EXPO70➡︎EXPO2025。

55年の時を超えて、万博が大阪に帰って来ます。

55年です。

世界は大きく変わりました。日本も大きく変わりました。



…そして。

大阪はこの55年で何か変わったのか???

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1970年代とは、プロボクシングの世界タイトルマッチがあらゆる観戦スポーツの中で最も尊い舞台だった、最後のディケイドでした。

なぜか軽量級と水増し階級ばかりで、世界と名が付いてもほとんど全ての試合が日本で行われる。

これが本当に「世界」なのか?ーーーそんな疑問が頭をよぎっても、誰も口にしなかった奥ゆかしい時代です。

1970年代は、それでとても幸せだったのです。



◾️◾️◾️1970年代。ジュニアミドル級史上最強と謳われ、階級の防衛記録を更新していたのは輪島功一でした。

[2024の常識]当時のジュニアミドル級は水増し階級で、オリジナル8からは何段階も下のクラスと見られていました。

シュガー・レイ・レナードがウェルター級の完全統一戦でトーマス・ハーンズと激突する前に〝調整試合〟として選んだのがWBAジュニアミドル級王者アユブ・カルレでした。

レナードがウガンダのテクニシャンを第9ラウンドTKOで仕留めたものの、格落ちクラスのジュニアミドル級王者にいくつかのラウンドを取られ、倒すのにも時間がかかりすぎだと「これではハーンズに勝てない」と言われる始末。

今では想像できませんが、ジュニアミドル級は日本や韓国が好き勝手できる、米国では歯牙にかけられない格落ち階級だったのです。



◾️◾️◾️1970年代。王貞治がベーブ・ルースとハンク・アーロンの本塁打記録に迫り、並び、抜き去る。それはまさに坂の上の雲をつかむ偉業でした。

[2024の常識]距離表示までサバ読んでいた箱庭球場に圧縮バット、飛ぶボール。

そして、メジャーで通用しない落ちこぼれ外人が当たり前に大活躍する日本の球場で王が作った〝世界記録〟。

輪島功一の「あんなの世界じゃない」という冷ややかな理屈は誰もがわかっていましたが、その誰もが〝世界記録〟のお祭りを楽しみました。

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あの当時はまだ選手報酬が日米ともに抑えられていた時代でした。王貞治の年俸はアーロンよりもはるかに上でした。




◾️◾️◾️王貞治の世界記録狂想曲と共鳴しながら日本列島を盛り上げたのが、WBAジュニアフライ級チャンピオン具志堅用高の連続防衛記録でした。

今のボクシングファンには信じられないでしょうが、あの当時、具志堅は王と並ぶ国民的英雄だったのです。

具志堅の試合が米国でも多くの視聴者を集めて、大人気ーーーなんて誰も夢想だにしていませんでした。


1970年代は、内輪のお祭りを楽しむだけで、十分幸せだったのです。



《妄想クイズ》

Q:55年前のスポーツファンに聞きました。

「次の大阪万博は55年後の2025年に開催されます。そのとき日本人が達成していないのは、次のうちどれ?」

A:ボクシングの世界ヘビー級チャンピオン。

B:メジャーリーグで二刀流、ホームラン王。

C:ボクシングの世界ウエルター級チャンピオン。