ラスベガスなどカジノは、メガファイトになればなるほど、ゲート収入へのこだわりはなくなります。

年に数回しかないPPVイベントでは、PPV収入が大きな割合を占め、テレビ放映権料や広告収入が続きます。

カジノ側が招致フィーを支払って試合を引っ張り込む場合はチケットも購入、上客への招待状に同封することも珍しくありません。

ゲート収入への依存度が小さいことが、これまで2万人を超える常設会場が存在しなかった理由の一つです。
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ポロ・グラウンズやマディソン・スクエア・ガーデン、ヤンキースタジアム…1970年代までのボクシング興行は東海岸と、西海岸の綱引きが続いていました。

しかし、80年代を迎えると、シュガー・レイ・レナードやマイク・タイソンはMSGやヤンキースタジアムの脚光を浴びることはありませんでした。

さらに、21世紀のパックメイ時代になると、この〝西海岸〟偏向はさらに強まります。

東海岸の強力なカード、プエルトリコのスーパースターの系譜が途絶えてしまったこと、そしてパクス・メキシカーナの鳴り止まぬ行進曲が、メキシコでもプエルトリコでもないパックメイを西海岸に張り付けたのです。

MSGで行われたメガファイト「ミゲール・コットvsジョシュア・クロッティ」で、最も盛り上がったのは、試合前にリングサイドに座るマニー・パッキャオが紹介されたときでした。

パックメイはニューヨークにも大きな需要がありましたが、ラスベガスは彼らがニューヨークのリングに上がる気が失せるような招致フィーの金額をプロモーターに見せつけたのです。
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「この席の値段はいくらでしょう?あなたの年収より多分上です」。

現在、ラスベガスのボクシング興行を牛耳っているのは、ご存知MGMグループ。

21世紀に入って存在感を増大させてきたMGMグループの最大のハコは長らくMGMグランドガーデン・アリーナでしたが、2016年にオープンしたT-Mobile Arenaがその座を継承しています。

ラスベガスのメガファイトを彩った華やかな檜舞台の数々を振り返り、T-Mobile Arenaに至る系譜を辿ってゆきます。


砂漠のオアシス、ラスベガスは19世紀にモルモン教徒によって〝発見〟されますが、現在の姿に繋がる原型は1946年、ベン・シーゲルが建てたフラミンゴ・ホテルです。

というわけで、ラスベガス・ボクシングを遡る旅も1946年を起点とします。

「1946年以前もラスベガスでメガファイトがあった!」という反論もあるでしょうが、ここで語るのは「地理的なラスベガス」というよりも、カジノ&リゾートという「様式的なラスベガス」です。

ボクシングファンが長い方なら、ラスベガスにはいろんな思い入れのある会場、特設リングがあるはずです。

逆に、最近ボクシングを見始めた若い方は、いまだに「ラスベガスといえばMGMグランドガーデン・アリーナが最高」と勘違いしてる方もいるかもしれません。そんな時代は、とっくの昔に終わったというのに。

時代は移ろっています。



諸行無常の鐘が鳴るのは、日本だけではありません。ラスベガスではその鐘が乱打されているのです。


さてさて、ご開帳。