ミゲール〝マエストロ〟カントが4月16日(日本時間4月17日)、78歳で天国に旅立ちました。
フライ級史上に残る身長154㎝の名王者が最初にタイトルを獲得した地は宮城県仙台市。1975年1月8日に小熊正二に判定勝ちを収めました。このタイトルは朴賛希に奪われるまで14連続防衛。
王座を失った小熊は1980年、戒厳令下のソウルで大番狂わせで朴をストップ、5年ぶりに返り咲きます。
日本にとってフライ級は、白井義男が初めて獲得した「伝統」。いまでは「伝統のフライ級」という言葉を聞くことは少なくなりましたが、カントはこのクラスで花形進、触沢公男の挑戦も退ける日本人にとって憎っくき壁となりました。
1948年1月30日、メキシコ・ユカタン州メリダで9人兄弟の4番目として生まれたカントは、野球選手を夢見ていましたが、兄に連れられて地元のスター、シベリオ・オルティスとカルロス・ナバレッテの激闘を観戦、プロボクサーを志します。
カントのボクシングは打たせずに打つ、ボクシングの基本を追求したもの。マエストロがプロ74戦(61勝15KO9敗4分)で披露したのは、けして塩気の多い試合ではなくウィリー・ペップやウィルフレド・ベニテスにも通じるディフェンス技術の見本市でした。
1998年に事実上の一発殿堂入り。
1999年にはAP通信がパンチョ・ビラとともに「20世紀最高のフライ級(Flyweight of the Century )」に選出。
1980年代には世界戦戦から後退、1982年に引退したカントの勇姿を、私はリアルタイムでは見ていませんが、フライ級の歴史を語る記事に、必ずその名前を目にしてきました。
さようなら、マエストロ。
フライ級史上に残る身長154㎝の名王者が最初にタイトルを獲得した地は宮城県仙台市。1975年1月8日に小熊正二に判定勝ちを収めました。このタイトルは朴賛希に奪われるまで14連続防衛。
王座を失った小熊は1980年、戒厳令下のソウルで大番狂わせで朴をストップ、5年ぶりに返り咲きます。
日本にとってフライ級は、白井義男が初めて獲得した「伝統」。いまでは「伝統のフライ級」という言葉を聞くことは少なくなりましたが、カントはこのクラスで花形進、触沢公男の挑戦も退ける日本人にとって憎っくき壁となりました。
1948年1月30日、メキシコ・ユカタン州メリダで9人兄弟の4番目として生まれたカントは、野球選手を夢見ていましたが、兄に連れられて地元のスター、シベリオ・オルティスとカルロス・ナバレッテの激闘を観戦、プロボクサーを志します。
カントのボクシングは打たせずに打つ、ボクシングの基本を追求したもの。マエストロがプロ74戦(61勝15KO9敗4分)で披露したのは、けして塩気の多い試合ではなくウィリー・ペップやウィルフレド・ベニテスにも通じるディフェンス技術の見本市でした。
1998年に事実上の一発殿堂入り。
1999年にはAP通信がパンチョ・ビラとともに「20世紀最高のフライ級(Flyweight of the Century )」に選出。
1980年代には世界戦戦から後退、1982年に引退したカントの勇姿を、私はリアルタイムでは見ていませんが、フライ級の歴史を語る記事に、必ずその名前を目にしてきました。
さようなら、マエストロ。
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