プロ入り10年目を迎えた斎藤佑樹に、本人は否定しているものの、引退の噂が出ています。もし、彼が斎藤佑樹でなかったらとっくの昔に戦力外、クビです。

ゴルフの石川遼も米国ツアー進出の夢は打ち砕かれ、昨年ようやく3年ぶりに優勝するなど、あのフィーバーは蜃気楼のようにとっくの昔に覚め消えました。



注目度の高い若い才能には、そうではない選手よりも多くのチャンスと十分な練習環境が理不尽なまでに与えられます。

当たり前です。「人気」があるんですから。多くの人が彼らの活躍を願っているのですから。

もしアスリートの活躍や評価が政治家やアイドルのように「人気」投票で決まるのなら、彼らは期待通りに大活躍して高い評価に浴していたはずです。

何しろ、トップでの実績はもちろんもしかしたら実力も相当に怪しいにもかかわらず知名度、「人気」だけはトップ級なのですから。

もし、彼らが引退を選択したならキャスターや解説者、タレント、俳優としての需要まであるかもしれません。知名度と人気は抜群なのですから、それこそ政治家の道もありでしょう。

「そこ」は、彼らが競技よりも得意とする、好感度「人気」の世界です。

精緻な分析力と解説、高度な演技力や歌唱力、崇高な政治理念を具体化する実行力…そんなものよりも表層的な人気だけが全ての世界です。

そう考えると、彼らは元々が生き馬の目を抜く情け容赦ない残酷な世界の住人ではなかったのでしょう。

爽やかなルックスと、その通りの素直で前向きな性格、そんな自分をしっかり語れる温かく柔らかい表現力を併せ持つ彼らは、たまたま才能があり過ぎたがために、修羅の世界に迷い込んでしまっただけだったのです。

本物の修羅が人気を手に入れるのは最後の最後です。

それでも、過酷で薄情な世界にしがみつくように苦闘する彼らの姿を見るたびに、彼らはアイドルではなく本当は修羅になりたいと渇望していることを思い知らされます。

10代の彼らに私たちが熱狂したのは、そこに修羅の才能を見たからではなく、今思えばその端麗な容姿から滲み出る人を惹きつけるオーラ、とどのつまりは「人気」に絆されたからでした。

32歳のハンカチ王子がNPBで大きなタイトルを獲ってメジャー挑戦を表明する日なんて永遠に来ないでしょう。何度も与えられるチャンスをたまたまものにして「◯年ぶりの白星」と騒がれる程度が関の山ですが、ユニフォームを脱げば、その人気のオーラで第二の人生も華やかに生きてくれるに違いありません。

ハニカミ王子が再びメジャーに挑戦して、大きな果実を捥ぎ取ることもないでしょう。ゴルフツアー機構の副会長を務める28歳は、近い将来、会長の座に座ってゴルフの大使として、このスポーツにとって彼にしかできない大きな役割を果たしてくれるはずです。


それでも。

彼らが修羅になる姿を見たい。

そう思うのは私だけでしょうか。