異常な状況下で行なわれている東京2020。
それでも、世界中のアスリートが金メダルを目指して全身全霊を賭ける大舞台、感動的なパフォーマンスに胸を揺さぶられる毎日です。
サッカー、スペイン戦、胸が熱くなりました。堂々と最後まで戦い抜きました。
この五輪で、深刻な問題となっているのが、SNS上で選手個人に向けられた誹謗中傷です。
競技を離れて人格を否定するようなものや、選手の家族を貶めたり、競技とは無関係の私生活でのトラブルを不本意な結果に終わった原因にあげつらったり、なんていう卑劣で低次元の言葉は犯罪として扱うべき行為です。
では、採点競技で噴出しがちな「あの採点はおかしい」という批判はどうでしょうか?
採点への批判は、このブログでもしょっちゅう展開しています。
もちろん、大手メディアでもそれは同じです。
人格を否定したり、汚い言葉で罵ることをしないなら、採点や競技内容についての批判は許されるのでしょうか?
答えは簡単で、こういう場末のブログはもちろん、大手メディアでもそれは当たり前に許されます。
「あんなひどい採点をしたネルソン・バスケスは眼医者に行け」「戦う気持ちのないエマヌエル・ロドリゲスはすぐ転職すべき」「勝つ気のない生き残るためだけのボクシングをするオマール・ナルバエスは引退すべき」「フロイド・メイウェザーの試合は副作用のない睡眠薬」「強敵から逃げ続けたチキン、ナジーム・ハメドを殿堂選手として投票することはできない」…。
リング誌からニューヨークタイムズまで、どのメディアも不可解なジャッジや、ヘタレなボクサーには厳しい批判の矢を放ちます。
しかし、それを選手個人のSNSにわざわわざコメントを書き込んだとしたら、明らかに間違っています。
個人ブログや、新聞雑誌の記事は、わざわざ見る必要のないものです。そして、そこでの意見は、逆に自由な批判にさらされます。
個人のSNSに匿名で無責任なコメントを排出するのとは違います。
江川卓や桑田真澄は、一人きりになったとき、スマホの画面から卑劣な攻撃に襲われることはありませんでしたが、あれが現代に起きていたら、どれほどの批判、非難、罵詈雑言が集中していたでしょうか。
あそこまで、瞬間最大風速が甚大だと、逆にサポートする人も多く現れていたかもしれません。
それでも、世界中のアスリートが金メダルを目指して全身全霊を賭ける大舞台、感動的なパフォーマンスに胸を揺さぶられる毎日です。
サッカー、スペイン戦、胸が熱くなりました。堂々と最後まで戦い抜きました。
この五輪で、深刻な問題となっているのが、SNS上で選手個人に向けられた誹謗中傷です。
競技を離れて人格を否定するようなものや、選手の家族を貶めたり、競技とは無関係の私生活でのトラブルを不本意な結果に終わった原因にあげつらったり、なんていう卑劣で低次元の言葉は犯罪として扱うべき行為です。
では、採点競技で噴出しがちな「あの採点はおかしい」という批判はどうでしょうか?
採点への批判は、このブログでもしょっちゅう展開しています。
もちろん、大手メディアでもそれは同じです。
人格を否定したり、汚い言葉で罵ることをしないなら、採点や競技内容についての批判は許されるのでしょうか?
答えは簡単で、こういう場末のブログはもちろん、大手メディアでもそれは当たり前に許されます。
「あんなひどい採点をしたネルソン・バスケスは眼医者に行け」「戦う気持ちのないエマヌエル・ロドリゲスはすぐ転職すべき」「勝つ気のない生き残るためだけのボクシングをするオマール・ナルバエスは引退すべき」「フロイド・メイウェザーの試合は副作用のない睡眠薬」「強敵から逃げ続けたチキン、ナジーム・ハメドを殿堂選手として投票することはできない」…。
リング誌からニューヨークタイムズまで、どのメディアも不可解なジャッジや、ヘタレなボクサーには厳しい批判の矢を放ちます。
しかし、それを選手個人のSNSにわざわわざコメントを書き込んだとしたら、明らかに間違っています。
個人ブログや、新聞雑誌の記事は、わざわざ見る必要のないものです。そして、そこでの意見は、逆に自由な批判にさらされます。
個人のSNSに匿名で無責任なコメントを排出するのとは違います。
江川卓や桑田真澄は、一人きりになったとき、スマホの画面から卑劣な攻撃に襲われることはありませんでしたが、あれが現代に起きていたら、どれほどの批判、非難、罵詈雑言が集中していたでしょうか。
あそこまで、瞬間最大風速が甚大だと、逆にサポートする人も多く現れていたかもしれません。
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