昨年12月23日に「走って見てきた赤煉瓦」 の続きです。
もはや冬は終わり春が来て、桜も開花したというのに、3ヶ月ぶりの続編です。
横浜は日本大通り、馬車道通り、そして海岸通りといい感じの煉瓦造り、石造りの名建築が居並んでいます。
煉瓦造りではジャック、クイーン、キングと愛称される「横浜三塔」と、赤レンガ倉庫が “レンガ四天王” です。
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)は外壁修理中で建物全体が工事用の巨大シートで覆われてしまっていたため、残念ながら拝むことは出来ませんでした。
しかし、クイーンとジャックは雨空の下、しっかりその雄姿を誇って建っていました。
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)は1917年(大正6年)竣工の赤煉瓦建築の最高傑作の一つです。
福田重義と山田七五郎が〝辰野式フリークラシック〟の手法で設計しました。
辰野金吾。
もはや冬は終わり春が来て、桜も開花したというのに、3ヶ月ぶりの続編です。
横浜は日本大通り、馬車道通り、そして海岸通りといい感じの煉瓦造り、石造りの名建築が居並んでいます。
煉瓦造りではジャック、クイーン、キングと愛称される「横浜三塔」と、赤レンガ倉庫が “レンガ四天王” です。
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)は外壁修理中で建物全体が工事用の巨大シートで覆われてしまっていたため、残念ながら拝むことは出来ませんでした。
しかし、クイーンとジャックは雨空の下、しっかりその雄姿を誇って建っていました。
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)は1917年(大正6年)竣工の赤煉瓦建築の最高傑作の一つです。
福田重義と山田七五郎が〝辰野式フリークラシック〟の手法で設計しました。
辰野金吾。
東京駅や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)など日本を代表する数々の赤煉瓦建築を設計した赤煉瓦界のレジェンドです。
開館式には、大隈重信や徳川家達ら政府の要人が臨席したそうです。
時計塔というのもクラシックで格好いいです、素敵です。
ウィキペディアでは「関東大震災で全焼した」とありますが、クイーンの塔(横浜税関)の展示資料(関東大震災直後の周辺の様子)によると、塔の部分は倒壊せずにしっかり残っています(下右上の画像)。
現在のジャックは、1927年(昭和2)年に復元再建されたものですが、威厳も風情もあります。
ジャックの塔。ひたすらに素晴らしい!
続いて、クイーンの塔(横浜税関)。こちらも、塔というだけに塔屋が印象的な建物です。
関東大震災で庁舎が倒壊消失、帝都復興事業の一環として1934年(昭和9年)竣工されました。
なるほど、クイーンと呼ばれるだけにどことなく女性的なフォルムです。
見た通り、赤煉瓦ではなくベージュ色のレンガです。
緑色の帽子(塔屋)が可愛いクイーンですが、赤煉瓦ファンとしては最高評価は出来かねるんです。
赤煉瓦ではないから、というのは二の次の理由で、このレンガは「タイルレンガ(化粧レンガ)」だからです。
つまり、長方体のレンガを積み上げて建てられた〝ガチの煉瓦建築〟のではなく、外壁に化粧をするようにレンガに見せたタイルを貼ったものなのです。
そして、いよいよ!
1912年(大正元年)に架けられた新港橋梁を渡ると赤レンガ倉庫が見えてきます。
赤レンガ倉庫は東洋初の近代埠頭「新港埠頭」に輸出入される貨物を管理するために明治政府が建てた倉庫群です。
1911年(明治44年)に2号棟、1913年(大正2年)に1号棟が竣工(2号棟の方が先に完成した理由はわかりません)。
設計は辰野の後輩で、辰野、片山東熊と並んで明治建築3大巨匠に数えられる妻木頼黄(つまき・よりなか)。

開館式には、大隈重信や徳川家達ら政府の要人が臨席したそうです。
時計塔というのもクラシックで格好いいです、素敵です。
ウィキペディアでは「関東大震災で全焼した」とありますが、クイーンの塔(横浜税関)の展示資料(関東大震災直後の周辺の様子)によると、塔の部分は倒壊せずにしっかり残っています(下右上の画像)。

ジャックの塔。ひたすらに素晴らしい!
続いて、クイーンの塔(横浜税関)。こちらも、塔というだけに塔屋が印象的な建物です。
関東大震災で庁舎が倒壊消失、帝都復興事業の一環として1934年(昭和9年)竣工されました。
なるほど、クイーンと呼ばれるだけにどことなく女性的なフォルムです。
見た通り、赤煉瓦ではなくベージュ色のレンガです。
緑色の帽子(塔屋)が可愛いクイーンですが、赤煉瓦ファンとしては最高評価は出来かねるんです。
赤煉瓦ではないから、というのは二の次の理由で、このレンガは「タイルレンガ(化粧レンガ)」だからです。
つまり、長方体のレンガを積み上げて建てられた〝ガチの煉瓦建築〟のではなく、外壁に化粧をするようにレンガに見せたタイルを貼ったものなのです。
そして、いよいよ!
1912年(大正元年)に架けられた新港橋梁を渡ると赤レンガ倉庫が見えてきます。
赤レンガ倉庫は東洋初の近代埠頭「新港埠頭」に輸出入される貨物を管理するために明治政府が建てた倉庫群です。
1911年(明治44年)に2号棟、1913年(大正2年)に1号棟が竣工(2号棟の方が先に完成した理由はわかりません)。
設計は辰野の後輩で、辰野、片山東熊と並んで明治建築3大巨匠に数えられる妻木頼黄(つまき・よりなか)。

日本初とされる業務用エレベータに避雷針を持ち、背面には鉄骨製の無骨なベランダが設置されていた赤レンガ倉庫。
この二つの倉庫はクイーンのような化粧レンガではなく、本物のレンガを積み上げたものです。
2号棟はレンガの間に鉄骨で補強したことで、関東大震災でも大きな損傷を免れたといいます。
後年、再建した部分は化粧レンガらしい壁面もありましたが、レンガの積み方は基本的にイギリス積みです。
いまや若者が集うお洒落なショッピングモールになってしまいましたが、どうしてどうして明治を今に伝える赤煉瓦は健在でした。
期待通りの赤煉瓦を堪能させていただき帰路に着くべく、新港橋梁を渡ってみると、この橋を支える礎石部分にも赤煉瓦が律儀に積まれていました。
12月の冷たい雨が落ちる午後でしたが、赤レンガ倉庫前の芝生広場ではドイツビールを販売するテントが張られていました。
暖かい日が増えてきた、今日この頃。人の少ない平日に、ちょっとまた走って行きたいものです。
この二つの倉庫はクイーンのような化粧レンガではなく、本物のレンガを積み上げたものです。
2号棟はレンガの間に鉄骨で補強したことで、関東大震災でも大きな損傷を免れたといいます。
後年、再建した部分は化粧レンガらしい壁面もありましたが、レンガの積み方は基本的にイギリス積みです。
いまや若者が集うお洒落なショッピングモールになってしまいましたが、どうしてどうして明治を今に伝える赤煉瓦は健在でした。
期待通りの赤煉瓦を堪能させていただき帰路に着くべく、新港橋梁を渡ってみると、この橋を支える礎石部分にも赤煉瓦が律儀に積まれていました。
12月の冷たい雨が落ちる午後でしたが、赤レンガ倉庫前の芝生広場ではドイツビールを販売するテントが張られていました。
暖かい日が増えてきた、今日この頃。人の少ない平日に、ちょっとまた走って行きたいものです。





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