かつて、プロボクシングとその他プロ格闘技との〝交流〟は、ほとんど一方向にしか流れませんでした。
ボクシングで一世を風靡したスターが、カネのためにその他格闘技のリングに上がる〝都落ち〟という流れです。
このパターンの古典的代表が〝シンデレラ・ボーイ〟西城正三です。
西城は1968年、WBAフェザー級王者ラウル・ロハスを3-0の判定で下して日本人初の海外でのタイトル奪取に成功しました。
当時は日本ボクシング全盛期。ハンサムな無名の若者が、敵地で颯爽とタイトルを奪ったその姿は、伊藤雅雪のメジャー版でした。
このベルトは5度防衛。二団体11階級時代にフェザー級という難関クラスを5度も守ったのです。
そして、1970年。WBAジュニアライト級チャンピオン小林弘と史上初の日本人世界王者同士のビッグファイトのリングに上がりますが、10ラウンド判定負け。
翌1971年にアントニオ・ゴメスの拳に5ラウンドKOで散り、6度目の防衛に失敗、ここでグローブを吊るしました。
しかし、間もなくキックボクサーとしてリングに復帰。
1974年には、後に外国人として史上初のムエタイのラジャダムナン・スタジアム王者となる藤原敏男との「世紀の一戦」に挑むも3ラウンドTKO負け。この試合で、キックボクサーとしても引退します。
意外にもキックのキャリアでの黒星は、藤原に喫したこの1敗のみ。
15勝13KO1敗1分という戦績からも、ボクシング世界王者の名前だけで、中途半端な小遣い稼ぎを考えたわけではなかったようです。
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中途半端なキックボクサー転身といえば、リディック・ボウです。
2013年6月14日、タイ・パタヤでマイナー団体のスーパーヘビー級暫定王者決定戦に出場、レフゲン・ゴロウィンのキックに倒されて2ラウンドTKO負け。
娘のモーガンに励まされ、笑ってみせるボウでしたが、妻テリの肩を抱き、足を引きずりながら退場する姿には哀愁が漂っていました。45歳、300ポンドまで膨張していたビッグダディは1996年の引退からDVや自己破産を繰り返し、裁判所通いの毎日。カムバックと引退を繰り返した末の、キック挑戦でしたが、無残な結果に終わりました。
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ボウと同じ「都落ちのブルース」をコミカルに歌い上げたのがジェームズ・トニーです。
「今まで教えたボクサーで最も才能があったのは誰か?」と問われたフレディ・ローチが間髪置かずに答えた、その名前がトニー。
この歴史あるスポーツで多くの識者が「才能だけなら」と認める天賦の人です。

殿堂確実の偉大なボクサー、トニーはありえないことですが、彼がボクシングに100%の情熱を捧げたことは一度もなかっだのです。
ローチだけではなく、彼をよく知る多くの専門家も「カルロス・モンソンは練習嫌い、ロベルト・デュランのトレーニングは手抜きとかいっても、それは練習熱心な選手と比べてのことで、彼らは要領をわかっていた。トニーはそんなレベルではない」と驚くほど自堕落な生活を送りながらリングに上がり、マイケル・ナンやアイラン・バークレーをKO、ついにはイベンダー・ホリフィールドまでノックアウトしてしまったのです。
そして2010年8月、UFCにデビュー。「俺は心を入れ替えた。生まれてはじめて辛い練習をした」とランディ・クートゥアに挑みましたが、あっけなく肩固めで1ラウンド1本負け。
完全に極められたサブミッションの激痛に顔を歪めながらも、レフェリーがストップするまでよく耐えたとも見えましたが「殺されるかと思った。え?参った(タップ)したら良かったのか?」とありえないコメント。
なんと、タップも勉強せずにケージに入っていたのです。
「カメラが回ってる時に見せた練習が、俺がやった全ての練習だった。一発パンチが入れば終わると思ってたから、練習の必要はないと思ったが、結果として練習不足だった」。
MMAに対して、クートゥアに対して失礼すぎます。
トニーの都落ちには、哀愁も同情も湧いてきません。
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「ボクシングのスターからキックへ」。都落ちのブルースが聞こえて来る、この〝泪橋〟を大手を振って渡ったのが魔娑斗でした。
魔娑斗はボクシングでは何の結果も残せていないので「ボクシングのスターからキックへ」という定義はあてはまりませんが、ボクサーへの夢を捨ててキックで大きな成功を収めた稀有な才能でした。
しかし、2003年K1ワールドMAXで優勝した控え室で「この勝利は大きい。(ボクシングの)WBAやWBCと同じくらい価値がある」と、カメラが回る中で自分に納得させるように語ったように、ボクシングの世界に恋い焦がれ続けたキックボクサーでした。
「ラスベガスでビッグマッチ」も口癖でしたが、そもそも米国にはキックの需要はありません。
ベガスでキックのビッグマッチなどアラブで冬季五輪を開催するくらいにありえないことでしたが、魔娑斗の目はいつも悲しいほど真剣でした。
日本人のボクシング世界王者よりもはるかに有名で、大きな報酬を得ていたにもかかわらず「K1で三連覇したらバーナード・ホプキンスと戦って引退したい」「オスカー・デラホーヤと戦いたい」。
K1で頂点に立ちながらも、ボクシングへの憧憬を隠さない魔娑斗の姿は、哀れにも映りました。
魔裟斗には「キックをボクシングよりもメジャーにしたい。日本ではその目標は達成できそうな手応えがある。それができたら、次はアメリカだ」という前向きな姿勢を見せて欲しかった、と感じました。
もしかしたら、今の那須川天心を最も羨望しているのは魔娑斗かもしれません。
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「落ち目のボクサーがその他格闘技で小遣い稼ぎ」。
この哀愁のブルースをひっくり返して「その他格闘技のスターが、トップボクサーと戦って記録的な大金稼ぎ」をやってのけたのがコナー・マクレガーでした。
構図としては、先日発表された「那須川vsメイウェザー」と同じです。
しかしマクレガーと那須川では〝その他格闘技〟の次元が違いました。
トニーのようなボクシングのレジェンドまでが引きずり上げられるUFCのケージは、極東の島国で細々と開催しているRIZINとはレベルもスケールも別物でした。
すでに1試合で300万ドルを稼いでいたマクレガーは、メイウェザーとの1億ドルマッチに乗り出す以外にはボクシングへの魅力は全く感じていなかったはずです。
「亀田興毅に勝ったら1000万円」に手を挙げた那須川とは、何もかもが違う〝その他格闘技〟の枠を超えたスーパースターだったのです。
メイウェザーvsマクレガー。この〝サーカス〟にはボクシングの凋落と、まだ微かに残る権威、そして逞しく勃興してきたMMAの姿が鮮やかに映し出されていました。
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最後に、格闘技から離れてしまいます。
しかし「マイナー競技のスターがメジャー競技へ 恋い焦がれる」という大恋愛の図式は全く同じです。
むしろ、格闘技におけるそれよりも遥かに純粋で、それゆえに強烈な共感を呼んだかもしれません。
2011年のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから7位指名を受けた大嶋匠です。
大嶋は硬式野球の経験がゼロ、中学からソフトボールの超トップ選手として早稲田大では日本代表にも選ばれ国際大会でも活躍しました。
男子ソフトボール。
その特異で小さなフィールドから仰ぎ見る硬式野球、とりわけ華やかなプロ野球は、はどれほど眩しく映ったことでしょう。
「男子のソフトボールなんてあるんだ?」
「どうして野球をやらなかったの?」
何度も聞かれた質問に、いつも辟易としたことでしょう。
進学した中学に野球部がなかったため、その代替として始めたソフトボール。
大嶋もまた、蟷螂の斧を振りかざし、巨大な風車に果敢に挑んだドン・キホーテでした。
その志は、大金目当てのマクレガーよりも高尚で、メイウェザーだからとルールも報酬も聞かずに〝無条件承諾〟した那須川よりも遥かに純粋なものでした。
2012年のキャンプ、紅白戦の〝プロ初打席〟でホームランを放った大嶋でしたが、一軍の壁に阻まれ続け、一軍初安打は5年目の2016年のことでした。
そして、今年10月にSNSで現役引退を表明。
大嶋が夢を賭けて挑んだ舞台は、サーカスでも茶番劇でもない、正真正銘のプロ野球のフィールドでした。
近未来、ボクシングが更に凋落して、プロ格闘技の盟主の座をMMAに蹴落とされたとします。
ボクシングファンとしては悲しい未来ですが、十分に可能性のある未来です。
そんな時代、ボクシングのPFPキングが世間の耳目を引くためにMMAのケージに足を踏み入れるとしたら、やはりそんな必要はない!と心の底から叫びます。
もちろん、那須川天心の気持ちもよく分かります。
マイナー競技の代表として、RIZINを世界に知らしめたい。那須川天心という名を、世界に轟かせたい。
その目的を達成するのに、手段の是非を問うのが愚かなほどに、フロイド・メイウェザーという名前は巨大なのかもしれません。
しかし、それでも。
キックボクシングやRIZINを本当に愛するファンなら、こんな一晩限りの低俗なサーカスを開催するカネとエネルギーがあるのなら、もっとハイレベルなキックやMMAをマッチアップして欲しい、面白い試合をした選手が「よし、次また頑張るぞ」と動機付けることができる報酬を用意してあげて欲しい…そう思うのが自然じゃないでしょうか…。
異論反論あるとは思いますが、自分の大好きなスポーツのスター選手が、そのスポーツの形を歪めてまでも、メジャーに土下座的に擦り寄る姿は見たくはありません。
コメント
コメント一覧 (1)
ロイジョーンズのバスケ挑戦はどうなんですか?
彼はボクシングから見てNBAというのは上の世界だと思ってたんでしょうかね。なんというか、90年代以降ぐらいからアメリカのボクシング界のヒーローにNBA選手に対する劣等感みたいなものがあるように思います。
亡くなった人の事言いたくないけどもウィテカーが昔NBAのオールスターのパーティーで取り巻きと一緒に行って、そこで乱闘騒ぎを起こしてしまった事があったんですが(90年代位でした)あれもそうなのかと今となっては思います。後、メイウェザーレブロンに対する俺の方が凄い発言https://the-ans.jp/news/105211/とかマッチアップの要求とかそういう事じゃないかと思います。
フシ穴の眼
が
しました