「どっちが勝つかわからない試合をするからお客さんが沸くわけで、辰吉さんだったり、畑山さんだったり、あの時代(のボクシング)を取り戻したい」(プロフェッショナル 仕事の流儀「モンスターの素顔~プロボクサー・井上尚弥」)。

先月27歳になったばかりの井上尚弥は、1993年生まれ。 

辰吉丈一郎が世界戦線のリングに上がったのは、1991年から1999年の井上にとって誕生前の3年間を含む9年間。畑山隆則は1997年から2001年、4歳から8歳の5年間。

「物心つく前」、特に辰吉の試合は井上にとってリアルタイムの記憶なのかどうかかなり怪しいですが、あれだけボクシングIQの高い選手です。おそらくお父さんの解説付きで生中継も観たのをはっきり覚えているのかもしれません。

辰吉と畑山、すでにボクシング市場が下り坂を転がり落ちて10年も経っていた90年代。

当時と今で目に見えて違うのは何か?というと、一つには「注目の日本タイトルマッチが東京キー局で生中継されていた」ということでしょう。

キー局がボクシング番組を持ち、毎日のように試合が流されていた60年代は日本ランカー対決はもちろん新人戦まで中継されていたといいますから、世間の注目度・関心度は桁違いでした。

そんなスポーツの頂点を極めたファイティング原田の複数の試合が歴代視聴率ランキングで上位に居座っているのは、当然です。

史上最悪のゴールデンウィーク最後の日にお送りするのは、まだそんな〝黄金時代の残り香〟ともいえる日本タイトルマッチが生中継されていた時代のお話です。

もちろん、世界2階級制覇まで果たした畑山は「【届かなかった拳は】世界チャンピオンよりも輝いていた!【儚いからこそ美しい】」のテーマから外れます。

畑山は非常に珍しいタイプのボクサーでした。ホープと呼ばれるボクサーは、ハイリスク・ローリターンの試合を極端に敬遠します。

当たり前です。それを回避できるポジションにいるのに、なんでそんな危険なゾーンに首を突っ込まなきゃならないのか?

1997年10月5日にWBAジュニアライト級チャンピオン崔龍洙と三者三様のスプリットドロー、2001年7月1日にジュリアン・ロルシーに2階級目のWBAライト級を奪われるまでの6年間9試合。

日本ボクシング界に輝く人気者の戦譜で、最も印象に残る試合を聞かれたとき、あなたはどのリングを選ぶでしょうか。

多くは、日本人2人との激闘のいずれかを選ぶはずです。

2試合とも、アベル・サンチェスに言わせれば「相手の土俵に敢えて立っての〝ファンが喜ぶビッグドラマショウ〟」、その見本のような激闘でした。

畑山からしたらハイリスク・ローリターン、しかしファンはよだれを流す待望のカード。そして、その内容まで想像以上にファンを喜ばせたのです。
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宣伝ポスターやグッズには後ろ姿ながら全裸でファイティグポーズを取る2人。これは販促グッズのテレフォンカード。

畑山隆則の最も印象的な試合。多数決なら坂本博之戦なんでしょうが、私はコウジ有沢です。


コウジも「【届かなかった拳は】世界チャンピオンよりも輝いていた!【儚いからこそ美しい】」というにしても、何歩か手前のファイターでしたが、とにかく美形なのに獰猛なファイターでした。

坂本もそうでしたがコウジも、浜田剛史が言う「嘘がつけないボクシング」なのです。

そして、畑山は「嘘をつけるボクシング」も出来ました。

だから、大方の予想は「脚を使って畑山がいなす」と見られていたのです。

にもかかわらず、畑山は敢えて彼らの土俵に入って行きました

きっと畑山は、真っ正直なボクシングがしたかったのです。

さて、この試合が行われたのは1998年3月29日。日本ジュニアライト級王者コウジに、世界戦を引き分けたばかりの畑山が挑戦するという捻れたビッグファイトでした。

当時のコウジは18戦全勝15KO無敗の26歳。曲者・古城賢一郎から3ラウンドTKOで奪った日本タイトルを5連続KO防衛中。 

22歳の畑山は20勝16KO無敗1分。 

「ボクシングはビジネスですよ。お客さんが期待しているカードを作って、期待以上の内容を見せればまた見に来てくれる」。

こんなファン・ファーストな〝ビジネス感覚〟なら諸手を挙げて大歓迎です!

畑山の「真っ正直な試合がしたい」その思いが炸裂した名勝負。

それだけで、もう何も要らないのですが、この日本タイトルマッチは21世紀の今では想像もできないほど、箱から注目度、待遇何もかもが破格でした…。