「2日で7つの世界タイトルマッチ!日本ボクシング黄金時代!」だそうです。
「黄金時代」の定義を世界チャンピオンや、世界タイトルマッチの「数」だとするなら、まさにその通りです。
しかし、その定義を世界チャンピオンの社会的ステイタスや、世界タイトルマッチの国民的関心度という「質」と考えると、現在の状況は黄金時代とは到底呼べません。
メジャースポーツもの比較にどこまで意味があるかは別にして、MLBのナショナルリーグ、その地区シリーズという小さなステージと、〝黄金時代〟のボクシング界のエース、4団体統一世界チャンピオン井上尚弥の試合は、どちらが国民的関心度が上か?
…比較して議論する必要は全くありません。比べものになりません。
正直、こんなことやってるとボクシング軽量級のステイタスはますます下落すると心配していますが、もう引き返すことはできないのでしょう。
軽量級ボクシングの世界タイトルマッチ
欧米で興味関心がないため、現代の日本の資金力でも好き勝手できて〝世界〟を騙ることの出来るスポーツです。
しかし〝世界〟とは名ばかりで、ほとんど全ての試合は日本で開催され、挙げ句の果ては事実上一つの興行で7つの〝世界タイトルマッチ〟が垂れ流されてしまう…。しかも、前日にも名古屋で世界戦が開催されてる。
これほど有り難くない黄金時代は、滅多にありません。
おそらく、いや間違いなく、日本ボクシングの黄金時代は、世界タイトルマッチにたったの一度も漕ぎ着けることのできなかった〝あの8年間〟です。
地球上に世界チャンピオンが8人しかいなかった、あの時代。


日本人初の世界王者になり後楽園球場や大阪球場など巨大スタジアムでの興行があたりまえだった白井義男が王座を追われたのが1954年11月26日。フライ級史上最強の誉高いパスカル・ペレスに敗れての引退しました。
再び、本物の世界タイトルを取り戻したのは、つまり地球上に1人しかいない世界王者になったのは、ファイティング原田がポーン・キングピッチを攻め落とした1962年10月10日のことでした。
このときの空白の歳月はなんと、7年と351日。
1990年2月7日、大橋秀行は21回にまで伸びた国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗という不名誉な記録をストップしましたが、あのときの空白の時間は1988年11月13日(WBCストロー級王者・井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイに敗北)からの、なんと1年と85日。「1年とちょっと」という表現もあてはまる短い時間でした。
当時も「井岡が失い大橋が取り戻したWBCストロー級って何なのか?」「そもそも1年で21回も世界に挑戦している、その世界って何なのか?」という批判はありましたが、けして大きな声ではありませんでした。
ちなみに白井から原田までの約8年間で、日本人が世界にアタックしたのは5人だけで、のべ7回。
ボクシング番組がゴールデンタイムで毎日中継される中で「矢尾板貞夫にはチャンスがある」「米倉健志は白井の仇打ちでパスカル・ペレスに勝つ」「関光徳の右フックなら世界王者も沈む」…しかし、日本の期待の星に込められ続けた熱い思いは8年間も報われることがなかったのです。
やっと世界戦に漕ぎ着けても、8年間も日本人が世界に倒されるシーンを見せ続けられるのです。
「1954.11.26ー1962.10.10」。日本ボクシング界が経験した最も長い大空位時代。その8年間は最低最悪の暗黒時代であったはずでしたが、ボクシングへの国民的関心の高さ、世界タイトルの荘厳なまでの価値の高さという「質」では、当時と現在では比較になりません。
当時のスポーツファンが「70年後にはボクシングの世界タイトルマッチが、日本シリーズ未満の試合よりも遥かに小さく扱われる」と聞いても信じられないでしょう。
「1954.11.26ー1962.10.10」。昭和29年〜昭和37年という時代。「明日は今日より素晴らしい」と誰1人疑うこともなく、目の前の坂道を必死で登っていた時代と、現在を並べるのは乱暴すぎる比較かもしれません。
それでも、長嶋茂雄や王貞治と、大谷翔平を「どちらが日本列島を沸騰させたか?」で比較すると「前者の2人だ」という人も少なくないでしょう。いや、その方が、もしかしたら多数派かもしれません。
しかし、純粋なスポーツとしての視点から「どちらのパフォーマンスの価値が上か」となると、王貞治の「彼は我々が見上げていたものを見下ろしているんじゃないか」という言葉で、完全に説明が、決着がつきます。
王は「今の時代に生まれていたら(メジャーを)目指していただろうし、自信もある」とも語っていますが、そもそも長嶋も王もメジャーへの興味をはっきりと表明していませんでした。
もちろん、それを許さない時代背景があったのは理解しています。しかし、王は「少しは考えていた」という二刀流もすぐに諦めました。
異論反論はあるでしょうが、清原和博や桑田真澄はもちろん、王や長嶋ですら「野茂英雄の前か後か」で野球人生が変わった、非常に優れた才能の一つに過ぎません。
もし、清原と桑田が「野茂の後」ならふたりの関係はあんな複雑になっていなかったでしょう。そもそも読売ジャイアンツなどというドブ球団に憧れることもなかったでしょう。

以前も書きましたが、大谷翔平が満票でサイヤングに選ばれ同時に三冠王も獲るよりも、日本人フットボーラーが文句なしのバロンドールに選出されるよりも、村田諒太がゲンナジー・ゴロフキンを撃破、カネロ・アルバレスをノックアウトする方が興奮します。
私の胸の中ではプロボクシングが飛び抜けてメジャースポーツなのです。
その個人の胸の中を飛び越えて、ボクシングの軽量級がこのスポーツの最高峰の舞台でもメインストリームだと完全に間違った幻覚をどういうわけか信じ込んでしまうのは、愚の骨頂だと思うのです。
ボクシングにもメジャーとマイナーがあります。誤解を恐れずに書くと、ボクシングの階級には貴賎があるのです。
それを、あたかもマイナーがメジャーであるかのように騙り、メジャーから目を逸らし続けた、見えないふりをし続けた結果が「ボクシング黄金時代 史上初の7大世界タイトルマッチ」です。
メジャーはライト級を入り口にした中重量級で、フェザー級以下はパッキャオが恵まれたような超特殊事情がない限りマイナー。
もちろん、これは技術レベルが下というわけではありません。
サッカーや野球のように国内リーグ(軽量級)を楽しみながら、世界(中量級以上)で活躍する日本人を応援する、そんな構図が出来れば良いのですが…。
いつの日かボクシング関係者やファンが「ヘビー級やウエルター級で日本人が世界王者になって本物のビッグネームをバタバタ倒すなんて、我々の時代では想像することも出来なかった」と回想できる、そんな日が訪れたなら、ボクシング黄金時代の再来です。

さあ、今夜も始まりますよ!
「黄金時代」の定義を世界チャンピオンや、世界タイトルマッチの「数」だとするなら、まさにその通りです。
しかし、その定義を世界チャンピオンの社会的ステイタスや、世界タイトルマッチの国民的関心度という「質」と考えると、現在の状況は黄金時代とは到底呼べません。
メジャースポーツもの比較にどこまで意味があるかは別にして、MLBのナショナルリーグ、その地区シリーズという小さなステージと、〝黄金時代〟のボクシング界のエース、4団体統一世界チャンピオン井上尚弥の試合は、どちらが国民的関心度が上か?
…比較して議論する必要は全くありません。比べものになりません。
正直、こんなことやってるとボクシング軽量級のステイタスはますます下落すると心配していますが、もう引き返すことはできないのでしょう。
軽量級ボクシングの世界タイトルマッチ
欧米で興味関心がないため、現代の日本の資金力でも好き勝手できて〝世界〟を騙ることの出来るスポーツです。
しかし〝世界〟とは名ばかりで、ほとんど全ての試合は日本で開催され、挙げ句の果ては事実上一つの興行で7つの〝世界タイトルマッチ〟が垂れ流されてしまう…。しかも、前日にも名古屋で世界戦が開催されてる。
これほど有り難くない黄金時代は、滅多にありません。
おそらく、いや間違いなく、日本ボクシングの黄金時代は、世界タイトルマッチにたったの一度も漕ぎ着けることのできなかった〝あの8年間〟です。
地球上に世界チャンピオンが8人しかいなかった、あの時代。


日本人初の世界王者になり後楽園球場や大阪球場など巨大スタジアムでの興行があたりまえだった白井義男が王座を追われたのが1954年11月26日。フライ級史上最強の誉高いパスカル・ペレスに敗れての引退しました。
再び、本物の世界タイトルを取り戻したのは、つまり地球上に1人しかいない世界王者になったのは、ファイティング原田がポーン・キングピッチを攻め落とした1962年10月10日のことでした。
このときの空白の歳月はなんと、7年と351日。
1990年2月7日、大橋秀行は21回にまで伸びた国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗という不名誉な記録をストップしましたが、あのときの空白の時間は1988年11月13日(WBCストロー級王者・井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイに敗北)からの、なんと1年と85日。「1年とちょっと」という表現もあてはまる短い時間でした。
当時も「井岡が失い大橋が取り戻したWBCストロー級って何なのか?」「そもそも1年で21回も世界に挑戦している、その世界って何なのか?」という批判はありましたが、けして大きな声ではありませんでした。
ちなみに白井から原田までの約8年間で、日本人が世界にアタックしたのは5人だけで、のべ7回。
ボクシング番組がゴールデンタイムで毎日中継される中で「矢尾板貞夫にはチャンスがある」「米倉健志は白井の仇打ちでパスカル・ペレスに勝つ」「関光徳の右フックなら世界王者も沈む」…しかし、日本の期待の星に込められ続けた熱い思いは8年間も報われることがなかったのです。
やっと世界戦に漕ぎ着けても、8年間も日本人が世界に倒されるシーンを見せ続けられるのです。
「1954.11.26ー1962.10.10」。日本ボクシング界が経験した最も長い大空位時代。その8年間は最低最悪の暗黒時代であったはずでしたが、ボクシングへの国民的関心の高さ、世界タイトルの荘厳なまでの価値の高さという「質」では、当時と現在では比較になりません。
当時のスポーツファンが「70年後にはボクシングの世界タイトルマッチが、日本シリーズ未満の試合よりも遥かに小さく扱われる」と聞いても信じられないでしょう。
「1954.11.26ー1962.10.10」。昭和29年〜昭和37年という時代。「明日は今日より素晴らしい」と誰1人疑うこともなく、目の前の坂道を必死で登っていた時代と、現在を並べるのは乱暴すぎる比較かもしれません。
それでも、長嶋茂雄や王貞治と、大谷翔平を「どちらが日本列島を沸騰させたか?」で比較すると「前者の2人だ」という人も少なくないでしょう。いや、その方が、もしかしたら多数派かもしれません。
しかし、純粋なスポーツとしての視点から「どちらのパフォーマンスの価値が上か」となると、王貞治の「彼は我々が見上げていたものを見下ろしているんじゃないか」という言葉で、完全に説明が、決着がつきます。
王は「今の時代に生まれていたら(メジャーを)目指していただろうし、自信もある」とも語っていますが、そもそも長嶋も王もメジャーへの興味をはっきりと表明していませんでした。
もちろん、それを許さない時代背景があったのは理解しています。しかし、王は「少しは考えていた」という二刀流もすぐに諦めました。
異論反論はあるでしょうが、清原和博や桑田真澄はもちろん、王や長嶋ですら「野茂英雄の前か後か」で野球人生が変わった、非常に優れた才能の一つに過ぎません。
もし、清原と桑田が「野茂の後」ならふたりの関係はあんな複雑になっていなかったでしょう。そもそも読売ジャイアンツなどというドブ球団に憧れることもなかったでしょう。

以前も書きましたが、大谷翔平が満票でサイヤングに選ばれ同時に三冠王も獲るよりも、日本人フットボーラーが文句なしのバロンドールに選出されるよりも、村田諒太がゲンナジー・ゴロフキンを撃破、カネロ・アルバレスをノックアウトする方が興奮します。
私の胸の中ではプロボクシングが飛び抜けてメジャースポーツなのです。
その個人の胸の中を飛び越えて、ボクシングの軽量級がこのスポーツの最高峰の舞台でもメインストリームだと完全に間違った幻覚をどういうわけか信じ込んでしまうのは、愚の骨頂だと思うのです。
ボクシングにもメジャーとマイナーがあります。誤解を恐れずに書くと、ボクシングの階級には貴賎があるのです。
それを、あたかもマイナーがメジャーであるかのように騙り、メジャーから目を逸らし続けた、見えないふりをし続けた結果が「ボクシング黄金時代 史上初の7大世界タイトルマッチ」です。
メジャーはライト級を入り口にした中重量級で、フェザー級以下はパッキャオが恵まれたような超特殊事情がない限りマイナー。
もちろん、これは技術レベルが下というわけではありません。
サッカーや野球のように国内リーグ(軽量級)を楽しみながら、世界(中量級以上)で活躍する日本人を応援する、そんな構図が出来れば良いのですが…。
いつの日かボクシング関係者やファンが「ヘビー級やウエルター級で日本人が世界王者になって本物のビッグネームをバタバタ倒すなんて、我々の時代では想像することも出来なかった」と回想できる、そんな日が訪れたなら、ボクシング黄金時代の再来です。

さあ、今夜も始まりますよ!
コメント
コメント一覧 (5)
ロイヤル小林もアルゲリョやゴメスに挑みました。
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
軽量級より中量級の方が強いですよ。
フシ穴の眼
が
しました
管理人さんもまた別の角度からの北米コンプレックスになってるように感じます
フシ穴の眼
が
しました
アメリカじゃ良くあることだけど、ライトより上で全く通用しない日本人ボクサー達に同じことやられちゃうと感じ方が全然違う
フシ穴の眼
が
しました