40歳を超えてもグローブをはずそうとしない、往生際の悪い拳闘家たち。
絶対に勝ち目のない「時間との戦い」に果敢に挑んだ愚か者たちへの賛美歌です。
マニー・パッキャオも来月、ついに足を踏み入れる「恐るべきポスト40クラブ」の偉大なメンバーの足跡を振り返ります。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.③:アーチー・ムーア⌛️
★Post–40 careers=30戦26勝16KO2敗2分(世界戦勝7勝2敗)/通算成績=186勝132KO23敗10分★
真打登場です。今なお、ほぼ全てのメディアが史上最強のPOST-40に推す伝説のチャンピオンです。
〝The Old Mongoose〟
不死身のマングース、アーチー・ムーアです。
40歳を過ぎても現役。POST-40の戦績は26勝16KO2敗2分。2敗はイタリアの世界ランカー(当時の世界ランカーは今のアルファベット世界王者よりも評価も実力も上の時代です)ギウリオ・リナルディと、モハメド・アリに付けられたものでした。
さらに、一団体8階級時代のライトヘビー級王座を4度も防衛しているのです。
POST-40を戦った1957年から1963年までの時代は、まだまだオールド・スクールの時代でした。
「ボクサーは毎朝走らなければならない」「ウェイトトレーニングはしてはいけない(自重を使う筋トレは奨励)」「経験はもちろん技術も試合によって培われる」…今では化石的思考に思われるかもしれませんが、フレディ・ローチやロベルト・ガルシアをはじめオールド・スクールは、今なお米国のトレーナーの哲学です。
有名なクロスアームブロックは、攻撃への切り替えが遅れると時代遅れの技術に成り下ります。
しかし、80年代後半に突如復帰したジョージ・フォアマンがムーアから直接指導を受けた前進しながら使うこのディフェンスでトップ選手の攻撃をことごとく遮断、高速の左ジャブと右の強打をスムースに繋いで見せたとき、オールド・スクールは化石なんかではなく、今なお生きる恐竜であることを世界中が思い知らされることになるのです。
上記のムーアのPOST-40の記録は、諸説あるムーアの出生年を「1916年」とした場合の数字です。
リング誌では「1916年はムーア自身が語っていた数字だ。ただし、その人の出生年を正確に知っているのは当時生まれたばかりの赤ん坊だった本人ではない。最も確実な証人は母親だ。ムーアの母親は『1916年生まれ?そんなわけはない。その年には彼は外を駆け回ってよその子と喧嘩していた。彼が生まれたのは1913年、その場にいた私が言うんだから間違いない』と証言している」として〝1913年説〟を取る記事が多く見られます。
We have to clarify something first. (ムーアの話をするならその前に、彼の出生がいつだったのかを)はっきりさせておかねばならない。〜リング誌
この説を正しいとするとPOST-40のレコードは3年さかのぼり、49戦43勝4敗2分まで伝説は膨張します。
40歳を超えてから不死身のマングースはジョーイ・マキシム、ハロルド・ジョンソン、ニノ・バルデス、ボボ・オルソンらの強豪を倒したのです。
減量幅が大きかったムーアはオーストラリアの原住民アボリジニの食事を取り入れてダイエット、175ポンドのライトヘビー級リミットにきっちり仕上げてきたのもオールド・スクールの職人気質です。
1955年のマルシアノとの世界ヘビー級タイトルマッチのポスターです。この時代ですでに「NO TELEVISION(テレビではやらないからクローズド・サーキットで見ましょう)」でした。
それにしても映画館で生中継するというのに席料が10〜40ドルってバカ高いですね、いくら黄金カードといっても。1955年当時の40ドルって今ならいくらになるのでしょうか。
今の PPVと同じ「マニアを囲って高額な視聴料を徴収する」という愚かなシステムを50年代から取っていたのですから、そりゃ衰退します、ボクシング。
「1913年説」ならロッキー・マルシアノ戦(1955年9月:ヤンキースタジアム=ムーア42歳)、フロイド・パターソン戦(1956年11月:シカゴスタジアム=43歳)、ヘビー級への勇敢な挑戦もPOST-40だったことになります。
40歳を過ぎてからも極彩色のキャリアを刻み続けた偉大なムーア、その最高傑作は1958年、44歳のときにイボン・デュレルの地元モントリオールに乗り込んだ統一世界ライトヘビー級王座、7度目の防衛戦です。
初回、豪腕のカナダ人の猛攻に3度も倒されたムーアは、4回にもダウンを追加され、デュレルを応援する大観衆からは「老人はねぎらってあげよう」とヤジが飛ぶ絶望的な展開になります。
しかし、ムーアはトドメを刺されません。なぜなら不死身のマングースだからです。
7回にダウンを奪い返したムーアは、ガス欠に陥った挑戦者をじわじわと追い込み、3度のダウンを追加して11回にカナダ人をノックアウト!
序盤は「ご老体!」と笑っていた大観衆は、水を打ったように沈黙しました。
ムーアは1974年ザイールはキンシャサに、近代ボクシング最高試合の一つとされるこの試合の8ミリビデオと一緒に乗り込みます。
教え子のジョージ・フォアマンに何度もビデオを見せて「諦めない美学」「逆転の勝負根性」を説きました。
現実は皮肉にも、その美学と根性をアリがこれ以上ない形で具現化することになってしまうのですが…。
キンシャサの奇蹟によって、ジョージ・フォアマンというボクサーは消えて失くなってしまったと思われましたが、1994年に王座返り咲き、45歳9ヶ月の世界最年長の王座獲得記録を打ち立てることになります。
そして、ムーアvsデュレル戦から53年後の2011年5月。
バーナード・ホプキンスがWBCライトヘビー級王者ジャン・パスカルにやはり敵地モントリオールで挑戦、見事に王座獲得。このときホプキンスは46歳4カ月、フォアマンの記録を更新しました。
この試合前、ホプキンスは「私は現代のアーチー・ムーアになる。彼も40代で米国から敵地カナダに乗り込んで世界タイトルマッチを制した。この土曜日に私は53年ぶりのデジャビュをお見せする」と語り、有言実行してみせました。
ムーアとフォアマンとホプキンス。偉大なキャリアを40過ぎでも積み上げたBIG3です。
私はムーアを3位にしてしまいましたが、多くの方は1位にランクするでしょう。
フォアマンとホプキンスを不死身のマングースよりも上にランクした理由は、たった一つです。
ムーアは20年前、1998年に天国に招かれてしまいましたが、この二人はまだ生きているからです。
つまり、彼らのPOST-40はまだ可能性があるということです。
「53歳のホプキンスはまだしも、フォアマンは来年1月で70歳になるんだぞ?リングに復帰するなんてありえない」。
果たしてそうでしょうか?
フォアマンが1987年にリングに舞い戻ってきたとき、私は冷めた目で見ていました。
「アリやフォアマン、彼らの時代はとっくの昔に終わった。科学的なトレーニングで洗練された技術を持つマイク・タイソンら現代のエリートにフォアマンなんて全盛期でも通用しない」。
フォアマンが敗れたとはいえイベンダー・ホリフィールドを追い込み、フォアマンの対戦要求をタイソンがことごとく逃避した現実を目の当たりにしたとき、アリの時代が 恐竜の時代であったことを確信しました。
恐竜の寿命など、矮小で浅はかな現代人に推し量れるものじゃありません。
2位は、ジョージ・フォアマン。
肉体的には全盛期であるはずもなかった80年代後半から90年代前半にかけてのフォアマン。
それでも、速くて強烈な左ジャブと岩のような打たれ強さというフィジカルで、はるか年下の若いトップ選手を圧倒し、〝象をも倒す〟と恐怖された強打は「加齢による衰えが最も遅く、最後に残るのがパワー」ということを世界のスポーツ界に再認識させました。
私がリアルタイムで見ることができたのは、カムバック後のフォアマンですが、ホリフィールドが「全盛期のフォアマンがどれほど強かったのか、想像ができない。私よりはるかに強かったのは間違いない…それにしても、アリはどれほど強かったのだろうか?」と戸惑い気味に語るのも当然なほどの強さでした。
次回は、第2位フォアマンのPOST-40です。
絶対に勝ち目のない「時間との戦い」に果敢に挑んだ愚か者たちへの賛美歌です。
マニー・パッキャオも来月、ついに足を踏み入れる「恐るべきポスト40クラブ」の偉大なメンバーの足跡を振り返ります。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.③:アーチー・ムーア⌛️
★Post–40 careers=30戦26勝16KO2敗2分(世界戦勝7勝2敗)/通算成績=186勝132KO23敗10分★
真打登場です。今なお、ほぼ全てのメディアが史上最強のPOST-40に推す伝説のチャンピオンです。
〝The Old Mongoose〟
不死身のマングース、アーチー・ムーアです。
40歳を過ぎても現役。POST-40の戦績は26勝16KO2敗2分。2敗はイタリアの世界ランカー(当時の世界ランカーは今のアルファベット世界王者よりも評価も実力も上の時代です)ギウリオ・リナルディと、モハメド・アリに付けられたものでした。
さらに、一団体8階級時代のライトヘビー級王座を4度も防衛しているのです。
POST-40を戦った1957年から1963年までの時代は、まだまだオールド・スクールの時代でした。
「ボクサーは毎朝走らなければならない」「ウェイトトレーニングはしてはいけない(自重を使う筋トレは奨励)」「経験はもちろん技術も試合によって培われる」…今では化石的思考に思われるかもしれませんが、フレディ・ローチやロベルト・ガルシアをはじめオールド・スクールは、今なお米国のトレーナーの哲学です。
有名なクロスアームブロックは、攻撃への切り替えが遅れると時代遅れの技術に成り下ります。
しかし、80年代後半に突如復帰したジョージ・フォアマンがムーアから直接指導を受けた前進しながら使うこのディフェンスでトップ選手の攻撃をことごとく遮断、高速の左ジャブと右の強打をスムースに繋いで見せたとき、オールド・スクールは化石なんかではなく、今なお生きる恐竜であることを世界中が思い知らされることになるのです。
上記のムーアのPOST-40の記録は、諸説あるムーアの出生年を「1916年」とした場合の数字です。
リング誌では「1916年はムーア自身が語っていた数字だ。ただし、その人の出生年を正確に知っているのは当時生まれたばかりの赤ん坊だった本人ではない。最も確実な証人は母親だ。ムーアの母親は『1916年生まれ?そんなわけはない。その年には彼は外を駆け回ってよその子と喧嘩していた。彼が生まれたのは1913年、その場にいた私が言うんだから間違いない』と証言している」として〝1913年説〟を取る記事が多く見られます。
We have to clarify something first. (ムーアの話をするならその前に、彼の出生がいつだったのかを)はっきりさせておかねばならない。〜リング誌
この説を正しいとするとPOST-40のレコードは3年さかのぼり、49戦43勝4敗2分まで伝説は膨張します。
40歳を超えてから不死身のマングースはジョーイ・マキシム、ハロルド・ジョンソン、ニノ・バルデス、ボボ・オルソンらの強豪を倒したのです。
減量幅が大きかったムーアはオーストラリアの原住民アボリジニの食事を取り入れてダイエット、175ポンドのライトヘビー級リミットにきっちり仕上げてきたのもオールド・スクールの職人気質です。

それにしても映画館で生中継するというのに席料が10〜40ドルってバカ高いですね、いくら黄金カードといっても。1955年当時の40ドルって今ならいくらになるのでしょうか。
今の PPVと同じ「マニアを囲って高額な視聴料を徴収する」という愚かなシステムを50年代から取っていたのですから、そりゃ衰退します、ボクシング。
「1913年説」ならロッキー・マルシアノ戦(1955年9月:ヤンキースタジアム=ムーア42歳)、フロイド・パターソン戦(1956年11月:シカゴスタジアム=43歳)、ヘビー級への勇敢な挑戦もPOST-40だったことになります。
40歳を過ぎてからも極彩色のキャリアを刻み続けた偉大なムーア、その最高傑作は1958年、44歳のときにイボン・デュレルの地元モントリオールに乗り込んだ統一世界ライトヘビー級王座、7度目の防衛戦です。
初回、豪腕のカナダ人の猛攻に3度も倒されたムーアは、4回にもダウンを追加され、デュレルを応援する大観衆からは「老人はねぎらってあげよう」とヤジが飛ぶ絶望的な展開になります。
しかし、ムーアはトドメを刺されません。なぜなら不死身のマングースだからです。
7回にダウンを奪い返したムーアは、ガス欠に陥った挑戦者をじわじわと追い込み、3度のダウンを追加して11回にカナダ人をノックアウト!
序盤は「ご老体!」と笑っていた大観衆は、水を打ったように沈黙しました。
ムーアは1974年ザイールはキンシャサに、近代ボクシング最高試合の一つとされるこの試合の8ミリビデオと一緒に乗り込みます。
教え子のジョージ・フォアマンに何度もビデオを見せて「諦めない美学」「逆転の勝負根性」を説きました。
現実は皮肉にも、その美学と根性をアリがこれ以上ない形で具現化することになってしまうのですが…。
キンシャサの奇蹟によって、ジョージ・フォアマンというボクサーは消えて失くなってしまったと思われましたが、1994年に王座返り咲き、45歳9ヶ月の世界最年長の王座獲得記録を打ち立てることになります。
そして、ムーアvsデュレル戦から53年後の2011年5月。
バーナード・ホプキンスがWBCライトヘビー級王者ジャン・パスカルにやはり敵地モントリオールで挑戦、見事に王座獲得。このときホプキンスは46歳4カ月、フォアマンの記録を更新しました。
この試合前、ホプキンスは「私は現代のアーチー・ムーアになる。彼も40代で米国から敵地カナダに乗り込んで世界タイトルマッチを制した。この土曜日に私は53年ぶりのデジャビュをお見せする」と語り、有言実行してみせました。
ムーアとフォアマンとホプキンス。偉大なキャリアを40過ぎでも積み上げたBIG3です。
私はムーアを3位にしてしまいましたが、多くの方は1位にランクするでしょう。
フォアマンとホプキンスを不死身のマングースよりも上にランクした理由は、たった一つです。
ムーアは20年前、1998年に天国に招かれてしまいましたが、この二人はまだ生きているからです。
つまり、彼らのPOST-40はまだ可能性があるということです。
「53歳のホプキンスはまだしも、フォアマンは来年1月で70歳になるんだぞ?リングに復帰するなんてありえない」。
果たしてそうでしょうか?
フォアマンが1987年にリングに舞い戻ってきたとき、私は冷めた目で見ていました。
「アリやフォアマン、彼らの時代はとっくの昔に終わった。科学的なトレーニングで洗練された技術を持つマイク・タイソンら現代のエリートにフォアマンなんて全盛期でも通用しない」。
フォアマンが敗れたとはいえイベンダー・ホリフィールドを追い込み、フォアマンの対戦要求をタイソンがことごとく逃避した現実を目の当たりにしたとき、アリの時代が 恐竜の時代であったことを確信しました。
恐竜の寿命など、矮小で浅はかな現代人に推し量れるものじゃありません。
2位は、ジョージ・フォアマン。
肉体的には全盛期であるはずもなかった80年代後半から90年代前半にかけてのフォアマン。
それでも、速くて強烈な左ジャブと岩のような打たれ強さというフィジカルで、はるか年下の若いトップ選手を圧倒し、〝象をも倒す〟と恐怖された強打は「加齢による衰えが最も遅く、最後に残るのがパワー」ということを世界のスポーツ界に再認識させました。
私がリアルタイムで見ることができたのは、カムバック後のフォアマンですが、ホリフィールドが「全盛期のフォアマンがどれほど強かったのか、想像ができない。私よりはるかに強かったのは間違いない…それにしても、アリはどれほど強かったのだろうか?」と戸惑い気味に語るのも当然なほどの強さでした。
次回は、第2位フォアマンのPOST-40です。
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