極真空手時代に“熊殺し”の異名をとった、ウィリー・ウィリアムスが6月7日(金)、天国に召されました。享年67歳。
 

100071048_24L

あらためて見ると明らかに「恐怖新聞」。幻想が否定されない素晴らしい時代でした!



1980年(頃)。中学生の私はプロ野球選手になれると真剣に考えながら、野球部の練習に明け暮れていました。


「江川のストレートなら打てる」と盲信していた私の腐った頭の中では、当然のことながらさまざまな根拠の無い自信と妄想が渦巻いていました。

3年になれば報徳学園や東海大姫路ら名門校のスカウトが我が家に押し寄せる…巨人からドラ1で指名されて東京に行く…。

当時はそんな言葉などありませんでしたが、重度の中二病を小学校5、6年生で発症、中三の阪神大会準決勝で格下と思ってた学校にコールドまがいな惨敗を喫するまで、完治しませんでした…。



アンソニー・ジョシュア!実は俺もお前の気持ちがよくわかるぜ!うまくいかないときって、どんどんドツボにハマってくんだよな…。

レベルが全然違うけど…。


そんな1980年(頃)。

ファイティング原田など名前しか知らなかったくせに「具志堅用高は100年に一度の天才」と信じ「モハメド・アリのザ・グレーテストは史上最強のこと」と信じ…

そして「ウィリー・ウィリアムスはヒグマを倒した」ことも自分の目で見たかのように信じていました。


アドレナリンだだ漏れ状態で映画「空手バカ一代」を観たとき「巨大熊」のあまりの小ささと、貧弱さに「これは何かの間違いだ」と戸惑いながら家に帰りました。

映画代をくれた父親に「面白かったか?」と聞かれて「当たり前やないか」と強がりましたが、「じゃ観に行こうかな」と言われてしまい…。

私はしどろもどろで「いや、やめといた方がいい、全然大人向けやないし」と必死で行かせまいとしたんです…こういう心理は大人になると理解できませんが…。

映画が期待外れに面白くなかったのはホラ山倍達やホラ原一騎のせいで、私のせいではないのに、きっと今なら「ホラーならぬ〝ホラ〟映画」と笑って伝えられるのでしょうが、当時はなぜか自分が作った恥ずかしい駄作を見られるようで、観られちゃいけない感覚に陥っていました。

※ホラ山もホラ原も、私の人生の殿堂入り、グレートやレジェンドを超えた存在です。 パカにしてるわけじゃないです。

さすがにプロレスが八百長であることも、それがどれだけ強いかを競うのではなく「どれだけ強く見せるか」であることもわかっていましたが…。

それでも「プロレスラーは真剣勝負でも強いかもしれない」という幻想は中二病が治癒したあとも長らく引きずっていました…治ってませんね、中二病。

プロレスはほとんどが八百長でも、中には真剣勝負もある…と信じてました。

桜庭和志はもちろん、アレキサンダー大塚や安田忠夫などガチでも強いプロレスラーはいる。

しかし、グレイシー柔術という黒船に蹂躙され、K1やPRIDEとは全く違う純粋なスポーツを目指すUFCという帝国の出現を目の当たりにして、MMAがプロレスとは全く種目が違うものだと思い知らされてしまいます。

極めて短期間に、UFCは米国でボクシングに並ぶ存在になりました。

日本ではK1もPRIDEも一時的な刹那のスターを産み出すことはあっても、その統括団体が発展することはありませんでした。

UFCもジェームズ・トニーらボクシングのピッグネームを招聘はしますが、それは真剣勝負の中の話です。対戦相手はランディ・クートゥア でした。

UFCはあくまで競技路線を貫き、ボクシングよりも厳格にドーピング検査を実施、ボブ・サップと曙を戦わせるようなあそこまで下劣な見世物に走ることはしません。露骨に魔裟斗や那須川天心有利のルールや仕組みを作ったりなんかしません。

日本独特の閉鎖性、既得権益に敏感なボクシング界だけが問題ではないのです。

選手は純粋に競技としてスポーツとして発展して欲しいと希求しても、暗愚な運営者たちは下劣な見世物という麻薬にどっぷり浸かってしまっているのです。

プロレスラーは強い、という幻想はUFC以前の段階で破壊されます。
 

前田日明は「リングスを五輪競技になるまで高めたい」と語りましたが…。

その同じ口で「(対戦相手と事前に打ち合わせしている疑惑について問い詰められて)そんなこと聞いて何がしたいんだ!リングスを壊したいのか!」と激昂。

全く畑違いのカレリンを呼んだ引退試合の後には「カレリンから初めてエスケープを奪った男と書いてください」と真剣な表情で話して、世間から失笑と軽蔑を買いました。

ボクシング会場に姿を現した前田を見たことがあります。「ガチ童貞!(真剣勝負を一度もしたことがない)」と連呼されて「今からお前とガチやったるわ!」とやはり怒り狂い、ものすごく情けないものを見てしまった残念さにこっちまで恥ずかしくなりました。
 

アントニオ猪木の「シングルマッチで決着をつけようじゃないか」」という挑発にジャイアント馬場が笑って答えた言葉が秀悦です。

「所詮はプロレスじゃないか」。


今から15年ほど前、週刊ファイトを発行していた新大阪新聞社から仕事の依頼が舞い込み、プロレスの話を山ほど聞いたことがありました。

虚々実々ではなく、虚々虚々なプロレスの世界は何らかの翻訳、解説が必要なエンターテイメントです。

野球やボクシングの試合はサイレントで見ても楽しめますが、プロレスではあり得ません。

それでも…。

ボクシングや野球はファンがガッカリして帰ることもありますが、プロレスはそれがあっちゃいけないんです。

五輪金メダルで絶対負けない地味なアンドレ・ウォードみたいなのは、プロレスとは対極にあるキャラクターです。

プロレスでは強いヤツは、顔面や肉体だけでなく指先、髪の毛の先からも強さや恐怖を発散しなければならないのです。

アンドレ・ザ・ジャイアントのように。

ブルーザー・ブロディのように。
 

そして、ウィリー・ウィリアムスのように!

ウィリー・ウィリアムス。あなたの戦慄は、あなたの恐怖は死ぬまで忘れません。  


※ウィリーをプロレスラーと見るのは、きっと違和感強い人が多いでしょうが。