いよいよあと3週間と2日。
引き続きと世界評価(リング誌PFP)を時系列に沿って辿りながら、現在の戦力を推定してゆきます。
前回は2007年、IBF/IBOフライ級王者ビック・ダルチニアンを大番狂わせでKOしたところまで、でした。
この人生を変えた1試合でドネアは一躍、ボクシングマニアの間にその名を轟かせPFP10傑入り。
ダルチニアンから強奪した王座は3度防衛、3試合とも全てKOでした。3人の犠牲者リストにはのちの王者モルティ・ムザラネの名前も刻まれています。
しかし、スターダムへの階段は雑念と誘惑で出来ています。リングの中で成し遂げた偉業は、リングの外の輩が貪りに来るのは世の常です。
2008年は雑念と誘惑に足を踏み外してもおかしくない年でした。
婚約者でモデルのレイチェル・マーシャルがドネアのスポークスマンのように振る舞い、ドネアSr.との関係がこじれます。
ボブ・アラムに入れ知恵されたドネアはプロモーターのゲイリー・ショーと報酬を巡って対立、トップランクと契約。このときショーに突きつけたのもthe Muhammad Ali Act 、いわゆるアリ法です。
アリの偉大さは計り知れませんが、どこかでこの有名な条例についても考えてみたいものです。
ボブ・アラムはドネアを傘下に加えて「フィリピンの二つ目の宝石だ。ネクスト・パッキャオだ」と公言、ドネアの「パッキャオと比較するような発言は控えてくれ」というリクエストを無視します。
しかし、それも無理はありません。ボクシング界にとって2008年がどういう年だったかを考えれば、誰もアラムを責めることは出来ないでしょう。
そして、2009年に多くの識者が「ドネアの全盛期・適性階級」と認めるジュニアバンタム級へ進出。8月15日にラファエル・コンセプションを判定で下してWBA暫定王座に。
皮肉なことに、世界的には王者と認められていないWBA暫定王として戦った「本当のプライムタイム」11ヶ月3試合では強豪と呼べる相手との手合わせはありませんでした。
3団体統一王者として一足先に115ポンドを制圧していたダルチニアンとの決着戦が実現しなかったのは、軽量級史上で最も残念すぎる Unfinished Business の一つです。
2010年12月4日にはシドニー五輪銅メダリストで元WBAバンタム級王者のウラジミール・シドレンコを4ラウンドでなぎ倒して圧勝。バンタム級で狼煙を上げます。
この時点でPFPは6位まで上昇。
そして2011年2月9日。長谷川穂積を番狂わせで破りPFPファイター入りまで果たしていたWBO/WBC2団体統一王者フェルナンド・モンティエルに挑戦。
リング誌ではバンタム級1位に評価されていたモンティエルでしたが下馬評は、ドネア圧倒的有利。ドネアからは「2ラウンドKO」予告まで飛び出します。
モンティエルに勝ってPFPランキングは3位まで沸騰しました。軽量級としては破格の評価を得たドネアでしたが、この試合でようやくHBOデビュー。プロ11年目、27戦目のことでした。
米国市場で軽量級がいかに軽視(無視?)されているかが、よくわかる事象です。
モンティエルから強奪したタイトルは10月12日に「キャリアで最も楽な相手。勝つ気がない」というオマール・ナルバエスを三者ともに120-108の完封劇で初防衛。
フィリピンの閃光はPFP3位まで評価を高め、軽量級史上初の1位の座も視界に捉えます。
2012年にはジュニアフェザー級にクラスを上げてウィルフレド・バスケスJr.と争った空位のWBO王座を獲得。3階級制覇に成功(世界的にはWBA暫定だったジュニアバンタムはカウントされません)。
IBF王者ジェフリー・マセブラ(7月7日:3−0判定勝利)、西岡利晃(2012年10月13日:9ラウンドTKO)、ホルヘ・アルセ(2012年12月15日:3ラウンドKO)と122ポンドの実力者に圧勝。
2013年4月13日、ニューヨークの小さなミュージックホールでWBA王者ギレルモ・リゴンドーとの大一番に挑みます。
6415人を収容した箱を「小さな」と表現するのは間違いかもしれませんが、同じニューヨークのMSGやバークレイズセンターといった会場とは規模も格も違います。
軽量級ではPFPファイター対決ですらMSGクラスの会場が舞台になることがない、それが米国市場の現実です。

引き続きと世界評価(リング誌PFP)を時系列に沿って辿りながら、現在の戦力を推定してゆきます。
前回は2007年、IBF/IBOフライ級王者ビック・ダルチニアンを大番狂わせでKOしたところまで、でした。
この人生を変えた1試合でドネアは一躍、ボクシングマニアの間にその名を轟かせPFP10傑入り。
ダルチニアンから強奪した王座は3度防衛、3試合とも全てKOでした。3人の犠牲者リストにはのちの王者モルティ・ムザラネの名前も刻まれています。
しかし、スターダムへの階段は雑念と誘惑で出来ています。リングの中で成し遂げた偉業は、リングの外の輩が貪りに来るのは世の常です。
2008年は雑念と誘惑に足を踏み外してもおかしくない年でした。
婚約者でモデルのレイチェル・マーシャルがドネアのスポークスマンのように振る舞い、ドネアSr.との関係がこじれます。
ボブ・アラムに入れ知恵されたドネアはプロモーターのゲイリー・ショーと報酬を巡って対立、トップランクと契約。このときショーに突きつけたのもthe Muhammad Ali Act 、いわゆるアリ法です。
アリの偉大さは計り知れませんが、どこかでこの有名な条例についても考えてみたいものです。
ボブ・アラムはドネアを傘下に加えて「フィリピンの二つ目の宝石だ。ネクスト・パッキャオだ」と公言、ドネアの「パッキャオと比較するような発言は控えてくれ」というリクエストを無視します。
しかし、それも無理はありません。ボクシング界にとって2008年がどういう年だったかを考えれば、誰もアラムを責めることは出来ないでしょう。
そして、2009年に多くの識者が「ドネアの全盛期・適性階級」と認めるジュニアバンタム級へ進出。8月15日にラファエル・コンセプションを判定で下してWBA暫定王座に。
皮肉なことに、世界的には王者と認められていないWBA暫定王として戦った「本当のプライムタイム」11ヶ月3試合では強豪と呼べる相手との手合わせはありませんでした。
3団体統一王者として一足先に115ポンドを制圧していたダルチニアンとの決着戦が実現しなかったのは、軽量級史上で最も残念すぎる Unfinished Business の一つです。
2010年12月4日にはシドニー五輪銅メダリストで元WBAバンタム級王者のウラジミール・シドレンコを4ラウンドでなぎ倒して圧勝。バンタム級で狼煙を上げます。
この時点でPFPは6位まで上昇。
そして2011年2月9日。長谷川穂積を番狂わせで破りPFPファイター入りまで果たしていたWBO/WBC2団体統一王者フェルナンド・モンティエルに挑戦。
リング誌ではバンタム級1位に評価されていたモンティエルでしたが下馬評は、ドネア圧倒的有利。ドネアからは「2ラウンドKO」予告まで飛び出します。
モンティエルに勝ってPFPランキングは3位まで沸騰しました。軽量級としては破格の評価を得たドネアでしたが、この試合でようやくHBOデビュー。プロ11年目、27戦目のことでした。
米国市場で軽量級がいかに軽視(無視?)されているかが、よくわかる事象です。
モンティエルから強奪したタイトルは10月12日に「キャリアで最も楽な相手。勝つ気がない」というオマール・ナルバエスを三者ともに120-108の完封劇で初防衛。
フィリピンの閃光はPFP3位まで評価を高め、軽量級史上初の1位の座も視界に捉えます。
2012年にはジュニアフェザー級にクラスを上げてウィルフレド・バスケスJr.と争った空位のWBO王座を獲得。3階級制覇に成功(世界的にはWBA暫定だったジュニアバンタムはカウントされません)。
IBF王者ジェフリー・マセブラ(7月7日:3−0判定勝利)、西岡利晃(2012年10月13日:9ラウンドTKO)、ホルヘ・アルセ(2012年12月15日:3ラウンドKO)と122ポンドの実力者に圧勝。
2013年4月13日、ニューヨークの小さなミュージックホールでWBA王者ギレルモ・リゴンドーとの大一番に挑みます。
6415人を収容した箱を「小さな」と表現するのは間違いかもしれませんが、同じニューヨークのMSGやバークレイズセンターといった会場とは規模も格も違います。
軽量級ではPFPファイター対決ですらMSGクラスの会場が舞台になることがない、それが米国市場の現実です。

右のリングシューズに漢字で「閃」、左に「光」。いいですね〜、ドネア。
ドネアはこの試合でキャリアハイの132万ドルを手にしますが、同時に多くのものを失ってしまいました。
小さなミュージックホールで行われたにもかかわらず、この破格の報酬はHBOとトップランクが捻出したものでした。
ボブ・アラムにとって、ゴールデンボーイ・プロモーションとの引き抜きを阻止したものの、ドネアは興行的にも赤字、不良債権になっていきます。
| Donaire | Rigondeaux | |
| Thrown | 352 | 396 |
| Landed | 82 | 129 |
| Pct | 23% | 33% |
フィリピンの閃光が思い描いた「ライト級まで制覇」という野望にも赤信号が灯ります。
フェザー級では、ビック・ダルチニアンとの遅すぎた再戦に大苦戦の末に逆転KO勝ち。シンピウェ・ベチャカのWBAタイトルを奪うも、完全に限界が見えました。
2014年10月18日、自身が大苦戦したダルチニアンを5ラウンドKOで屠った最強挑戦者ニコラス・ウォータースにキャリア初のKO負けで粉砕されてしまいます。
「軽量級でも限界が見えたドネアの商品価値は低い」。そう考えたプロモーターがやることは一つです。
次のスターの踏み台です。トップランクの厳しいマッチメイクの要求に耐えられなくなったドネアに、アラムは武士の情け、違約金無しでドネアとの契約を途中解除します。
そして、ドネアはリチャード・シェーファーのRingstar Sportsに拾われます。
厳しい世界です。
その後、ドネアはジュニアフェザー級のタイトルを取り戻しますが、フェザーの壁に跳ね返された〝出戻り感〟は拭えず「ライト級まで制覇してPPVスター」の夢は実現することが出来ませんでした。
昨年4月に英国のスター選手カール・フランプトンに完敗したとき、多くのメディアやファンが「引退すべき」と声をあげました。
私も「ここが潮時」と書きましたが…。

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