「4-Belt Era 」は1988年にWBOが産み落とされたことで幕が開けられます。誰も見たくなかった「世界王者が同一階級に4人も乱立する」喜劇の始まりです。

最初にWBOを耳にした人は「UFOみたいだな」とバカにしたものですが、確かにその通りで胡散臭い未確認承認団体がまた一つ姿を現したのです。

日本では2013年、JBCがIBFとWBOの両団体を正式に承認し加盟する事を決定、本格的な「4-Belt Era 」に突入します。

しかし、すでに世界は4つに分裂していましたからWBOが明白な存在感を獲得した1990年代から2013年までの23年間で世界戦のリングに上がった日本のボクサーは「4分の1の世界」で戦っていたことに変わりはありません。

この1990年。世界地図に日本人世界王者の名前はありませんでした。1988年11月13日に井岡弘樹がWBCストロー級のストラップをナパ・キャットワンチャイに強奪されて以来、1年3ヶ月の大空位時代のトンネルに入っていたのです。
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「たった1年3ヶ月で大空位時代だなんて大袈裟な」などと言うなかれ。この間、21人の日本のチャレンジャーがことごとく世界の壁に跳ね返されていたのです。

逆にみるとわずか15ヶ月(約450日)で21人、約21日に1人が世界に挑戦していたことになります。

多くのスポーツファンにとって世界戦は特別なイベントとは言えなくなって久しい歳月が流れていました。

日本ボクシング史上、最も長い大空位時代は1954年5月24日に白井義男がパスカル・ペレス(カマチョチェック※)に敗れて世界フライ級王者から陥落、1962年10月10日にファイティング原田がポーン・キングピッチを倒してフライ級(かまちょチェック※)世界王者の座に就くまでの8年4ヶ月、ちょうど100ヶ月でした。

※コメント欄で指摘されて訂正。白井を下したペレスと、キングピッチの階級を間違えるとは…トホホな脳みそです。

大橋がピリオドを打ったのは15ヶ月のトンネルでした。原田は約7倍も長いトンネルをくぐり抜けてくれたのです。

そして、7倍も長い歳月で世界に挑戦したのはたったの9人。連続失敗の屈辱を止めたのは大橋秀行が21、原田は9でした。

15ヶ月で21人。100ヶ月で9人。

白井・原田の世界王座の数が8〜10しかなかった時代から、大橋の4団体17階級時代。あらゆる意味で白井・原田の時代は世界王者の地位も価値も高く、大橋の時代は失墜していました。

「白井と原田は偉大」「大橋は彼らの時代なら世界王者になれなかった」というのは簡単です。そしてそれは間違っていないでしょう。

1960年代までの世界王者は全員、1人残らずUndisputed Championで、ストロー級もジュニアフライ級もない時代ですからあらゆる意味で「150年に1度の天才」が世界王者になったとは考えられません。

しかし「どちらの時代のボクサーが幸せか?」と聞かれると、どうでしょうか。

安直なアナウンサーが「議論する余地のない世界王者〜」とリング上で吐き出してしまうことでしかUndisputed Champion になれない五里霧中の時代「4-Belt Era 」。

もう一つ、質問です。

「どちらの時代のボクサーが好きか?」。そう聞かれると、どうでしょうか。

そうですね、どちらが好きか、私はどっちかというと、…。