ボクシング専門メディアのメインストリームが、無数のデジタル媒体になってから約15年。この15年は「PFPランキング」の時代でもありました。
PFPの概念自体は「無差別級しか存在しないのは不公平」という発想から、ライト(軽量)級とミドル(中量)級が生まれた19世紀後半にまで遡ります。

実際に「パウンド・フォー・パウンド(1パウンドあたりの強さ=体重同一時)」という言葉が、ボクシングファンの前に登場したのは1950年代。
ヘビー級(当時の王者はロッキー・マルシアノ)の人気と報酬に比べて、あまりにも不遇だったシュガー・レイ・ロビンソンを正しく評価しようという専門家、メディアのムーブメントから広まりました。
とはいえ、当時はPFPとはロビンソンその人を指す敬称であり、PFPランキングは一般的ではありませんでした。
「もし体重同一時ならロビンソンはマルシアノよりも強い」という理屈が、PFPの本質です。
もっとわかりやすくいうと、マルシアノの方が強いという「現実」に対する「妄想」、もっとわかりやすく表現すると「弱者の言い訳」です。
その後、1980年からリング誌が年間表彰に付加する形でBEST FIGHTER POLL(年間PFP)を発表、このときBEST FIGHTERだけでなく10位までのランキングを発表したのがPFPランキングの始まりです。
リング誌は、1990年から毎号PFPランキングを発表、2010年からはデジタルバージョンでタイムリーなPFPランキングをアップするようになりました。
PFPランキングの歴史が比較的新しく、1979年代以前は定期的なものは存在しませんでした。

このシリーズでもクローズアップしますが、もし1979年以前にPFPランキングが存在していたなら、日本人第1号は完全8階級時代に世界フライ級王者となった白井義男です。ダド・マリノからタイトルを奪取した時点で白井は8位だったでしょうか?最低でもトップ10には数えられていたはずで、3度の防衛中にトップ5を突破していても大きな驚きはありません。
そして、1960年代のディケイドPFPキングに推されるエデル・ジョフレを2度撃破したファイティング原田は、ジョフレを返り討ちにした時点でPFP1位になっていた可能性大。5度目の防衛戦でUndisputed Bantam -weight titleを手放すまでの約2年間、PFP1位をキープしていたでしょう。
世界王者が何人いるのか誰も知らない、同一階級でも誰が一番強いのかがわからない現代とは違い、当時は地球上に世界王者が8〜10人しかいなかったのですから、PFP10傑などは全く意味をなしませんから、そんなものは存在しませんでした。
なんとなく長いお話になりそうなので、忘れないように思い浮かんだグレートを列記しておきます。
時系列ではなく、最初に紹介したいのは具志堅用高。
そのあとは、順不同で井上尚弥、山中慎介、長谷川穂積、ユーリ・アルバチャコフ、オルズベック・ナザロフ、渡辺二郎、輪島功一、ファイティング原田。
強烈なインパクトを残したのは、やはりナザロフ、ユーリ。デジタルバージョンのPFPが存在しない時代、つまりインターネットもYouTubeもない時代に、世界が日本に目を向けざるを得なかった強さを見せつけたのですから。

そして、現時点での21世紀最高のファイター井上。何がなんでも倒しにかかるスタイルは、欧米の合理主義に凝り固まったボクシングからは想像を絶するものでしょう。彼の頭の中には「楽して勝てるなら無理はしない」というエコノミックな考えは1ミクロンもありません。
その一点で、井上尚弥は世界のボクシング史上で唯一無二の稀有な存在です。そんな奴は、今まで1人も見たことがありません。
そして、おそらく、その戦士のスピリッツが彼を滅ぼすことになるのでしょうが、それを嘲笑する人がいるとしたら、その人はボクシングが何たるかを全くわかっていません。
リング誌では内山高志、井岡一翔、中谷潤人、ボクシングシーンでは長谷川だけでなく西岡利晃もPFP入りしていますが、彼らは同時代のフロントランナーと一緒に触れていきます。
PFPの概念自体は「無差別級しか存在しないのは不公平」という発想から、ライト(軽量)級とミドル(中量)級が生まれた19世紀後半にまで遡ります。

実際に「パウンド・フォー・パウンド(1パウンドあたりの強さ=体重同一時)」という言葉が、ボクシングファンの前に登場したのは1950年代。
ヘビー級(当時の王者はロッキー・マルシアノ)の人気と報酬に比べて、あまりにも不遇だったシュガー・レイ・ロビンソンを正しく評価しようという専門家、メディアのムーブメントから広まりました。
とはいえ、当時はPFPとはロビンソンその人を指す敬称であり、PFPランキングは一般的ではありませんでした。
「もし体重同一時ならロビンソンはマルシアノよりも強い」という理屈が、PFPの本質です。
もっとわかりやすくいうと、マルシアノの方が強いという「現実」に対する「妄想」、もっとわかりやすく表現すると「弱者の言い訳」です。
その後、1980年からリング誌が年間表彰に付加する形でBEST FIGHTER POLL(年間PFP)を発表、このときBEST FIGHTERだけでなく10位までのランキングを発表したのがPFPランキングの始まりです。
リング誌は、1990年から毎号PFPランキングを発表、2010年からはデジタルバージョンでタイムリーなPFPランキングをアップするようになりました。
PFPランキングの歴史が比較的新しく、1979年代以前は定期的なものは存在しませんでした。

このシリーズでもクローズアップしますが、もし1979年以前にPFPランキングが存在していたなら、日本人第1号は完全8階級時代に世界フライ級王者となった白井義男です。ダド・マリノからタイトルを奪取した時点で白井は8位だったでしょうか?最低でもトップ10には数えられていたはずで、3度の防衛中にトップ5を突破していても大きな驚きはありません。
そして、1960年代のディケイドPFPキングに推されるエデル・ジョフレを2度撃破したファイティング原田は、ジョフレを返り討ちにした時点でPFP1位になっていた可能性大。5度目の防衛戦でUndisputed Bantam -weight titleを手放すまでの約2年間、PFP1位をキープしていたでしょう。
世界王者が何人いるのか誰も知らない、同一階級でも誰が一番強いのかがわからない現代とは違い、当時は地球上に世界王者が8〜10人しかいなかったのですから、PFP10傑などは全く意味をなしませんから、そんなものは存在しませんでした。
なんとなく長いお話になりそうなので、忘れないように思い浮かんだグレートを列記しておきます。
時系列ではなく、最初に紹介したいのは具志堅用高。
そのあとは、順不同で井上尚弥、山中慎介、長谷川穂積、ユーリ・アルバチャコフ、オルズベック・ナザロフ、渡辺二郎、輪島功一、ファイティング原田。
強烈なインパクトを残したのは、やはりナザロフ、ユーリ。デジタルバージョンのPFPが存在しない時代、つまりインターネットもYouTubeもない時代に、世界が日本に目を向けざるを得なかった強さを見せつけたのですから。

そして、現時点での21世紀最高のファイター井上。何がなんでも倒しにかかるスタイルは、欧米の合理主義に凝り固まったボクシングからは想像を絶するものでしょう。彼の頭の中には「楽して勝てるなら無理はしない」というエコノミックな考えは1ミクロンもありません。
その一点で、井上尚弥は世界のボクシング史上で唯一無二の稀有な存在です。そんな奴は、今まで1人も見たことがありません。
そして、おそらく、その戦士のスピリッツが彼を滅ぼすことになるのでしょうが、それを嘲笑する人がいるとしたら、その人はボクシングが何たるかを全くわかっていません。
リング誌では内山高志、井岡一翔、中谷潤人、ボクシングシーンでは長谷川だけでなく西岡利晃もPFP入りしていますが、彼らは同時代のフロントランナーと一緒に触れていきます。
コメント
コメント一覧 (3)
その漫画ではモンゴル系ロシア人ボクサーである世界ジュニアウェルター級王者ユリー・チャコフスキーをどんなに辛口な評論家でもPFPだと認めていて、ジュニアウェルターに席を置きながらヘビー級制覇を目標とする夢のようなチャプターでした。
既にスパーリングでは北米ヘビー級王者を圧倒し、最先端の科学トレーニングでスピードを落とさずに肉体改造をし続け、クルーザー級の試合に向かう通用口で喧嘩ヤクザに襲われあっさり再起不能のポンコツにされてしまいました。
フシ穴の眼
が
しました
ゴロフキンは井上よりラウンドバイラウンドのパワーパンチの数が多く、平均koRが早く、何よりも逃げる相手に挑発せず自分から攻め崩し、そしてその上で有効打を貰いませんでした
管理人様のゴロフキンの井上との比較が気になります
フシ穴の眼
が
しました