20世紀。
格闘技ファンの心をくすぐる源泉に、枯れることなく沸き続けてきたのが「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか?」というファンタジー、ロマンティックな絶対命題です。
例えば、ボクシングの軽量級はもちろん中量級でも競技内ですら最強であるはずがないのは誰もが理解しています。
このジレンマを満たしてくれるツールの一つがPFPですが、少し考えればこの妄想ランキングが弱者の言い訳であることは、誰の目にも明らかです。
「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか?」
そして、21世紀も四半世紀が過ぎようとする中で、そもそもボクシングを最強と考える人は完全に絶滅してしまいました。
ボクシングのレベルの低下と、他の格闘技のレベルアップから、ボクシングルールでも圧勝出来るかどうか、そんなことすら怪しい、そんな時代になってしまったのです。
武居由樹も那須川天心もーーーあんな掟破りは20世紀では許されませんでした。
逆にボクサーが他の格闘技ルールで勝てるか?となると、ロンダ・ラウジーとフロイド・メイウェザーのポテンシャル・オッズで女子MMAファイターが明白に有利と考えられるなど、もしホーム(自分の競技)&アウエー(相手の競技)で戦えば、ボクサーはホームでも判定までもつれ込まれるかもしれない一方で、アウエーでは何もできないままに惨敗するだけです。
しかし、少なくとも1970年代、アントニオ猪木とモハメド・アリ、現役のプロレスとボクシングのヘビー級チャンピオンが真剣勝負であいまみえる試合が「格闘技世界一決定戦」と銘打たれたことに、当時はなんの違和感もなく受け入れていました。
もちろん、1976年の当時でも「プロレスは八百長」「ボクシングは二つの拳しか使えない、最強を語るには欠如しているものが多すぎる」という正論は珍しくなく、本当に強いのは「柔道」だけでなく「相撲」という意見もあり、70年代後半に半ばオカルト的に出現したベニー・ユキーデの Martial Arts=マーシャルアーツ、あるいはオープンフィンガーグローブを発明したブルース・リーの構想が最強という見方も少数ながら散見されました。
このあたりの「最強とは何か?」の幻想は、1993年のUFC 1: The Beginning のロマンティック極まる出場選手の顔ぶれや出立を見れば、一目瞭然です。
1993年には、まだ確かにファンタジーは存在していました。
まだ、Mixed Martial Arts(MMA)なんて言葉も概念もなかった時代ですが、技術的にレベルが同じならボクシングよりもキック、キックよりも投げ技や締め技も使う方が強い、という考えが最も理にかなっているように見えたものです。
しかし、当時はボクシングのステイタスが今では考えられないほど高かった時代。プロ格闘技において飛び抜けて注目されるボクシングを前に「技術レベル(が同じなら)」という、そもそもの大前提に耐えられる格闘技など、どこにも存在しませんでした。
プロレスが〝八百長〟であることを受け入れてもなお、プロレスを信じるものたちが桜庭和志はもちろん、アレキサンダー大塚や安田忠夫らがリアルファイターを倒す姿に感動するのは、桜庭が叫んだ「プロレスラーは本当は強いんです!」という聖なる言葉に感涙したからです。
しかし、真剣勝負を一度もしたことのない高田延彦や、ついに最後まで真剣勝負から逃げ続けた前田日明らが旗を振る〝プロレス〟を否定して偽物の最強を標榜した組織に、未来などあるはずもなく、崩壊が待ち受けているのは当然至極でした。
MMAのレベルと注目度がどんどん上がり、スポーツとして昇華する一方で、ボクシングが人気階級のトップ選手ですら、より安全にカネを稼げる〝RIZIN〟的な非スポーツ的な茶番劇に自ら身を落とすようになったのは、計量オーバーを平気で犯し、秤の上でタイトルを失ってもヘラヘラ笑って冗談やトラッシュトークを放つのが珍しくなくなったボクシングのステイタス没落と無関係ではありません。



ジャック・ジョンソン。ジャック・デンプシー。ジョー・ルイス。彼らは「世界最強の男」として広く認知されていました。
「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」。
20世紀までにはロマンティックに語られ、思い巡らせてきたファンタジーを具現化した妖精たちは残酷に解剖され、「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」の答えが明らかにされ、私たちの目の前に突き付けられました。
私たちは「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」というロマン溢れる絶対命題を失なってしまったのです。
UFC Japanヘビー級トーナメントで優勝した桜庭が横浜アリーナで「プロレスラーは本当は強いんです!」と叫んだ1997年、あの頃はまだ妖精たちが空中を散歩しているのを見ることができました。
「朝倉海」もまたファンタジーを歌う妖精の1人でしたが、素っ頓狂で頭の悪い変人以外は彼を信じることは出来ませんでした。
プロボクシングが茶番劇に飲み込まれ、UFCという伊達も酔狂もないつまらない現実が妖精たちを皆殺しにする時代です。
もはや、伊達や酔狂をロマンティックに楽しむ時代は永遠に訪れないのでしょうか…?
まだまだ続きます。
格闘技ファンの心をくすぐる源泉に、枯れることなく沸き続けてきたのが「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか?」というファンタジー、ロマンティックな絶対命題です。
例えば、ボクシングの軽量級はもちろん中量級でも競技内ですら最強であるはずがないのは誰もが理解しています。
このジレンマを満たしてくれるツールの一つがPFPですが、少し考えればこの妄想ランキングが弱者の言い訳であることは、誰の目にも明らかです。
「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか?」
そして、21世紀も四半世紀が過ぎようとする中で、そもそもボクシングを最強と考える人は完全に絶滅してしまいました。
ボクシングのレベルの低下と、他の格闘技のレベルアップから、ボクシングルールでも圧勝出来るかどうか、そんなことすら怪しい、そんな時代になってしまったのです。
武居由樹も那須川天心もーーーあんな掟破りは20世紀では許されませんでした。
逆にボクサーが他の格闘技ルールで勝てるか?となると、ロンダ・ラウジーとフロイド・メイウェザーのポテンシャル・オッズで女子MMAファイターが明白に有利と考えられるなど、もしホーム(自分の競技)&アウエー(相手の競技)で戦えば、ボクサーはホームでも判定までもつれ込まれるかもしれない一方で、アウエーでは何もできないままに惨敗するだけです。
しかし、少なくとも1970年代、アントニオ猪木とモハメド・アリ、現役のプロレスとボクシングのヘビー級チャンピオンが真剣勝負であいまみえる試合が「格闘技世界一決定戦」と銘打たれたことに、当時はなんの違和感もなく受け入れていました。
もちろん、1976年の当時でも「プロレスは八百長」「ボクシングは二つの拳しか使えない、最強を語るには欠如しているものが多すぎる」という正論は珍しくなく、本当に強いのは「柔道」だけでなく「相撲」という意見もあり、70年代後半に半ばオカルト的に出現したベニー・ユキーデの Martial Arts=マーシャルアーツ、あるいはオープンフィンガーグローブを発明したブルース・リーの構想が最強という見方も少数ながら散見されました。
このあたりの「最強とは何か?」の幻想は、1993年のUFC 1: The Beginning のロマンティック極まる出場選手の顔ぶれや出立を見れば、一目瞭然です。
1993年には、まだ確かにファンタジーは存在していました。
まだ、Mixed Martial Arts(MMA)なんて言葉も概念もなかった時代ですが、技術的にレベルが同じならボクシングよりもキック、キックよりも投げ技や締め技も使う方が強い、という考えが最も理にかなっているように見えたものです。
しかし、当時はボクシングのステイタスが今では考えられないほど高かった時代。プロ格闘技において飛び抜けて注目されるボクシングを前に「技術レベル(が同じなら)」という、そもそもの大前提に耐えられる格闘技など、どこにも存在しませんでした。
プロレスが〝八百長〟であることを受け入れてもなお、プロレスを信じるものたちが桜庭和志はもちろん、アレキサンダー大塚や安田忠夫らがリアルファイターを倒す姿に感動するのは、桜庭が叫んだ「プロレスラーは本当は強いんです!」という聖なる言葉に感涙したからです。
しかし、真剣勝負を一度もしたことのない高田延彦や、ついに最後まで真剣勝負から逃げ続けた前田日明らが旗を振る〝プロレス〟を否定して偽物の最強を標榜した組織に、未来などあるはずもなく、崩壊が待ち受けているのは当然至極でした。
MMAのレベルと注目度がどんどん上がり、スポーツとして昇華する一方で、ボクシングが人気階級のトップ選手ですら、より安全にカネを稼げる〝RIZIN〟的な非スポーツ的な茶番劇に自ら身を落とすようになったのは、計量オーバーを平気で犯し、秤の上でタイトルを失ってもヘラヘラ笑って冗談やトラッシュトークを放つのが珍しくなくなったボクシングのステイタス没落と無関係ではありません。



ジャック・ジョンソン。ジャック・デンプシー。ジョー・ルイス。彼らは「世界最強の男」として広く認知されていました。
「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」。
20世紀までにはロマンティックに語られ、思い巡らせてきたファンタジーを具現化した妖精たちは残酷に解剖され、「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」の答えが明らかにされ、私たちの目の前に突き付けられました。
私たちは「最強は誰なのか?」「最強の格闘技は何なのか」というロマン溢れる絶対命題を失なってしまったのです。
UFC Japanヘビー級トーナメントで優勝した桜庭が横浜アリーナで「プロレスラーは本当は強いんです!」と叫んだ1997年、あの頃はまだ妖精たちが空中を散歩しているのを見ることができました。
「朝倉海」もまたファンタジーを歌う妖精の1人でしたが、素っ頓狂で頭の悪い変人以外は彼を信じることは出来ませんでした。
プロボクシングが茶番劇に飲み込まれ、UFCという伊達も酔狂もないつまらない現実が妖精たちを皆殺しにする時代です。
もはや、伊達や酔狂をロマンティックに楽しむ時代は永遠に訪れないのでしょうか…?
まだまだ続きます。
コメント
コメント一覧 (3)
フシ穴の眼
が
しました
欧米人にとって世界地図の感覚から日本の位置づけは違うんでしょう。考えてみたら競技性よりエンタメよりなRIZINの極東の王者が、世界中のトップの選手があつまりしのぎをけずり、世界最先端の技術を磨いてるトップ選手だらけの練習環境にいるUFCの王者に勝てるわけがありません。日本の最高傑作だった大谷翔平も最初はオープン戦で苦労し高校生レベルだと揶揄されたこともありますが、若いということもあり時間をかけてフィジカルや技術を磨きメジャーリーグに適応してMVPをとった。サッカーとてガラパゴスを脱出しあれだけ海を渡る選手がいて、ヨーロッパの世界最高峰のリーグで戦う選手がふえアジアレベルで圧倒してますがワールドカップでは決勝Tに出るのがやっとのレベルです。
フシ穴の眼
が
しました
アベベが裸足で走ってメダルを取るような牧歌的時代は過ぎ去り、現代は商業主義と科学主義が跋扈する無味乾燥な時代です。そんな中、せめてもの抵抗として今日発売の"月刊ムー"を読みます。
ビバ・オカルト。
フシ穴の眼
が
しました