今日の大手新聞朝刊で大きく取り上げられた「読解力 続落 日本15位」。

世界79の国と地域で15歳を対象に経済開発協力機構(OECD)が3年ごとに実施している学習到達度調査(PISA)の結果で、2018年の結果は「読解力」が前回よりも12点低い504点と伸び悩み、前回8位から大きく順位を落としてしまいました。

最初にお断りしておくと、OECDとかPISAとかアルファベットを並べた団体や呼称にはロクなものがありません。

私の嫌いな団体よりも文字数が一つ多い4文字のようですが、所詮はアルファベット団体です。

こんなアルファベット団体ごときの「12点低いのは誤差の範囲ではなく理由のある低下」という指摘を真に受けてガッカリする必要など全くありません。

PISAは2000年から実施されているのですが、日本は第2回となる03年の結果でも「読解力」が急落。教育現場では「PISAショック」と深刻に受け止められ、文部科学省が「ゆとり教育」から大きく方向転換するきっかけになっていました。

文明崩壊についての資料から読解力を問う出題は悪ふざけとしか思えません。あんな問題で読解力など測れるわけもなく、模範解答も酷いものでした。

そもそも「読解力」とは何か?なんて「強さ」とは何か?、にもつながる命題です。


読解力が第三者である採点者に評価が委ねられる限り「自分がどれほど理解しているか」ではなく「理解していることを採点者にいかに有効に伝えられるか」であることは当然です。

受験なんかは全てそうです。

その採点者がOECDのように程度の低い場合は受験者の不幸ですが。

もちろん「理解していることを採点者に有効に伝えられる」ことが「しっかり理解していること」とほぼイコールであるのも明らかです。
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しかし、それはつまり「第三者にわかりやすく説明できる」言葉巧みな人が高得点を上げる一方で、感覚的には深く理解し実践も出来る」天才は低い点数に甘んじることになります。

前者は評論家であり、後者は芸術家やアスリートです。

優れた評論家を育成するようなテストは不要とは言いませんが、そればっかりでは未来は真っ暗です。

ちなみに今回のトップは「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の三部門とも北京・上海など中国都市部が独占。

三部門ともトップ3までがアジアで、トップ10まで広げてみてもアジアの強さが際立っています。この傾向は、PISAが始まってから変わりません。

シンガポール、マカオ、香港、台湾、韓国、日本…秀才教育に熱心な国々が上位に並んでいるのを見直すと、PISAの輪郭がよく見えてきます。

さぞかし、立派な評論家が育つことでしょう。

PISAは馬鹿試験ですが、その結果を受けて教育方針がグラグラする国はもっと馬鹿です。