リング誌のBest Fighter Pollでトップを獲ったファイターを、1980年のスタートから駆け足で辿ってみます。

80年:ロベルト・デュラン
81年:トーマス・ハーンズ
82年:シュガー・レイ・レナード
83年:マービン・ハグラー
84年:マービン・ハグラー
86年:マービン・ハグラー
87年:Best Fighter Pollは実施せず。
88年:マイク・タイソン
89年:マイク・タイソン
【80年代振り返り】4KINGsによるラウンドロビン。80〜86年までのPFPキングたちがハグラーを中心に総当たり的に激突した、とんでもないスペクタクルでした。「体重同一時」にどっちか強いかを現実世界で繰り広げてくれたのです。
87年に実施されなかった理由は不明ですが、それだけPFPがいい加減ということの証左でもあります。
Fighter of the year(年間最高選手)が選考投票を実施しない年なんてまずありえません。

90年:フリオ・セサール・チャベス
91年:フリオ・セサール・チャベス
92年:フリオ・セサール・チャベス
93年:パーネル・ウイテカー
94年:パーネル・ウイテカー
95年:ロイ・ジョーンズJr.
96年:ロイ・ジョーンズJr.
97年:オスカー・デラホーヤ
98年:ロイ・ジョーンズJr.
99年:ロイ・ジョーンズJr.
【90年代振り返り】米国ボクシングが死に、メキシコの時代が産声をあげた90年代。
このディケイド後半を席巻したのは、後に過大評価の代名詞のように語られるロイ。もちろん、ロイが傑出した才能と実力の持ち主であったことに間違いはありません。そして、誰も頼んでいないのに勝手に過大評価しておいて、手の平を返したのはファンとメディアです。

00年:フェリックス・トリニダード
01年:シェーン・モズリー
02年:ロイ・ジョーンズJr.
03年:ロイ・ジョーンズJr.
04年:バーナード・ホプキンス
05年:フロイド・メイウェザーJr.
06年:フロイド・メイウェザーJr.
07年:フロイド・メイウェザーJr.
08年:マニー・パッキャオ
09年:マニー・パッキャオ
【00年代振り返り】メガファイトがメキシコの祭事に合わせて5月と9月に行われることが定着した00年代。
ポスト・チャベスのマルコ・アントニオ・バレラとエリック・モラレスが、まさかのパッキャオに破壊されてしまいましたが、チャベスJr.とカネロ・アルバレス という非軽量級の鳳雛が啐啄の刻を待っていました。

2010年:マニー・パッキャオ
2011年:フロイド・メイウェザーJr.
2012年:フロイド・メイウェザーJr.
2013年:フロイド・メイウェザーJr.
2014年:フロイド・メイウェザーJr.
2015年:ローマン・ゴンザレス
2016年:ローマン・ゴンザレス
2017年:ゲンナディ・ゴロフキン&テレンス・クロフォードが同点1位←このBest Fighter Pollの最後の年に日本人で初めて井上尚弥が6位に滑り込みました。
…2018年からBest Fighter Pollは廃止。
【2010年代振り返り】2015年の世紀のメガファイト、パッキャオvsメイウェザーがついに実現したディケイドです。
米国の一般メディアまでが「ボクシングが生き返るかもしれない」と大きな期待を寄せた試合は、2人とも全く危険を冒さない大凡戦に終わります。
2018年には世界最大のボクシング予算を抱えていたHBOが「ボクシングは死にゆく産業」と見切りをつけて撤退。
また、トップランクとゴールデンボーイ・プロモーションズがスターの引き抜き、離脱に見舞われ、新興のプレミア・ボクシング・チャンピオンズや、英国のマッチルームの侵略に勢力を削ぎ落とされます。
2010年代は、凋落に歯止めがきかない米国ボクシング市場を象徴する事件が続きました。
そして、2015年以降、リング誌は経営難からページ数を大幅削減、月刊体制も崩壊、年9回発行の変則季刊誌に転落。
Best Fighter PollなどPFP絡みの企画み軒並み廃止されてしまいました。
2017年までのBest Fighter Poll、37年の歴史はモハメド・アリの引退と、米国での人気クラスが中量級に移行。
クローズド・サーキットやPPVによるマニアの囲い込みと高額な課金で、メイパック、カネロらほんのひと握りのスーパースターが莫大な報酬を得る一方で、ボクシング全体市場の低落基調は深刻化。
カネロが旗手となってメキシコ黄金時代を迎えていますが、米国や日本には波及効果がほとんどない西海岸とメキシコ限定のローカル・フィーバーにとどまっています。
1980年から2017年まで38年間のPFP1位を振り返りましたが、1979年以前はどうだったのか?
PFPという概念を多くのボクシングファンが知ることになったのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンのパフォーマンスに対する賛辞として、でした。
ヘビー級のロッキー・マルシアノが大きな注目を浴び、破格の報酬を得る一方で、ボクサーとしてより優れたロビンソンが不憫だ!という同情と救済の言葉がPFPの原型です。
当時は1団体8階級。PFPランキングなど必要もなく、誰が一番強いのか?階級最強を決めろ!なんて声があがるわけもない時代でした。
60年代はもちろん、80年代中盤までの2団体時代まではPFPなんて妄想遊びの必要性はほとんどありませんでした。
リング誌がBest Fighter Poll をスタートさせた1980年4月号を、私は見ていません。まだ高校図書館に引きこもる前、中学生でした。
それでも、階級を超えて現役ボクサーの優劣を序列する企画は、バカバカしくも斬新に受けとめられたであろうことは容易に想像できます。
今は、PFPが自然に受け入れられる空気、つまり誰が強いのかが分からないのは当たり前という空気が蔓延している気がします。
また、当時はちょうどレナードがアリからスーパースターのトーチをリレーしつつある時期。
近未来に、デュランやハーンズらと激闘、名勝負が繰り広げられる予感は十分にあったでしょう。
階級を超えるはずのPFPのランキングにウェルター級の強豪をズラリと並べることで「夢の対決が夢ではなく、これから実現する!」とファンを盛り上げる意図もあったかもしれません。
メディアやプロモーターにとってはボクシングを盛り上げる小道具、ファンにとってはバカらしいお遊び…そんなPFPが、今では数え切れないほど乱発されています。
その理由は、インターネットの普及で様々なサイトが手軽に独自のPFPを立ち上げているからだけではありません。
同一階級どころか同一団体でも複数の世界王者が大量に生産される4-Belt Eraでは、信頼するに足る羅針盤がどこにもないからです。
何も信じられないなら、最初からまやかしのPFPだってありだろう。そんな心境でしょうか。
世の中が乱れると怪しげな信仰宗教や狂言吐きの予言者が横行するようなものです。
Best Fighter Poll が廃止になった2018年以降のPFPは、プリントバージョンの月別ランキング1位の多数決で決めてゆきます…と思ってましたがそれじゃあ面白くないですねー。
ここは妄想に妄想を重ねてみましょうか。

80年:ロベルト・デュラン
81年:トーマス・ハーンズ
82年:シュガー・レイ・レナード
83年:マービン・ハグラー
84年:マービン・ハグラー
86年:マービン・ハグラー
87年:Best Fighter Pollは実施せず。
88年:マイク・タイソン
89年:マイク・タイソン
【80年代振り返り】4KINGsによるラウンドロビン。80〜86年までのPFPキングたちがハグラーを中心に総当たり的に激突した、とんでもないスペクタクルでした。「体重同一時」にどっちか強いかを現実世界で繰り広げてくれたのです。
87年に実施されなかった理由は不明ですが、それだけPFPがいい加減ということの証左でもあります。
Fighter of the year(年間最高選手)が選考投票を実施しない年なんてまずありえません。

90年:フリオ・セサール・チャベス
91年:フリオ・セサール・チャベス
92年:フリオ・セサール・チャベス
93年:パーネル・ウイテカー
94年:パーネル・ウイテカー
95年:ロイ・ジョーンズJr.
96年:ロイ・ジョーンズJr.
97年:オスカー・デラホーヤ
98年:ロイ・ジョーンズJr.
99年:ロイ・ジョーンズJr.
【90年代振り返り】米国ボクシングが死に、メキシコの時代が産声をあげた90年代。
このディケイド後半を席巻したのは、後に過大評価の代名詞のように語られるロイ。もちろん、ロイが傑出した才能と実力の持ち主であったことに間違いはありません。そして、誰も頼んでいないのに勝手に過大評価しておいて、手の平を返したのはファンとメディアです。

00年:フェリックス・トリニダード
01年:シェーン・モズリー
02年:ロイ・ジョーンズJr.
03年:ロイ・ジョーンズJr.
04年:バーナード・ホプキンス
05年:フロイド・メイウェザーJr.
06年:フロイド・メイウェザーJr.
07年:フロイド・メイウェザーJr.
08年:マニー・パッキャオ
09年:マニー・パッキャオ
【00年代振り返り】メガファイトがメキシコの祭事に合わせて5月と9月に行われることが定着した00年代。
ポスト・チャベスのマルコ・アントニオ・バレラとエリック・モラレスが、まさかのパッキャオに破壊されてしまいましたが、チャベスJr.とカネロ・アルバレス という非軽量級の鳳雛が啐啄の刻を待っていました。

2010年:マニー・パッキャオ
2011年:フロイド・メイウェザーJr.
2012年:フロイド・メイウェザーJr.
2013年:フロイド・メイウェザーJr.
2014年:フロイド・メイウェザーJr.
2015年:ローマン・ゴンザレス
2016年:ローマン・ゴンザレス
2017年:ゲンナディ・ゴロフキン&テレンス・クロフォードが同点1位←このBest Fighter Pollの最後の年に日本人で初めて井上尚弥が6位に滑り込みました。
…2018年からBest Fighter Pollは廃止。
【2010年代振り返り】2015年の世紀のメガファイト、パッキャオvsメイウェザーがついに実現したディケイドです。
米国の一般メディアまでが「ボクシングが生き返るかもしれない」と大きな期待を寄せた試合は、2人とも全く危険を冒さない大凡戦に終わります。
2018年には世界最大のボクシング予算を抱えていたHBOが「ボクシングは死にゆく産業」と見切りをつけて撤退。
また、トップランクとゴールデンボーイ・プロモーションズがスターの引き抜き、離脱に見舞われ、新興のプレミア・ボクシング・チャンピオンズや、英国のマッチルームの侵略に勢力を削ぎ落とされます。
2010年代は、凋落に歯止めがきかない米国ボクシング市場を象徴する事件が続きました。
そして、2015年以降、リング誌は経営難からページ数を大幅削減、月刊体制も崩壊、年9回発行の変則季刊誌に転落。
Best Fighter PollなどPFP絡みの企画み軒並み廃止されてしまいました。
2017年までのBest Fighter Poll、37年の歴史はモハメド・アリの引退と、米国での人気クラスが中量級に移行。
クローズド・サーキットやPPVによるマニアの囲い込みと高額な課金で、メイパック、カネロらほんのひと握りのスーパースターが莫大な報酬を得る一方で、ボクシング全体市場の低落基調は深刻化。
カネロが旗手となってメキシコ黄金時代を迎えていますが、米国や日本には波及効果がほとんどない西海岸とメキシコ限定のローカル・フィーバーにとどまっています。
1980年から2017年まで38年間のPFP1位を振り返りましたが、1979年以前はどうだったのか?
PFPという概念を多くのボクシングファンが知ることになったのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンのパフォーマンスに対する賛辞として、でした。
ヘビー級のロッキー・マルシアノが大きな注目を浴び、破格の報酬を得る一方で、ボクサーとしてより優れたロビンソンが不憫だ!という同情と救済の言葉がPFPの原型です。
当時は1団体8階級。PFPランキングなど必要もなく、誰が一番強いのか?階級最強を決めろ!なんて声があがるわけもない時代でした。
60年代はもちろん、80年代中盤までの2団体時代まではPFPなんて妄想遊びの必要性はほとんどありませんでした。
リング誌がBest Fighter Poll をスタートさせた1980年4月号を、私は見ていません。まだ高校図書館に引きこもる前、中学生でした。
それでも、階級を超えて現役ボクサーの優劣を序列する企画は、バカバカしくも斬新に受けとめられたであろうことは容易に想像できます。
今は、PFPが自然に受け入れられる空気、つまり誰が強いのかが分からないのは当たり前という空気が蔓延している気がします。
また、当時はちょうどレナードがアリからスーパースターのトーチをリレーしつつある時期。
近未来に、デュランやハーンズらと激闘、名勝負が繰り広げられる予感は十分にあったでしょう。
階級を超えるはずのPFPのランキングにウェルター級の強豪をズラリと並べることで「夢の対決が夢ではなく、これから実現する!」とファンを盛り上げる意図もあったかもしれません。
メディアやプロモーターにとってはボクシングを盛り上げる小道具、ファンにとってはバカらしいお遊び…そんなPFPが、今では数え切れないほど乱発されています。
その理由は、インターネットの普及で様々なサイトが手軽に独自のPFPを立ち上げているからだけではありません。
同一階級どころか同一団体でも複数の世界王者が大量に生産される4-Belt Eraでは、信頼するに足る羅針盤がどこにもないからです。
何も信じられないなら、最初からまやかしのPFPだってありだろう。そんな心境でしょうか。
世の中が乱れると怪しげな信仰宗教や狂言吐きの予言者が横行するようなものです。
Best Fighter Poll が廃止になった2018年以降のPFPは、プリントバージョンの月別ランキング1位の多数決で決めてゆきます…と思ってましたがそれじゃあ面白くないですねー。
ここは妄想に妄想を重ねてみましょうか。
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