それは1986年5月1日のこと。
実質的な引退してから4年3ヶ月、HBOでボクシングをつとめながら悠々自適の〝余生〟を送っていたシュガー・レイ・レナードがワシントンDCで撮影していたテレビインタビューでカムバックを宣言したのです。
1981年9月16日、トーマス・ハーンズを劇的な14ラウンドでトーマス・ハーンズを沈めてウエルター級のUndisputed championとなったレナード。
1982年2月15日の初防衛戦でブルース・フィンチを3ラウンドで片付け、5月14日にセットされロジャー・スタフォードとの2度目の防衛戦を行うためにキャンプを張っていました。
モハメド・アリからスーパースターのトーチを引き継いだ25歳のUndisputed championの動きが少しぎこちなく見えたトレーナーのジャンク・モートンは「気持ちを引き締めろ」と油断を嗜めましたが、レナードの口から出たのはゾッとする内容でした。
「ジャンク、左目が霞むんだ」。
すぐにキャンプ地に近い病院を訪れて受けた診断は「オーバーワークかもしれない」。医者から練習量を落として飲み薬の服用を勧められ、しばらく様子を見ましたが、症状は全く改善されません。
コロナ禍で世界で最も有名な病院になったジョンズ・ホプキンス病院で精密検査を行うと網膜の40%が剥離していることが判明、2時間に及ぶ緊急手術を受けます。
アリの時代とは比較できませんが、まだボクシングに威厳が残されていた80年代はじめ、五輪金メダリストでプロでも大きな成功をつかんだレナードはSportsman of the yearに輝くなどボクシングを超えた存在でした。
病院にはニュースでレナードの引退危機を知った全米のファンから回復を願う手紙が殺到、レーガン大統領までが電話でレナードを激励しました。
執刀医はレナルド・マイケルズ博士。レナードと同じように網膜剥離で引退が決定的だったアーニー・シェーバースを治療、リングに復帰させたその道の大家です。
手術は無事成功。
マイケルズ博士は「完全に網膜が回復したらリングに戻ることができる」とボクシングファンを喜ばせましたが、多くの専門医は「網膜剥離は再発しやすい眼疾でリング復帰なんてとんでもない。再発したらまた目にメスを入れるのか?眼球は何度も手術できる器官じゃない」と忠告、世論も分かれます。
網膜剥離から手術を経てリング復帰した元ジュニアミドル級王者のモーリス・ホープは「カネを稼ぐためにリングに戻らなければならなかった私たちとレナードは違う。レナードは五輪金メダリストで、プロでも1000万ドル(当時の為替で約25億円)も稼いだ。リングに戻る必要は何もない」と引退を薦めました。
実際にレナードがプロで稼いだのはデュランとの2戦で1700万ドル、ハーンズ戦で1000万ドル、この3試合だけで3000万ドルに迫り、契約金やCM収入なども加算するとプロ5年で4000万ドル(100億円)近くになっていました。

6ヶ月間の術後経過観察が終わって発表されたのは「引退」。
五輪で金、ハーンズ戦は史上最高の試合と絶賛され、4000万ドルも稼いだレナードが、リングの中に思い残すことは何もなかったと考えたのだとしたら、それは当然のことでした。
実質的な引退してから4年3ヶ月、HBOでボクシングをつとめながら悠々自適の〝余生〟を送っていたシュガー・レイ・レナードがワシントンDCで撮影していたテレビインタビューでカムバックを宣言したのです。
1981年9月16日、トーマス・ハーンズを劇的な14ラウンドでトーマス・ハーンズを沈めてウエルター級のUndisputed championとなったレナード。
1982年2月15日の初防衛戦でブルース・フィンチを3ラウンドで片付け、5月14日にセットされロジャー・スタフォードとの2度目の防衛戦を行うためにキャンプを張っていました。
モハメド・アリからスーパースターのトーチを引き継いだ25歳のUndisputed championの動きが少しぎこちなく見えたトレーナーのジャンク・モートンは「気持ちを引き締めろ」と油断を嗜めましたが、レナードの口から出たのはゾッとする内容でした。
「ジャンク、左目が霞むんだ」。
すぐにキャンプ地に近い病院を訪れて受けた診断は「オーバーワークかもしれない」。医者から練習量を落として飲み薬の服用を勧められ、しばらく様子を見ましたが、症状は全く改善されません。
コロナ禍で世界で最も有名な病院になったジョンズ・ホプキンス病院で精密検査を行うと網膜の40%が剥離していることが判明、2時間に及ぶ緊急手術を受けます。
アリの時代とは比較できませんが、まだボクシングに威厳が残されていた80年代はじめ、五輪金メダリストでプロでも大きな成功をつかんだレナードはSportsman of the yearに輝くなどボクシングを超えた存在でした。
病院にはニュースでレナードの引退危機を知った全米のファンから回復を願う手紙が殺到、レーガン大統領までが電話でレナードを激励しました。
執刀医はレナルド・マイケルズ博士。レナードと同じように網膜剥離で引退が決定的だったアーニー・シェーバースを治療、リングに復帰させたその道の大家です。
手術は無事成功。
マイケルズ博士は「完全に網膜が回復したらリングに戻ることができる」とボクシングファンを喜ばせましたが、多くの専門医は「網膜剥離は再発しやすい眼疾でリング復帰なんてとんでもない。再発したらまた目にメスを入れるのか?眼球は何度も手術できる器官じゃない」と忠告、世論も分かれます。
網膜剥離から手術を経てリング復帰した元ジュニアミドル級王者のモーリス・ホープは「カネを稼ぐためにリングに戻らなければならなかった私たちとレナードは違う。レナードは五輪金メダリストで、プロでも1000万ドル(当時の為替で約25億円)も稼いだ。リングに戻る必要は何もない」と引退を薦めました。
実際にレナードがプロで稼いだのはデュランとの2戦で1700万ドル、ハーンズ戦で1000万ドル、この3試合だけで3000万ドルに迫り、契約金やCM収入なども加算するとプロ5年で4000万ドル(100億円)近くになっていました。

6ヶ月間の術後経過観察が終わって発表されたのは「引退」。
五輪で金、ハーンズ戦は史上最高の試合と絶賛され、4000万ドルも稼いだレナードが、リングの中に思い残すことは何もなかったと考えたのだとしたら、それは当然のことでした。
コメント
コメント一覧 (1)
アーロン・プライヤーとの試合は実現して、ドナルドカリーもチャンピオンにはなれなかったかもですね。
フシ穴の眼
が
しました