトを見られるようになる。

たとえば「フロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ」は100ドル支払えば誰でもテレビ観戦できたのだ。それを「気軽」と呼ぶのかどうかは、また別の話。

それは、ボクシングを「100ドル払うほど関心のある人だけが観る」という狭い牢獄にこのスポーツを押し込む行為でもあった。

世界で最もカネを稼ぐアスリートが、最も有名でないというパラドクスが産み落とされたのも80年代だった。

ボクシングファンがマニアやカルト性格を色濃くする一方で、大手プロモーターや一握りのボクサーは大金を稼ぐことができるようになった。
 
Pros〜功罪の【功】
 
HBOスポーツはボクシング番組を増やし、タイソンの台頭に巨額の投資を行い、それに見合う成功を収めた。

ショータイムは1986年にハグラーとジョン・ムガビのミドル級タイトルマッチで、HBOが寡占していたボクシングビジネスに乗り出し、健全な競争がもたらされた。

Cons〜功罪の【罪】

リング上での死亡事故、特に1982年に発生したキム・ドクの死は、プロボクシング禁止を求める声を再燃させた。

80年代末、4Belt-Eraになると、ボクシング界はさらに混迷を深め一般からの関心は薄れてしまう。さらに、ボクシング中継が無料の地上波テレビからベーシックケーブルやプレミアムケーブルに移行したため、カジュアルなスポーツファンのボクシング離れは一気に加速してしまった。
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【ボクシングメディア】

テレビ(ネットワーク、ケーブル)、新聞、雑誌 とも大きな広がりを見せる。

1980年にスタンリー・ウェストンが「KOマガジン」を創刊。リング誌のライバルが出現することはマーケット全体にとっては理想的な刺激となる。

 
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【ボクシングビジネス】

TV/ケーブル/サブスクリプション・ケーブルのライセンス料、クローズド・サーキット、スポンサーシップ(TVとイベント)、初期のPPV…現代に続く全ての原型が形成されたのが、80年代だった。