ロシアW杯決勝。1−1の拮抗した展開から前半34分、クロアチアゴール前の攻防でペリシッチにハンドがあったとフランスが抗議、VARを経て主審がハンドを認めてPKに。

微妙なプレーをビデオで検証するのはテクノロジーの正しい活用方法です。

ハンドの反則は「意図的であったか」「それがなければ展開に重大な変化があったか」で判定されるのですが、この場面は「意図的ではなかった」ように見えます。では「ハンドがなければ展開に重大な変化があったのか」は微妙です。主審の恣意的な判断に委ねられます。

このように「ゴールラインを割ったかどうか」「ハンドがあったかどうか」はビデオ検証できますが、「それがなければ展開に重大な変化があったかどうか」は人間のものの見方に依ってしまします。

今後はビデオに加えて、AIもアシスタントレフェリーに加わり「展開に重大な変化があった可能性」を弾き出し、それが50%を越えたらハンドを取るなど、より進化していくかもしれません。
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サッカーでゴールライン判定に使われている「ホークアイ」は、テニスでもインかアウトを判定する審判補助システムとして活用されています。

ビデオ判定を世界でいち早く導入したのが、大相撲だった(1969年5月場所から)というのは誇らしいことですが、このスポーツに目視では判定できない微妙な勝負が多いということでしょう。

どちらの力士が先に土俵を割ったのか、野球のホームランやベースタッチなど、ビデオ検証によって一目瞭然になるプレー、スポーツではこのシステムは絶対に導入すべきです。

そもそも、ビデオシステムが最初に導入されたのは当たり前の話で、陸上競技でした。今では電気計時システムを導入する大会では、規模の小さい競技会でも写真判定が行われています。

中長距離が得意だった私でも、あのタイムが表示されている連続写真が興味深くて100mの記録会に出場したこともありました。

ビデオで正義が明らかになるなら、絶対にそうすべきです。

もちろん、それによってディエゴ・マラドーナの「神の手」は単なる反則になり、ジョン・マッケンローが主審に大声を張り上げて抗議する必要も無くなり、この手の伝説や風物詩はスポーツの舞台から姿を消してしまうことになります。

一方、野球では最も議論を呼ぶストライク・ボールの判定は、まだ主審の「目視」に委ねられていますが、ホークアイがさらに進化してストライク・ボールも機械的に判定できるようになれば…、グレッグ・マダックスが自信満々でコントロールした外角低めはボールでも〝ストライク〟、落合博満が悠然と見送ればストライクでも〝ボール〟になるような誤審は絶滅します。

「ボールに勢いがなく〝お辞儀〟すると微妙なコースだとストライクがもらえない」「手元でビュッと伸びて打者が手を出せないボールが微妙なコースに来るとまずストライク」という暗黙の了承もなくなるでしょう。

将来的にはスポーツ、特にメジャースポーツにおいては人間の審判はいなくなるかもしれません。人間は「先入観に惑わされて誤審する恐れのある不完全なジャッジ」ですから、存在の意味がなくなります。

「マラドーナの神の手」が正確冷静にハンドと判定されるピッチでは、試合前のコイントスも専用ロボットの役割でしょう。

では、疑惑の判定があふれているボクシングでもVARは必要なのでしょうか?