PFPファイターや重要な試合があるたびにシャッフルされるPFP1位よりも、全米ボクシング記者協会(BWAA)のFighter of The Year(シュガー・レイ・ロビンソン杯)の方がはるかに価値があります。

同じくらいか、それ以上の名誉が殿堂入りです。

どれにしても、所詮は人の脳内で決める妄想とはいえ、トロフィーやリングといった形もあります。

殿堂に至っては、現実にニューヨーク州カナストータに実在します。

Fighter of The Yearや殿堂入り選手は記憶に刻まれます。ボクシングを知らないひとでもすぐに検索できます。

しかし「2020年6月22日のPFP、リング誌とBWAAの2位は?」と聞かれて答えられるボクシングマニアがどれだけいるでしょうか?

1年前でも2位どころか1位も自信を持って答えられる人がいるでしょうか?1年前でもこの有様です。5年前、10年前になるともはやマニアの記憶からもほとんど消滅してしまっています。


日本人ボクサーは1995年にファイティング原田、2015年に具志堅用、大場政夫の3人がこの殿堂に〝入神〟を果たしています。

60年代に活躍した原田が、70年代に日本ボクシング界をリードした具志堅と大場に先んじて入神しているのは一見矛盾しているように見えますが、説明は簡単です。

殿堂システムが立ち上がった直後に、事実上の一発殿堂をモダーン部門で果たしたのが原田。

一発殿堂は叶わず、ウェイティングサークルで待機しながら、規定の歳月が過ぎモダーン部門の資格を失い、オールドタイマー部門で殿堂入りしたのが具志堅と大場です。

世界評価でどちらが上かは、言うまでもありません。


日本人でモダーン部門で殿堂入りしたボクサーは原田だけ。しかも一発殿堂。

ちなみに「原田より上?」と日本国内で騒がれたメディアやファンもあった長谷川穂積や西岡利晃は殿堂とは全く関係のないファイターです。

◉He is arguably Japan's greatest fighter ever. 

原田は間違いなく、日本史上最高のファイターである。

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世界に世界王者がたった一人の時代。現在、ストロー、ジュニアフライ、フライ、ジュニアバンタム、バンタム、ジュニアフェザーと6つに細分化された超軽量級が、フライとバンタムのたった二つしかなかった時代に、その2階級を史上初めて制覇したのが原田でした。

世界王者はすべからくThe Undisputed Champion、議論する余地のない王者だった時代の話です。

世界ランキングがNBAによる恣意的な操作があったとはいえ、現在のアルファベット団体の腐敗ランキングとは全く性格の違う、世界ランカーが価値を持っていた時代です。

「世界ランカーに弱い奴はいない」という言葉にも、真実の響きが確かにありました。

まだ「無冠の帝王」が死語ではなかった時代です。

60年代など私は生身では知りませんが、当時のボクシング界が現在とは全く違っているのはわかります。

白井義男が失った世界王者のベルトが日本に戻るまで、8年間も要した時代です。

20世紀末までは、まだ耳にすることのあった、世界王者不在の「空位時代」もまた今では死語になりました。

シュガー・レイ・ロビンソンが永遠の最強のように、原田の日本最高もお供え物のようなもので更新することは出来ない。

もちろん、原田を超えるThe Undisputed Championの3階級制覇を達成したなら、お供え物を仏壇の上から引き摺り下ろすことができます。

しかし、1団体10階級時代と現代の4団体17階級を比較すると、The Undisputed Champion3階級制覇では原田越えはならないかもしれません。

では、原田越えはほぼ不可能なのか?実際に、原田を越えたボクサーが存在します。

原田は長らく「アジア最高」でしたが、現在は「日本最高」に格下げされているのです。



21世紀には完全に絶滅した言葉が生き生きと躍動していた時代を振り返りながら、モンスターが〝原田越え〟を果たすために何が必要かを考えてみます。