エディ・タウンゼントが生きていたら…山中慎介の戦いを途中で止めた大和心、デオンティ・ワイルダーが逆転の一撃を放つ機会を奪ったマーク・ブリーランド、彼らが投げたタオルを絶賛していたに違いありません。

1962年に力道山から「ボクシングの世界ヘビー級王者を育てて欲しい」と懇願されて来日。翌年、力道山が刺殺されてしまうと、全国のジムを傭兵トレーナーとして渡り歩き、数え切れない名選手を育て上げました。

藤猛、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹の世界王者だけではありません。

悲運の田辺清や〝一瞬の夏〟のカシアス内藤、あと一歩の村田英次郎、不屈のジャッカル丸山、元祖アイドル赤井英和、3人目の9戦最短王者を狙った神代英明、柳明佑のソナギに散った徳島尚…数多くの個性的なボクサーを「ハートのラブ」で厳しく指導しました。
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「負けたらゼンブ私のせい、ボクサーは責めないで。勝つのはボクサーの仕事、勝ったらみんなが寄ってくる、私は必要ない。負けたら私が引き受ける、私は負けたボクサーの味方」。

そういえば、体罰も嫌悪していました。相撲部屋の流れでしょうか、昔のボクシングジムには選手を叱咤する竹刀が普通に置かれていましたが、これを見つけると激怒したと伝えられています。

その教えは典型的なオールドスクールでしたが、そこに貫かれていたのはボクサーの安全と、引退後の幸せを慮った「ハートのラブ」でした。

のちにグリーンツダジムの津田博明会長と井岡、赤井英和が鼎談、赤井が「エディさんは俺を一番目にかけてくれてたのに、俺はそれに何も応えられなかった」と絞り出す言葉を聞いた井岡は不思議な感情に捕らわれたといいます。

それはそうです。井岡からしたら「エディさんは赤井さんに愛想を尽かせていた。一番大切に扱われたのはずっとジムで一緒に寝泊まりして、最後の世界王者になった自分に決まってるのに」と。

しかし、井岡の不思議な感覚は、しばらくしてすぐに氷解します。

エディを偲ぶ番組で、かつての教え子たちに「エディに最も愛されたボクサーは誰か?」と質問すると、なんと全員が「自分だ」と即答したのです。

なんという「ハートのラブ」。

それにしても…エディ・タウンゼントというトレーナーは、いったい何股をかけていたのでしょうか?

どこまで〝ボクサーたらし〟だったのでしょうか。
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1988年1月31日の大阪城ホール。

あの世界タイトルマッチで、井岡が敗れていたら…。日本ボクシング史に残る最大の悲劇の一つとして、今も苦々しく記憶されていたでしょう。

11ラウンド終了時点のスコアは105−104/105−105/104−105、三者三様のドロー。

当時は公開採点もなく、途中のスコアは知らされていませんから12ラウンド開始前は「手数で上回っている李が採点でリードしている」とも考えられました。

私も「井岡はKOしないと勝てない」と思いました。

しかし、激闘の11ラウンド33分間を戦った二人の消耗は明らかで、両者とも決定打を打ち込めるだけの力は残されていないように見えました…。