どうしてMLBを観るのか。
多くの人は「日本人の活躍が気になるから」と答えるでしょう。
それは、欧州サッカーでも四大テニスでも同じです。
もっと正確に言うと「〝世界最高峰の舞台で〟日本人の活躍が気になるから」です。
しかし、日本人が出場してないと一気に興味を失ってしまう人がほとんど、というのは「誰が出ようがその競技の最高峰が観たいのだ!」という国境や人種を超えた最も健康的な姿勢からは一歩引いたものです。
それでも「最高峰を見たい」という至極真っ当な思いが根幹にあることは間違いありません。
スポーツにおける、この健康的で至極真っ当な思いと対極にあるのが、興味本位の野次馬根性だけを刺激する下品なショーです。
「異種格闘技戦」と呼ばれるイベントのほとんどが、この類のショーと言い切っても差し支えありません。
破談に終わったフロイド・メイウェザーvs那須川天心も、この類のショーです。
かつてPFPキングだった41歳の元ボクサーと、現役バリバリ20歳のキックボクサーが、どうやらヘンテコなルールで、非公式の何かをするらしい。
もはや、メイウェザーはボクシングの世界最高峰ではありません。もしそうだとしても、キックボクサー相手に最高峰の技術を見せることなど出来るわけもありません。
キックが本職の那須川にしても、ただの1試合もしたことがないボクシングルールは世界最高峰どころか、日本ランカーレベルも極めて怪しいレベルです。
カネ目当ての銭ゲバと、勇名を馳せたい若者が、全く脈絡のない舞台で低レベルな試合を野次馬相手に披露する。
そこには4回戦ボーイの上昇志向も、世界王者の矜持もありません。
もし何かがあるとしたら、無名の自分に忸怩する那須川の純情、厳しい言い方になりますが幼稚な純情です。
「異種格闘技戦」と呼ばれるイベントのほとんどが、下劣なショーと言い切っても差し支えありません。
…「ほとんど」です。つまり、中には、そうでないものもあるのです。
今年9月の那須川vs堀口恭司は、キックルールで行われました。
しかし、この試合は那須川と戦いたい堀口が土下座交渉して実現したのではありません。空手がバックボーンという共通点を持つキックボクサーと総合格闘家が対等の立場で、相思相愛でリングに上がったのです。
そこには下衆な野次馬根性を見出すのは、難しい作業でした。
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ウサイン・ボルトのサッカー挑戦も、広義の異種格闘技戦です。

2018年W杯の公式時計ウブロのアンバサダーとしても、ボルトはマラドーナ(後方)らとともにアンバサダー(広告大使)を務めました(写真はウブロが表参道ヒルズに出店したポップアップブティック)。
しかし。ボルトのサッカー挑戦は、下衆な野次馬根性を刺激する見世物でした。
昨日、豪州Aリーグのセントラル・コースト・マリナーズは練習生として契約していたボルトと正式契約は結ばないと発表しました。当然の判断です。
ボルト挑戦のニュースは世界中に配信され、その広報効果は3000万ドル、日本円で30億円を超えるという試算もあります。
商業的な観点、プロの立場からはボルトとの正式契約は意味があります。
ただ、それは非常に短期的なもので、長期的にはマイナスでしかありません。
もし、ボルトとマリナーズが選手契約を結べば、今以上の露出が期待できるでしょう。ボルトを予告先発させる試合の放映権を世界中のメディアが高額で買うのも間違いありません。
しかし、その効果は年々加速度的に右肩下がりを辿ることになります。
そして、豪州リーグのイメージは「ボルトを買ったサーカスリーグ」「中身のないリーグ」というマイナスイメージが増幅されることになります。
ボルト〝解雇〟の背景にはスポンサーの問題が横たわっており、素直に「英断」と評価しづらいのですが、〝異種格闘技〟の茶番に足を踏み入れなかったことは、豪州リーグにとって幸いでした。
これからはお国柄の「強いフィジカル」「奔放自由なサッカー」「明るく平和的なサポーター」という真正面から豪州リーグを訴求、発展して欲しいと願っています。
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ボルトの「サッカー」と同じく、バスケットボールで世界の頂点を極めたマイケル・ジョーダンにとっての「野球」は憧れフィールドでした。
ジョーダンはマイナーリーグからメジャーを目指し、ボルトと違い過剰な露出を嫌ったことで一線を画します。
コネ入団という批判はありましたが、ジョーダンは一選手としてマイナーに真剣に挑戦し、公平な競争に敗れてユニフォームを脱ぎました。
世界最高のスポーツセレブが、マイナーリーグの粗末で狭い長距離移動バスでアメリカ大陸をサーキットし、過酷な試合と練習に全身全霊を捧げたのです(さすがにしばらくしてオンボロバスは自腹で買い換えましたが)。
ベースボールプレイヤーとしてのジョーダンもまたドンキホーテでしたが、その蟷螂の斧はどこまでも澄み切って、まぶしく輝いていました。
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筋肉細胞ではなく、脳細胞を究極に駆使するという意味では羽生善治もトップアスリートでしょう。
史上最高の棋士である羽生は国内外のチェスの大会に参加する〝異種格闘技戦〟のプレイヤーです。
彼がチェスの大会にエントリーするのは賞金や話題性を狙っているわけではありません。
「挑戦者の立場で思い切りぶつかることができるステージ」 「将棋に還元できる発想がある」など銭ゲバや野次馬とは全く違う、本物の勝負師としての欲求に従ったものでした。
「カネが欲しい、有名になりたい。犯罪行為は抜きにして、そのための手段は問わない」。
そんな下衆な欲求からは遊離した、愛する将棋をさらに愛する行為です。
将棋や囲碁、チェスの棋士が、AIやコンピュータとの対戦に挑むのも、あれも〝異種(競技ではなくプレーヤーが異種の)格闘技戦〟ですが、野次馬的な興味も集めるとはいえ、競技の発展につながる健康的な取り組みです。
羽生のケースは「蟷螂の斧」と揶揄するのは不適当かもしれません。
そもそも羽生は〝風車側の人間〟です。
彼にとってのチェスは、巨大な風車を離れて、蟷螂の眼から風車を見て、風車をさらに堅牢にするにはどうしたらいいのかを、冷徹に分析するための〝異種格闘技戦〟なのですから。
格闘技の世界でも、AI搭載の人間の皮膚や骨格を再現したサイボーグとの対戦が将来実現するかもしれません。
〝詰め将棋・チェス〟に例えられるローマン・ゴンザレスやワシル・ロマチェンコのコンビネーションよりも、もっと効果的なパンチの繋ぎをAIが発明、それを学習した若者がシュガー・レイ・ロビンソンの延長ではない、全く新しい技術体系を披露してゆく…将棋の世界で現実に起こっていることをボクシングの世界も追いかける時代が来ると想像すると、これはこれで、ちょっと寂しいですね…。
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〝異種格闘技戦〟が上質な勝負に昇華する要素は、三つあります。
「命を捧げている競技に対する愛情が溢れていること」「へりくだることも見下すこともなく、アスリートそしての矜恃が堅固に孤高に屹立していること」。
対峙する二人に、愛と誇りが炎の如く燃えているのなら、異業種対決は大歓迎です。
そして三つ目。
「興味本位のエンターテイメントをとことん追求したショーでも、ファンと業界の発展が最優先」であるなら、それも歓迎です。
世界の盗塁王・福本豊と競走馬が走った1983年4月30日の西宮球場は、まさに、それでした。
「人間と馬、どっちが速いか」なんて勝敗に誰も興味はありません。
不人気のパリーグを盛り上げようとする球団の努力と、福本のプロとしてのサービス精神に感動する一方で、その素っ頓狂なやり方に思わず笑ってしまう、そんな上質なショーでした。
しかし、カネ目当ての下衆や、卑屈な劣等感が垣間見えるような低俗なゴシップ、野次馬を集めるだけの見世物にもかかわらず「ショーではなく試合、スポーツ」の看板を掲げる詐欺行為なら、やはり、やらない方がマシです。
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大谷翔平もまた広義の〝異種格闘技戦〟に挑む英雄の一人と言って良いでしょう。
「異種の土俵に真剣に乗り込んで、そこで頂点を掴み取ってやる!」という健康的な野望を燃やすのであれば、その炎は限りなく正しく、どこまでも美しいと思います。
〝異種格闘技戦〟を受け入れられるかどうかは「真剣に二刀流をやる気があんのか?」ということに落ち着くのかもしれません。
マクレガーのように「メイウェザー相手だから大金と話題性目当てにボクシングをやるけど、ボクシング自体にはそんなに興味ない」 なんてのは論外です。
今回の那須川も「今後は真剣にボクシングに取り組みたい。メイウェザーともしボクシングできるなら、 どれほど勉強になるかわからないから、ぜひお願いしたい」というのならわかります。
ところが、彼は「世界一有名な格闘技の選手だから引退してても、ルールが何でも関係なく、とにかくやりたい。こんなチャンスはもう2度とない」という動機で、無条件でこの話を受け入れてしまいました。
きっと、それはマニー・パッキャオでもマイク・タイソンでも何でも良かったのでしょう。とにかく有名人と何かしたい、それだけなのです。
20歳の那須川を非難するのは間違いかもしれませんが、これは日本の格闘技界の悪しき傾向です。
極限すると、そんな心持ちだからいつまでたってもスポーツと認められないのです。
本気で自分の愛するキックをメジャーにしたい、スポーツとして認められたい、一般紙のスポーツ欄で扱われる存在になりたい、と本気で希求するなら三面記事でしか扱われないタイソンやメイウェザーと醜悪な見世物をすることに時間やカネ、知恵をかけるのは無意味です、というかそれを通り越して最悪のマイナスです。
マイナースポーツには、もっともっと優先してやることが山積しているはずです。
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