1990年2月にマイク・タイソンが東京ドームの特設リングに上がって以来27年、この大舞台に立ったプロボクサーは一人もいません。

バブル絶頂の当時と今では経済環境は比較すべくもなく、観戦スポーツの多様化も一気に進みました。

日本中の老若男女、誰もが口ずさめる歌がとっくの昔に喪われたように、列島を沸騰させるアスリートがこの国から姿を消してからもまた、長い長い歳月が流れてしまいました。

ましてや、ボクシングという競技に目を向けると、毎晩のように民放各局がゴールデンタイムにボクシングの試合を放送していた1960年代をピークに、現在までジリ貧の下降線を描き続けています。

具志堅用高や辰吉丈一郎、亀田興毅の試合はピーク時に迫る視聴率をマークしましたが、いずれも一人のボクサーへの気まぐれ的な注目で終わり、ボクシング市場全体の活性化にはつながりませんでした。

そんな時代に、村田諒太は「東京ドームを現実にしてもいいんじゃないか」 とぶち上げました。

もちろん、すぐに東京ドームで出来るわけはありません。

村田が夢の舞台に立つためには、何が必要なのか?巨大スタジアムのリングに上がったグレートにあって、今の村田に無いものは何なのか?

かつて、日本のボクシング史にも巨大スタジアムに特設リングを組み上げるほどのハコが必要な、本物のスーパースターが存在しました。
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白井義男です。

1952年5月19日。世界フライ級タイトルマッチ、王者ダド・マリノを判定で下し、日本人で初めて世界のチャンピオンベルトを腰に巻きました。現在、この日は「ボクシングの日」になっています。

そして、8階級1団体の時代に、この価値あるタイトルを4度も守ったのです。

階級は2倍以上の17、団体は4倍に増殖した現在なら、単純計算で32度防衛に当たります。実際にはそんな瑣末な数字ではなく、8階級1団体のタイトルという重みが凄すぎます、ただただ偉大の一言です。

もちろん4団体も17階級も、ボクシングの地位低下も、今のボクサーには全く責任の無いことだけに、今のボクサーは可哀想です。

午後8時のゴングにもかかわらず、正午から球場に詰めかけた観衆は、最終的にはなんと4万5000人までに膨れ上がりました。

実数発表が定着するずっとずっと以前のメガファイトですから、水増しされた切れの良い数字と考えられますが、それを考慮しても3万5000〜4万人は入ったと言われています。

さらに、驚くのが観戦料です。スペシャルリングサイド3600円、リングサイド2000円、普通指定席1000円、内野席1階900円、内野席2階500円、外野席200円。大卒初任給が6000円の時代ですから、少なく見積もっても、今なら30倍と計算すると、スペシャルリングサイドは10万8000円、普通指定席で3万円、最も安い外野席でも6000円となります。

66年も経った今でも、「高ッ!」と思える価格です。

超高額のシートをセットした後楽園球場をフルハウスにし、TV視聴率調査が始まる以前なのでこのときの記録は存在しませんが、ほぼ100%だったでしょう。

村田諒太がヘビー級までの5階級を制覇しても、チャンネルと価値観が多様化した現在、視聴率100%は不可能です。

白井の時代、世界王者になるのは今よりもはるかに難しかった一方で、国民は世界のヒーローに飢えていました。

大相撲は言うまでもなく、プロ野球も国内に閉塞していた時代、そして五輪も知らなかった時代、日本人の手が届くかもしれない「世界のヒーロー」は、ボクシングをおいて他にはありませんでした。

しかし、2018年の今の時代、ミドル級という特別なクラスを考慮しても、村田ですら、日本だけでも何人いるのかわからない乱造世界王者の一人に過ぎません。

ヘビー級まで制覇しなくとも、ミドル級で4団体統一を果たせば実績的には白井に並ぶことになりますが、村田が1952年の歓喜を再現することは不可能です。

最も日本を震わせたボクサーは白井義男であることは、永遠に変わりません。イチローが長嶋茂雄を超えることがないように。全ては〝時代〟です。

では、村田は東京ドームをフルハウスに出来るか?、となると、これは十分可能性があります。

国民的ヒーローが生まれにくい一方で、現代は宣伝・広告も貧弱でマーケティングなど影も形も無かった白井の時代とは全く違います。

マイク・タイソンの東京ドーム興行が成功したのは、バブル景気に沸いた大企業がスポンサーとなったからです。

中でもトヨタとサントリーの支援は強烈でした。そして、周到なマーケティング戦略を駆使して、このジャパンマネーを効果的に収集したのが、今、村田をバックアップしている電通でした。 
 
村田が目指す東京ドームへの道。タイソンを日本でも見事に商品化した方法が、格好の羅針盤になるはずです。

次は、マイク・タイソンの成功例です。