ソメイヨシノは散り始めましたが、東京国際フォーラムのしだれ桜は満開です。

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1980年代。

思えば…モハメド・アリとヘビー級の時代が終わって、シュガー・レイ・レナードの中量級の時代が始まるはずでした。

確かに「中量級の時代」はレナードの拳によって、華々しく幕を開けました。

しかし、バート・シュガーの「面白い試合を勝ち抜く実力と、恐るべきライバルに恵まれる幸運がなければ、レナードはスーパースターになれない」という預言は間違っていました。

つまり、レナードは「実力」と「運」を、これ以上ない形で持ち合わせていたにもかかわらず、リングからの退場を余儀なくされたのです。
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1981年9月16日、WBCウェルター級王者レナードは、WBA王者トーマス・ハーンズとの完全統一戦で「ボクシング史上最高試合」という激闘に勝利しますが、試合後に左目の網膜剥離が発覚。

レナードは当時の医療技術の最高権威のもと手術に踏み切ります。

「当時の」という表現は間違いです「今でも」です。

レナードが横になったのは、このパンデミックで日本でも有名になったジョンズ・ホプキンス大学病院のベッドでした。

そうです、このパンデミックで「WHOよりもはるかに正確で公正な情報を世界に提供している医療機関」です。

2時間に及ぶ大手術を執刀したのは〝眼科のブラック・ジャック〟(と私だけが言ってます)ロナルド・マイケル博士。

「史上最強のパンチャー」とも評されるアーニー・シェーバースの目も完治させた名医です。

ジョンズ・ホプキンス大学には全米だけでなく欧州や日本からも「レナードを治して下さい」と多くのメッセージが届きます。

その中には、レナードをアマチュア時代から応援していたロナルド・レーガン大統領の手紙もありました。


マイケル博士は「手術は成功した。網膜は40%剥離していたが、シェーバースよりも軽傷」と復帰に問題はないと会見しましたが、多くの医療関係者やファンは「レナードをリングに戻すなんて狂ってる」と反発しました。

そして、当時のボクシング界を牛耳っていたのは、あの怒髪天の黒人です。

怒髪天にとって、レナードの興行に関わっていたボブ・アラムは「殺せるならとっくに殺してる」という存在。

「レナードをリングに戻すなんて人道的ではない。彼は栄光もカネも手に入れた。失明の危険を冒してリングに戻そうとするヤツは人間の皮を被った悪魔だ」。

怒髪天は「どの口で言ってんねん!」というセリフをあちこちで撒き散らしました。


さらに、アルファベット団体の人生哲学が「寄らば大樹の陰」であることは、今も昔も変わりません。

ドン・キングに脅迫されたホセ・スライマンは「アリが引退したあと、レナードはボクシング界を支えてくれたが、これは人生と健康の問題。レナードは引退すべきだ」と、キングを支持します。




1982年11月。

レナードは引退を発表しました。


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▶︎。。。「ハグラーvsデュラン」の前置きだけでも終わりそうにない。。。。。。。。。

ボクサーの報酬がどのような仕組みで成り立ってるのか、ハグラーの時代は格好の教科書で、デュラン戦を材料にご紹介しようと思ってました。




しかし、、、、もはや何が「前置き」なのかわからない段階に突入しました。 

私にとってハグラーをトリビュートするとは、そういうことなのです。



個人的な話で恐縮ですが、なぜか仕事が超繁忙で、なかなかスッキリ書ききれません。
今週を乗り越えれば、少しは暇な時間もできると思うのですが…。



私を「世界のボクシング」にいざなってくれた、ハグラーの物語。

それにしても、いつ「THE 
SUPER FIGHT」に辿り着けるのやら…。