地球上で最も厄介な色は、人間の肌の色です。

長い長い間、欧米において有色人種には活躍のチャンスが与えられませんでした。

他のスポーツよりも遥かに早い段階で有色人種に門戸が解放されたボクシングですら、肌の色への差別は根深く残っていますが…。

水曜日の昼休み。ESPN の THE UNDEFEATED(敗れざる者たち)。デビッド・デニスJr.の記事から、拙訳です。

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  Black America watched Deontay Wilder lose and it hurt 
The history of race in boxing – and in life – meant more was at stake than a championship belt


第7ラウンドに純白のタオルがリングに投げ入れられた瞬間、「Black History Month(黒人歴史月間)と英国アカデミー賞の白人至上主義への批判まで吹っ飛んだ(やっぱり白人の方が頭が良くて優れている)」というたちの悪い冗談が飛び交ってしまった。

Black History Month はアフリカ人の不幸なディアスポラと、逆境に立ち向かった偉大な先人の歴史に敬意を表するイベント。この一大行事にちなんで、デオンティ・ワイルダーは黒人の戦いの歴史を表現した甲冑の衣装で入場していた。

試合後、タイソン・フューリーを讃えて潔く敗北を受け入れていたアラバマの巨人が、数日後に「負けたのは重い甲冑コスチュームのせい」と吐き出したのは何とも皮肉でやりきれない言い訳だった。

ボクシングはマイナースポーツに成り下がってしまったが、英国アカデミー賞でホアキン・フェニックス(「ジョーカー」で主演男優賞を受賞)が「候補者全員が白人なのは恥だ」「白人は最初から優遇されている」と、受賞スピーチでアカデミーを痛烈に批判したことは多くの人が知っているだろう。
 
もちろん、ワイルダーは公平な条件で戦い、多くの人が証人となる中で明白に敗れてしまったのだ。

それでも、フューリーvsワイルダーは米国に横たわる人種差別の忌々しい実態、黒人たちの終わることのない苦悩も透かしていた。

黒人アスリートが白人に敗北するときはいつも、黒人たちはプライドを打ち砕かれた気分になり、白人への不信感を募らせ、それを見た白人たちは溜飲を下げてきた。

マジック・ジョンションとラリー・バードの対決は、ある場面では純粋なスポーツとして見られなかった。

アメフトの司令塔QBを白人が担うことが圧倒的に多い理由は、英国アカデミー賞と同じ仕組みがそこにあるからと言って、誰か反論できるだろうか。

しかし、球技と違いボクシングは1対1の決闘だ。

球技では、悪意のあるチームメイトが黒人にボールを回さない、扱いにくいボールを投げるなど観客がすぐにはわからない差別が当たり前に出来てしまう。

四角いリングの中で2人が二つの拳で殴り合うボクシングの世界には、人種差別がああだこうだと御託を並べる隙は全く無い。

よしんばレフェリーやジャッジが白人に有利な判断、採点をしたとしても、会場に集まった観客とテレビの前の視聴者には〝都合の悪い真実〟を隠し通すことは出来ない。

1910年7月4日、現在のボクシング界で空気のように当たり前になっている大げさで過剰な宣伝文句とは全く違う正真正銘のFight of the Century(世紀の一戦)が行われた。

ジャック・ジョンソンvsジェームス・J・ジェフリーズ。

白人至上主義の作家ジャック・ロンドンらがけしかけて6年間のブランクから復帰したジェフリースは語った。

“I am going into this fight for the sole purpose of proving that a white man is better than a Negro.”

「私がリングに戻った理由はたった一つ。白人が黒人よりも優れていることを証明するためだ」。

ジェフリーズに約束された最低保障の報酬は15万8000ドル。「フロイド・メイウェザーの方が沢山もらっている」と勘違いしたあなたは、これが100年以上前の話だということを思い出さなければならない。

※現在、多くのプロボクサーはもちろん、軽量級では世界王者でも10万ドルを手に出来ることは珍しい。

ジョンソンが勝利した瞬間、ネバダ州リノに特設されたスタジアムに集まった2万人の大観衆は「納得できない」と騒然となった。

そして、「フェフリーズ敗れる」の方が全米に伝わると各地で暴動が起きた。

歓喜に沸く黒人は白人から酷い暴行を受け、射殺される事件まであったのだ。

しかし、リンチにあおうが射殺されようが、黒人たちの心の中には小さなライトが灯った。絶対消えない、ライトが。

「ジョンソンが勝った」。
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ジョンソンが何度も殺害予告を出されるなど白人から憎悪されたのに対して、ジョー・ルイスは違った。

ヒトラーの寵愛を受けたマックス・シュメリンクと繰り広げた1勝1敗の戦いは、国家とイデオロギーを代表する戦いとなった。

1930年代という時代背景まで考えると、1936年6月19日の初戦でルイスが12ラウンドKOに沈んだときにアメリカに走った衝撃、そして何よりも黒人たちの悲しみは、黒人作家ラングストン・ヒューズの自伝に生々しい。

「7番街では大の男がわんわん声をあげて泣きながら歩いていた。何人もの大人の女性が両手で頭を抱えて歩道にしゃがみ込んだまま動けないでいた」。

1938年6月22日、やはりヤンキースタジアムで行われた再戦はアメリカのルーズベルト大統領と、ナチスのヒトラー総統がそれぞれ「必勝命令」を下す代理戦争だった。

試合は、わずか124秒で終わった。
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そのとき、ヤンキースタジアムが飲み込んだ大観衆は7万人を数え「世紀のリマッチ」のチケットはプラチナと表現された。

アメリカが歓喜に沸き立った。黒人も白人もなかった。ルイスの勝利は肌の色を超えたのだ。

しかし、それでも融解できないから人種差別はたちが悪い。

ジャック・ジョンソンの生涯からインスパイアされたThe Great White Hopeはトニー賞とピューリッツュア賞に輝き、映画化もされた。

1970年代の大ヒット映画「ロッキー」は傲慢な黒人チャンピオンに不遇の白人が立ち向かう、使い古された物語だったが、アメリカは人種の戦いについつい惹きつけられてしまう。

ワイルダーの敗北を目撃して、私たち黒人にはかつてのような感傷はない。

誤解を恐れずにいうと、今の私たちにはもはや、白人よりも優れていると証明する必要はないのだ。

ルイスがシュメリンクに敗れた時代とは、世界が全く違う。何よりもアメリカが全く違う。

私たちは教育から就職、政治参加に至る、あらゆる社会的局面で差別と闘ってきた。

今は1910年代でも30年代でもない、2020年だ。もちろん、まだ闘いは終わっていない。人種差別はいまだに、私たちの生活と人生にこびりついて離れようとしない。

それでも、ボクシングは100年以上も前から人種を超えて平等だった。

リングの中では二人の男が闘っているように見えるが、実は人種やイデオロギーなどあらゆる異文化が全く平等に共存してきたのだ。

社会生活はもちろん、野球やフットボールのフィールドにまで吹き込んできた忌々しい人種差別の風だったが、リングの中だけは吹くことが許されなかったのだ。

どんなに不平等な時代でもリングの中だけは、白人特権も黒人専用のトイレもレストランもなかった。

Nothing matters but who is better. 

そこで問われるのは人種でも肌の色でもない。どちらが強いか?それだけだ。

ワイルダーとフューリーもまた全く平等の条件の中で戦い、決着を付けた。リングの中では、どんな言い訳も許されない。

そう、100年前と変わらずに。