年を取るということは、何かを捨てるということでもあります。
幼稚な話ですが、高校時代は60〜70年代の学生運動に妙な憧れを抱いていました。昔は学生運動の闘士だった(自称)という担任の先生の影響もありましたが。
私が通ってたのは勉強もスポーツも三流以下のどうしようもない田舎の公立高校でしたが、なぜか図書室だけはでかくて、TIME誌などはもちろんスポーツイラストレイテッド誌、リング誌などのスポーツ総合誌まで取り揃えてくれていました。
無駄な税金ですが、個人的には最高でした。
私以外誰も読まないのに、毎週海外からドサッと届けられる梱包を見ると、楽しくて楽しくてクラクラしてしまいました。
茶色い包装紙に巻かれた「アメリカ」を開いて手に取る、快感。
日本の雑誌と全く違う質感、触感。そしてなにより独特の匂い。
もちろん、バカ高校の中でも屈指のバカな私ですから、英語など全くわからないのですが、日本語版のタイム誌やボクシングマガジンと並べて読みふけってると、バカでもわかったような気になるものです。
そういえば、県の高校全体で学力を測る大規模なテストが行われたとき、私はむくむくと湧き上がる幼稚な考えに抗えませんでした。
何万人も受ける共通テストです。正式名は忘れてしまいました。なんだっけ?調べたらわかるんでしょうが。
幼稚な考えーーとは1番になることでした。
もちろん、バカな私が表の1番になれるわけがありません。
裏の1番。
つまり何万人の中で最低を獲ることです。5万人なら5万番、4万9999番では意味はありません!
3択〜5択の、全てマークシートですから、適当にマークしてると30%くらいは正解してしまう危険があります。
まず、①明らかに正解だと思う問題はわざと間違う、②正解がわからない問題(ほとんどがそうでした)はマークしない。
結果は5教科7科目(だった気がしますが間違ってるかもしれません)、合計で何点満点だったかも忘れましたが、狙い通りに0点!
しかし…確か0点が30人近くもいたのです。まー、狙い通りではありませんが、同点でも最下位は達成です。
「おいおい!適当にマークしても正解するやろが!何で0点がいるねん、俺以外に!」と戸惑いながらも、返された点数表を隠すクラスメートに「見ろ!見やがれ!2万人中で一番(下)!」と見せびらかしました。
クラスメイトが「わー、俺もそうしたら良かった」とわーわー大騒ぎするのが心地よくて(どこまで幼稚やねん)、小さなヒーローになった気分でした(どこまで幼稚やねん)。
小さなヒーローはすぐ職員室に呼び出され吊るし上げられました。
「わざと0点取るなんてどういうつもりだ?」「学校を舐めてるのか?だったら学校来るな、やめろ!」
実際にはもっと酷い罵詈雑言を浴びせられ、最後に「何か言いたいことあるか?」と聞かれました。
私は「他にも0点がいたのはどういうことですか?」と答えました。
先生方は「やっぱりこいつはわけがわからない」という顔をして「他はマークシートのやり方を理解してなくて塗りつぶさずに◯をつけたりしてコンピューターが読み取れなかった」と説明してくれました。
私は心の中で「そっか、確かにそれは考えてなかった。何万人もいたら単独の裏1番は不可能だった」と後悔しましたが、教室では大騒ぎしてくれてるから目的は達成したと、顔だけ申し訳なさそうに職員室を出ました。
それからしばらくして、学生運動の闘士だった(自称)担任の先生から、右翼の友人を紹介されたんです。
10代の私からしたら、左翼の先生が何で?という話で、当時はシャイで人見知りの激しかった私は「全く興味ないです」と断りましたが、無理やりに、田舎の炉端焼きやで猪(シシ)鍋を囲むことに。
右翼の人は先生と同年輩で、私と同い年の右翼のヒヨコを連れてきました。
今なら絶対アウトですが、当時高校生の私も教師同席、右翼同席で酒を飲み、イノシシを喰らい、資本論から三島由紀夫から、いろんな話をして、私は資本論なんて最初の2ページくらいで挫折してたにもかかわらずペラペラしゃべって、田舎の高校生としては刺激的な夜でした。
「親族を除いて誰か尊敬する人はいるか?絶対的にすごいと思える人はいるか?」。
そんなことを聞かれたとき、私はよどみなく「モハメド・アリ」だと答えると、二人は「そりゃそうだ」と爆笑してくれました。
私はリアルタイムでアリを知らないのですが、資本論の流れで知ったかぶりです。
ああ、そういうことなんです。
今、同じようなシチュエーションで、私が「マニー・パッキャオ」と言ったら、普通に「誰それ?」としかなりません。
先生と右翼と私が盛り上がる中で、私と同年輩の右翼のヒヨコは無口で黙ったままでした。
それでも、それから毎年、ヒヨコは年賀状を送ってくれてるのです。彼の几帳面な正確をすりつけたような綺麗な芋版で。
ときどき、5年に1回くらい、オリンピックよりも長い周期で、彼とは会って、私はお酒、彼はお茶を飲むんです。
先日がその周期でした。どちらからともなく電話して、メールじゃないんです、電話なんです。今回は私で舞台も靖国神社で。
いろんな人生があります。
彼は自分が信じた「美しい国」の再建を目指してます。私から見たら「そもそも『美しい国』なんて存在したのか?」とも思います。
彼は「じゃあ、そもそも、なかったとしよう。でも私たちが考える『美しい国』は美しくないと思うかい?」。
めっちゃくちゃ硬い話なんですが、二人とも笑いながら言葉を交わしてるので、普通に昔話、世間話をしてるようにしか見えないかもしれません。
靖国神社からすぐの街中華「洋々亭」で餃子をつまみながらバカ2人が日本の未来を憂うのです。まずは己の未来を心配せー!ちゅう話ですな。
醤油も酢もラー油もどれもこれも容器もテーブルも油でギトギト。この餃子は500円、ラーメン450円。すぐ近くにきっとギトギトじゃない「日高屋」もありましたが、バカと右翼の眼中にはない!
前に書いた「地面師」の話もそうですが、高校時代、大学時代の私の周りには変な奴がひしめいていました。
私もまた変な奴だったということですが…。
地面師になった委員長の彼女。初めて会ったときから右翼だった彼。
私は彼女や彼に「お前は真面目だな、真っ正直に生きたんだな」と半ば呆れて言いますが、彼らは私が一番、真っ正直で変わらない、と笑ってくれます。
もはや普通の世界にいない彼女は「アティーブメントテストで1番だと自慢してたの一生忘れない、本当のバカっているんだと思った」と可愛く笑い、世間からは白い目で見られる右翼の彼も「例のテストで面白いことしたバカを紹介したいって言われて会ったのがお前だった」と、街宣車でがなりたてる声とは違う小さな声で笑ってくれます。
でも、いつのまにか、そんな変な奴らは私から遠ざかっていきました。
いつのまにか、連絡を取るのは私からだけになってます。
私に気を使ってくれてアッチ(この表現いいですね、ぴったりです)から連絡しないでいてくれるのか。
それとも、面白い友達の枠から、私は外れてしまったのか。
……いつのまにか、私が彼らのような変な奴じゃなくなってるのだとしたら、それはそれでかなり寂しい気もしてしまいます。
幼稚な話ですが、高校時代は60〜70年代の学生運動に妙な憧れを抱いていました。昔は学生運動の闘士だった(自称)という担任の先生の影響もありましたが。
私が通ってたのは勉強もスポーツも三流以下のどうしようもない田舎の公立高校でしたが、なぜか図書室だけはでかくて、TIME誌などはもちろんスポーツイラストレイテッド誌、リング誌などのスポーツ総合誌まで取り揃えてくれていました。
無駄な税金ですが、個人的には最高でした。
私以外誰も読まないのに、毎週海外からドサッと届けられる梱包を見ると、楽しくて楽しくてクラクラしてしまいました。
茶色い包装紙に巻かれた「アメリカ」を開いて手に取る、快感。
日本の雑誌と全く違う質感、触感。そしてなにより独特の匂い。
もちろん、バカ高校の中でも屈指のバカな私ですから、英語など全くわからないのですが、日本語版のタイム誌やボクシングマガジンと並べて読みふけってると、バカでもわかったような気になるものです。
そういえば、県の高校全体で学力を測る大規模なテストが行われたとき、私はむくむくと湧き上がる幼稚な考えに抗えませんでした。
何万人も受ける共通テストです。正式名は忘れてしまいました。なんだっけ?調べたらわかるんでしょうが。
幼稚な考えーーとは1番になることでした。
もちろん、バカな私が表の1番になれるわけがありません。
裏の1番。
つまり何万人の中で最低を獲ることです。5万人なら5万番、4万9999番では意味はありません!
3択〜5択の、全てマークシートですから、適当にマークしてると30%くらいは正解してしまう危険があります。
まず、①明らかに正解だと思う問題はわざと間違う、②正解がわからない問題(ほとんどがそうでした)はマークしない。
結果は5教科7科目(だった気がしますが間違ってるかもしれません)、合計で何点満点だったかも忘れましたが、狙い通りに0点!
しかし…確か0点が30人近くもいたのです。まー、狙い通りではありませんが、同点でも最下位は達成です。
「おいおい!適当にマークしても正解するやろが!何で0点がいるねん、俺以外に!」と戸惑いながらも、返された点数表を隠すクラスメートに「見ろ!見やがれ!2万人中で一番(下)!」と見せびらかしました。
クラスメイトが「わー、俺もそうしたら良かった」とわーわー大騒ぎするのが心地よくて(どこまで幼稚やねん)、小さなヒーローになった気分でした(どこまで幼稚やねん)。
小さなヒーローはすぐ職員室に呼び出され吊るし上げられました。
「わざと0点取るなんてどういうつもりだ?」「学校を舐めてるのか?だったら学校来るな、やめろ!」
実際にはもっと酷い罵詈雑言を浴びせられ、最後に「何か言いたいことあるか?」と聞かれました。
私は「他にも0点がいたのはどういうことですか?」と答えました。
先生方は「やっぱりこいつはわけがわからない」という顔をして「他はマークシートのやり方を理解してなくて塗りつぶさずに◯をつけたりしてコンピューターが読み取れなかった」と説明してくれました。
私は心の中で「そっか、確かにそれは考えてなかった。何万人もいたら単独の裏1番は不可能だった」と後悔しましたが、教室では大騒ぎしてくれてるから目的は達成したと、顔だけ申し訳なさそうに職員室を出ました。
それからしばらくして、学生運動の闘士だった(自称)担任の先生から、右翼の友人を紹介されたんです。
10代の私からしたら、左翼の先生が何で?という話で、当時はシャイで人見知りの激しかった私は「全く興味ないです」と断りましたが、無理やりに、田舎の炉端焼きやで猪(シシ)鍋を囲むことに。
右翼の人は先生と同年輩で、私と同い年の右翼のヒヨコを連れてきました。
今なら絶対アウトですが、当時高校生の私も教師同席、右翼同席で酒を飲み、イノシシを喰らい、資本論から三島由紀夫から、いろんな話をして、私は資本論なんて最初の2ページくらいで挫折してたにもかかわらずペラペラしゃべって、田舎の高校生としては刺激的な夜でした。
「親族を除いて誰か尊敬する人はいるか?絶対的にすごいと思える人はいるか?」。
そんなことを聞かれたとき、私はよどみなく「モハメド・アリ」だと答えると、二人は「そりゃそうだ」と爆笑してくれました。
私はリアルタイムでアリを知らないのですが、資本論の流れで知ったかぶりです。
ああ、そういうことなんです。
今、同じようなシチュエーションで、私が「マニー・パッキャオ」と言ったら、普通に「誰それ?」としかなりません。
先生と右翼と私が盛り上がる中で、私と同年輩の右翼のヒヨコは無口で黙ったままでした。
それでも、それから毎年、ヒヨコは年賀状を送ってくれてるのです。彼の几帳面な正確をすりつけたような綺麗な芋版で。
ときどき、5年に1回くらい、オリンピックよりも長い周期で、彼とは会って、私はお酒、彼はお茶を飲むんです。
先日がその周期でした。どちらからともなく電話して、メールじゃないんです、電話なんです。今回は私で舞台も靖国神社で。
今日は好天夕焼け空が美しかった!そして、ここにもあった麗しき酒樽たち!
いろんな人生があります。
彼は自分が信じた「美しい国」の再建を目指してます。私から見たら「そもそも『美しい国』なんて存在したのか?」とも思います。
彼は「じゃあ、そもそも、なかったとしよう。でも私たちが考える『美しい国』は美しくないと思うかい?」。
めっちゃくちゃ硬い話なんですが、二人とも笑いながら言葉を交わしてるので、普通に昔話、世間話をしてるようにしか見えないかもしれません。
靖国神社からすぐの街中華「洋々亭」で餃子をつまみながらバカ2人が日本の未来を憂うのです。まずは己の未来を心配せー!ちゅう話ですな。
醤油も酢もラー油もどれもこれも容器もテーブルも油でギトギト。この餃子は500円、ラーメン450円。すぐ近くにきっとギトギトじゃない「日高屋」もありましたが、バカと右翼の眼中にはない!
前に書いた「地面師」の話もそうですが、高校時代、大学時代の私の周りには変な奴がひしめいていました。
私もまた変な奴だったということですが…。
地面師になった委員長の彼女。初めて会ったときから右翼だった彼。
私は彼女や彼に「お前は真面目だな、真っ正直に生きたんだな」と半ば呆れて言いますが、彼らは私が一番、真っ正直で変わらない、と笑ってくれます。
もはや普通の世界にいない彼女は「アティーブメントテストで1番だと自慢してたの一生忘れない、本当のバカっているんだと思った」と可愛く笑い、世間からは白い目で見られる右翼の彼も「例のテストで面白いことしたバカを紹介したいって言われて会ったのがお前だった」と、街宣車でがなりたてる声とは違う小さな声で笑ってくれます。
でも、いつのまにか、そんな変な奴らは私から遠ざかっていきました。
いつのまにか、連絡を取るのは私からだけになってます。
私に気を使ってくれてアッチ(この表現いいですね、ぴったりです)から連絡しないでいてくれるのか。
それとも、面白い友達の枠から、私は外れてしまったのか。
……いつのまにか、私が彼らのような変な奴じゃなくなってるのだとしたら、それはそれでかなり寂しい気もしてしまいます。



コメント