7月15日、ザ・フォーラム、三浦隆司vsミゲール・ベルチェルト。

8月26日、スタハブセンター、亀海喜寛vsミゲール・コット。


【ミゲール・コットがジュニアミドル級王者のユーリ・フォアマンに挑戦したのは、あのヤンキースタジアム。マニー・パッキャオのカウボーイズスタジアム、カネロ・アルバレスのミニッツメイドパークと並んで、人気スターによる〝巨大スタジアム興行〟復活の一翼を担いました。この稀代の人気者に亀海は挑戦するのです。】

三浦はBoxing After Dark(この番組の初回が2001年マルコ・アントニオ・バレラvsナジーム・ハメド。井上尚弥も参戦する「SUPER FLY」興行もこの番組です)、亀海はWorld Championship Boxing(HBOのボクシング番組で最高峰に位置付けられます。初回は1973年ジョージ・フォアマンvsジョー・フレイジャー。2003年マニー・パッキャオvsバレラ初戦など、時代を飾るビッグファイトも中継してきました。亀海は前戦のソト・カラス2に続く2回目の登場)、いずれもHBOで全米生中継されます。


【HBOのHPから。あのゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレス、アンドレ・ウォードvsセルゲイ・コバレフと並んで三浦vsベルチェルトが紹介されています。壮観です!】

三浦と亀海。この夏、世界へ殴り込みをかける二人が日々汗を流しているのが帝拳ジムです。日本のボクシングファンにとっては、誰もが知っている最もメジャーなジムですが、海外のボクシングファンの間では勘違いしている人も多いようです。

古くはヘナロ・エルナンデス、最近ではローマン・ゴンザレスやホルヘ・リナレスがトランクスに縫いつけている「TEIKEN」を「アパレルブランド」と誤解している海外ファンもいます。

確かに、世界的には馴染みが薄いアジア、その中でもジム事情となると、海外ファンは相当なマニアでもよく知りません、知りようがありません。

今夜は、BWAA(全米ボクシング記者協会)で何度も年間最優秀写真賞を獲得している日本ボクシングファンの誇り・福田直樹と、ブライアン・ハーティ記者によるリング誌の特集「Champion Factory(世界王者製造工場)」を紹介します。

★★★「将軍の城」、江戸城にほど近い東京・神楽坂。フレンチレストランや和菓子の老舗が並ぶ一角に建つビルの5階に〝それ〟が現れる。この場所には最も似つかわしくないが、私たちにとっては慣れ親しんだ音と匂い、光景がエレベータを降りるとすぐに飛び込んでくる。

スピードバッグやミットを叩く軽快な音に、サンドバッグにめり込む重低音、縄跳びが床を滑る鋭く連続する擦過音。張り詰めた緊張の空気には、汗と皮の匂いが漂う。

私たちが見慣れた世界共通の風景、音、匂い。しかし、すぐに「ここは他と違う」と誰もが気付くだろう。世界中のどのジムと比べても、とにかく清潔なのだ。日本の街並みはどこもかしこも清潔だが、ボクシングジムにまでその哲学が浸透しているとは驚き以外の何物でもない。

そして、山中慎介もリナレスもロマゴンも、あの村田諒太もこの場所で技を磨いているのだ。

このジムの歴史は古い。無許可で上海遠征したことから日本拳闘倶楽部を破門された元日本ジュニアフェザー級王者・荻野貞行が、1926年に設立した帝国拳闘拳道社が帝拳の母体だ。

20年後の終戦直後には帝拳の指揮を執っていた本田明が、すでに簡略化されてそう呼ばれることが多かったこのジムの名前を正式に「帝拳」とした。


【「Shogun’s Castle」(江戸城)は天守閣も無いし、日本人であそこを江戸城と呼ぶ人はいません。ましてや「将軍の城」とは。「The Imperial Palace」(皇居)と書くのが正しいのですが、欧米人はサムライを束ねた「将軍の城」に惹かれてやまないのでしょう。神楽坂も江戸城の外堀には近いとは言っても、「本丸」からは遠く離れているのですが…。】

1964年、本田明が死去。本田明彦がその座を継ぐが、明彦は当時17歳の高校生で、身内でも反対する者が多く、周囲の目は冷ややかだった。

帝拳から見ると新興の笹崎ジム(ファイティング原田)、協栄ジム(海老原博幸、西城正三)、リキジム(藤猛)、米倉ジム(沼田義明)が続々と世界王者を輩出する中で、最も伝統のある帝拳は長い間、沈黙を強いられた。

「高校生が会長のジムから強いボクサーが生まれるわけがない」「ど素人の子供が会長なんだからボクサーにも舐められる」。

そんな誹謗中傷を一気に消し去る男が1970年に世界王者になる。そのハートとフィジカルは今なお日本最強、明彦会長との仲は微妙なものだったらしいが、結果を見れば個人的な関係などどうでもいい、この世界は結果だけが全てなのだから。どんなに人間的に信頼しあって素晴らしい友情で結びついていても、リングで負けたらその関係は良くないものだったことになるのだ。

大場政夫は帝拳ジムが生んだ初めての世界王者だったが、その存在感は世界王者の中でも別格で、魂を揺さぶるその試合には、日本中が熱狂し、今も語り継がれている。

帝拳が次の世界王者を育てるまでには16年もの歳月を待たねばならなかったが(1986年浜田剛史)、大場の衝撃と、その後に発揮される明彦の才覚は帝拳をリーディングカンパニーに押し上げ、明彦は世界的なプロモーターとなる。

他の国と違い、日本では一人のファイターが一つのジム(=プロモーター)と一蓮托生、一生を添い遂げる。サムライの奉公魂なのかもしれないが、海外のファイターや関係者にとっては、理解に苦しむところだ。

しかし、日本人ではないエルナンデスが「TEIKENを縫い付けたトランクスとともに葬ってくれ」と遺言を残し、エリートファイターの仲間入りを果たしたリナレスのTEIKENへの信頼は一貫して揺るがない、ロマゴンはTEIKENのトランクスをまとったままPFP最高位まで上り詰めた。

帝拳には〝何か〟がある。好んで帝拳を練習場所に選ぶノニト・ドネアや、現役時代のポール・マリナッジはその〝何か〟が、何なのかを気づいているのだろう。

この整理の行き届いた清潔なジムの中には、そんな重大なものを隠す場所はどこにも見当たらない。しかし、目には見えない、〝何か〟が、この小さなビルの5階のどこかに間違いなく、隠されているのだ。

ノニトやポールにそれが何なのかを聞いてみたいが、彼らは絶対に教えてくれないだろう。「言葉では伝えられないなぁ」とか笑って、はぐらかされるに違いないのは目に見えている。

しかし、その〝何か〟が何なのかをわからなくても、帝拳がそれを失わない限り、この場所はこれからも世界王者製造工場であり続けるだろうことは、私にだってよくわかる。★★★