野球場、ボールパークでボクシングの試合です。

ドームよりも初夏の風が感じられる野球場の方が良かったとはいえ、雨の多い日本。雨が降らない保証があれば国立競技場が一番なのでしょうが、色々考えたら東京ドームが最高の舞台でしょう。


かつて米国では、ヤンキースタジアムやドジャースタジアムでメガファイトが繰り広げられていました。

ボクシングがメジャースポーツの一つであり、世界チャンピオンには大きな尊敬が集められた、いわゆる古き良き時代です。

あらゆる意味で別格のモハメド・アリは「戦った舞台」でも異次元。

英国アーセナル・フットボールスタジアム(vsヘンリー・クーパー)、アストロドーム(vsクリーブランド・ウィリアムス/vsアーニー・テレル/vsジミー・エリス/バスター・マシス)、ヤンキースタジアム(vsケン・ノートン)、スーパードーム(vsレオン・スピンクス)と、多くの巨大スタジアムの特設リングに上がりました。

ラスベガスなどカジノが破格の招致料を支払ってメガファイトを開催するようになると、スタジアムでの興行は減少、さらにボクシング人気の低迷から、大きなスタジアムをフルハウスにするような試合もほとんどなくなってしまいました。

それでも、マニー・パッキャオやカネロ・アルバレスはNFLダラス・カウボーイズのAT&Tスタジアムで戦い、カネロはMLBヒューストン・アストロズのミニッツメイド・パークの特設リングにも上がっています。

今でも英国ヘビー級のメガファイトは、ロンドンの巨大サッカー場がデフォルト。

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ヤンキースタジアムで久しぶりの興行となったのは、2010年6月5日にミゲール・コットがユーリ・フォアマンに挑戦したWBAジュニアミドル級タイトルマッチ。

軽量級ではフェザー級でシュガー・ラモスvsデイビー・ムーアの有名な一戦が1963年3月21日、ドジャースタジアムで行われていますが、メインはウェルター級でした。

軽量級で堂々のメインとなると、先進国では日本しかありえません。

白井義男は後楽園球場で9試合、大阪球場で1試合を戦った〝スタジアムの申し子〟でした。

そして、最後にスタジアムでメインを張った日本人ボクサーは、1960年8月29日に後楽園球場であのデイビー・ムーアのフェザー級タイトルに挑戦した高山一夫が最後です。



当時は白井がパスカル・ペレスに敗れてから5年、日本に世界タイトルが奪還されるまでは1963年10月10日にファイティング原田がポーン・キングピッチを倒すまで、さらに3年も待たねばならないのでした。

それにしても。世界王者不在の8年間、ある意味、日本ボクシング史の暗黒時代と呼んでも差し支えないはずの〝低迷期〟に、圧倒的不利と見られた挑戦者にすぎない高山に後楽園球場という大舞台が用意されたことから窺えるのは、当時は暗黒時代と呼ぶにはあまりにも日本列島がボクシングに熱狂していたということです。

原田がキングピッチをKOしたときに日本中が耽溺したであろうカタルシスは、60年後でも容易に想像できます。

あの本物の黄金時代とは、ボクシングを取り巻く環境はあまりにも激変してしまいました。

世界に8人しかいなかったチャンピオンは、もはや相当のマニアでも正確に把握できない泥沼の迷宮に入り込み、かつての「世界で戦う日本人が応援できる唯一のスポーツ」は、まともなスポーツかどうかも怪しいほどに液状化してしまっています。

それでも、高山から64年の歳月を超えて、再び日本人が巨大スタジアムのメインでリングに上がる日がやって来ました。

もう、あの黄金時代は戻ってくるべくもありません。

しかし、5月6日の東京ドームは昭和とは一味違う、令和のボクシングの〝黄金時代〟のあり方を具現化してくれる、そんな素晴らしいイベントになるはずです。