Saturday 24, May 2025
  
Intex Osaka, Osaka, Osaka, Japan
commission:Japan Boxing Commission
promoter:Koki Kameda (Kameda Promotions)

3150 × LUSHBOMU vol.6 ABEMA



亀田和毅がアンジェロ・レオに挑むフェザー級、重岡銀仁朗がペドロ・タデュランへのリベンジを狙うストロー級。

二つのIBFストラップを賭けたイベントがあと3日に迫りました。

最も大きな注目を集めているのは、やはり和毅とレオのフェザー級戦。

21世紀の日本ボクシングを牽引せずとも象徴した、亀田一家の最後の現役ボクサー。


全てが計算づくのヒール、フロイド・メイウェザーとは真逆に、英雄になりたかったのになれなかった、自らの愚行を泣いて謝罪する羽目になった、メディアに踊らされれてヒールに落とされた可哀想なほど低脳な亀田一家。


さて、日本スポーツ史に最高(最悪?)の(汚?)名を刻む亀田の物語はいつ始まったのでしょうか?

興毅がプロデビューした2003年12月21日でしょうか?22年前の当時、亀田一家をヒールと嫌う空気はほとんどありませんでしたが、あの日から全てが始まったという意味では、あれが始まりだったのかもしれません。

あるいは、興毅がファン・ランダエタとWBAジュニアフライ級王者決定戦のリングに上がり、社会問題にまで発展する疑惑の判定勝ちを収めた2006年12月20日でしょうか?

または、2007年10月11日に大毅が「負けたら切腹」とWBCフライ級王者・内藤大助に挑戦、セコンドからは耳を疑う反則を指示する声が飛んだ挙句の大差の判定負け。亀田一家の極悪ヒールが決定的となったこの日でしょうか?

亀田のピカレスク、その第1章のページがいつめくられたのか?

もしかしたら、ファン(アンチ?)の中でも十人十色なのかもしれません。

しかし、始まりがいつなのかわからないファンもアンチも、しっかりわかっているのは、その悪徳物語がいつ終わるのか、です。

土曜日の展開と結末によっては、日本ボクシング史に大きな波紋を投げかけた物語がついに終わります。

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亀田和毅と井上尚弥。

2人が最も接近したのは、和毅64位、尚弥65位と隣り合わせでランクされた2014年対象の「The RING's 100 WORLD'S BEST FIGHTER(リング誌 が選ぶ世界のベストファイター100人)」でした(たぶん)。

2014年のPFP100傑ともいえるこのランキングですが、12月30日に井上がオマール〝chicken〟ナルバエスを破壊して2階級制覇した勝利は、リング誌の締切り(クリスマスイブまで)の問題でカウントされていません。

カウントされていたなら…翌2015年のThe RING's 100 WORLD'S BEST FIGHTERを見るまでもなく、井上は亀田近辺にはいません。

和毅だけでなく「亀田」の名にとって、座標軸の対極に存在する井上を倒すことはこれ以上はない贖罪( redemption)になります。

万が一(実際には580に1くらいの勝ち目はあります)、井上に明白に勝利したなら、いったい何千万人の手の平が返る轟きの大音響を耳にすることができるのでしょうか?