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つまらない毎日が続いたり、つまらない人と仕事しなけりゃいけなかったり、つまらないお誘いばかり降ってきたり、地震があったり、感染病がいつまでも鎮まらなかっり…。

人生、ろくなもんじゃないと思ってささくれだっても、小さな事でふわっと少しだけ心が軽くなったりします。

こんな日に、アラフィフの私と仲良くしてくれる小学生の女の子が彼女の大好きなクレーン車の動画を送ってくれました。

東京メトロに乗り込むと、床が雪景色(上の写真)。こう撮ると地下鉄には見えません。

早速、写真を添えて「ガキは早く寝なさい」とお返事。

彼女は生まれつきの病気で、ときどきものすごく辛くてぐったりしてしまうことがあります。

それでも、顔を向けて笑おうとしてくれます。「(寝たまんまで)ごめん」と謝る事もあります。

小学生なのに凄いヤツだと思います。

絶対苦しいとき、本当は何も言いたくない、誰にも会いたくない、そんなときでも周囲に心を配れる人は凄いと思います。

私なんかは、大した事じゃないのに気に入らないことがあると、若い頃はただのバカでしたし、今でもあからさまに不機嫌になったり、つまんない相手に悪態をつくこともあります。

50歳にもなって、今もまだバカです。



辛い出来事や、悲しい思い出は、不運で片付けられないものかもしれません。

身を切り刻まれるような出来事、胸が引き裂かれるような悲しみは、時間によって化学反応を起こして全く別のもの、人を癒す振る舞いが自然にできたり、絶望に沈む人に勇気づけることができたり、そんな人間に醸成させるのかももしれません。

先日、そんな不運や不幸とは全く別の場所で生きてきたとしか見えない27歳の青年が、日本外国特派員協会で開かれた記者会見で語った言葉を聞いて、震えてしまいました。

外国人記者から「米国では2年目から故障を繰り返すあなたを見て、二刀流なんて最初から不可能だったんだと言われていました。米国へ反発する反骨心が今年の成績につながったのか?」と聞かれた青年はよどみなく答えます。

「反骨とか反発はありません。それに、日本でも二刀流は無理だとずっと言われてきました」。

日本で5年、メジャーで4年。

大きな注目を浴び続けてきた9年間ですが、スタートからの8年間は彼の二刀流に懐疑的、つまり否定的な意見が大勢でした。

大勢というか…「どちらかに絞るな。二刀流でがんばれ!」という意見は皆無だったかもしれません。

そうです。私たちは大谷の夢に対して完全に否定的だったのです。

高校を出たばかりの少年が、8年間も自分の生きる道を否定する冷たい逆風に曝され続けたのです。

そして、9年目で世界中が手の平を返したのです。

彼は「一人の選手の1シーズンとしてはMLB史上最強」(ESPNやCNNスポーツ、Yahooスポーツなどなどなど…)です。

しかし、そんな肩書き以上に、日米で8年間も吹き荒んだ強風を跳ね返して、自分を否定したDoubterに対して「ざまあみろ!」という態度を微塵も見せずに穏やかに微笑む会見を重ねてくれたことに、私は感動しました。

才能も努力も欠落した私ですが、年末ジャンボメガビッグ的イフで、もし私が彼なら「8年戦争に勝ちました」とかちゃらい言葉を吐きそうです。そんな「ざまあみろ」を言うのはゲスでバカで最低です。

そして、もしかしたら、あの8年間があったからこそ、もともと素晴らしかった彼の人格にさらに深みや重みや柔らかさが加わったのかもしれません。


Another year over
 
And a new one just begun
        〜John Lennon

 今年も 暮れてゆく
 そして 全く違う新しい年が始まるんだ


真正面から力比べをしようと、戦う人が好きです。逃げない人が好きです。

前に進むことしか出来ない足、渾身の力を込めて打ち込む拳を信仰します。

自分が何度も不運に見舞われてるのに、恨み言は一切いわずに、あろうことか「お詫び」とか、わけのわからないことを言い出す人が大好きです。

それは、全部自分にないものだから、自分は大した不運でなくても恨み言を吐き続けるカスです。謝る必要のない相手や場面では、絶対に謝りません。謝った方が、丸く収まるとしても。

ぬるま湯につかりながら小手先で毎日を送る私なんかとは真逆の流儀で人生を歩む人を、不器用だという人がいるかもしれません。

「きっと後悔しない生き方」を不器用と呼ぶなら、そうかもしれません。



「心よりの御礼とお詫び」ですって。 アホか?「御礼」はまだ良しとしましょう。

でも「お詫び」って、おかしいでしょ。何か謝らなきゃいけないこと、村田諒太に、それこそ1オミクロンでも責任があることじゃないだろ。

でも、彼には申し訳ない、済まないという気持ちが抑えられないんでしょう。 

五輪の金メダルと比べたらはるかに価値が低いプロのアルファベット王者になったとき、あの無骨な顔した絶対泣きそうにない男が、くしゃくしゃになって泣きました。

不細工なくらいに顔を歪めて泣きました。

え〜、村田って泣いたらこんなぶさいくになるんやと、面白かったです。


世界選手権や五輪は自分のために戦って、自分のために勝ったのでしょう。

しかし、プロでは、自分のためだけに戦うにはあまりにも神輿を担いでいる人や企業やお金やファンが多すぎました、重すぎました。

自分だけのために戦うには、あまりにも大きくて多くて重すぎました。

あれは「なんとか最低の恩返しは出来た」という涙です。


「真に自分の人生を愛するための試練」。

村田諒太が語ると、深いです。

彼の愛読書「夜と霧」が、すぐに思い浮かびました。 

「真に自分の人生を愛するための試練」。クレーン車の彼女にも、うまく伝えたい言葉です。

人が生きる意味は「自分の人生を愛するため」です。「自分が愛するに価する自分の人生」を送るために、人は生きているのです。

ゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレスに勝つのは「自分が愛するに価する自分の人生」を送るための数多くある小さな小さな手段の一つにすぎません。

GGGだのカネロだの、そんなもんそれだけでは完結しようもない瑣末なピースです。

私たちにとってもそうです。 家族や仕事や生活や、そんなものの一番下に村田諒太やボクシングやらがぶら下がってるだけです。

村田も大谷も非常事態があれば、真っ先に切り離す〝部分〟です。

でも、それを切り離すということは、生きるためだけに生きる動物に戻るということです。 

どうでもいいいものを人生にぶら下げているのが、人間です。

そのどうでもいいもので、家族や仕事や生活にすごい元気をもらいます。ときには泣くほど勇気をもらいます。


こんな地球規模の乱気流で「村田vsゴロフキン」を切り落とさない方がおかしいです。村田の言う通りです。


強行された方が戸惑います。


最近、酒に弱くなったと感じていましたが、どうやら気のせいです。昨日から外飲みでがっつり、家ではテーチャーズ・セレクトのボトルが空きました。まだ飲み足りんわ。 

何書いてるのかわからんようになってきたわ 。