アルツール・ベテルビエフは1985年1月21日、タゲスタン自治ソビエト社会主義共和国ハサヴユルトに生まれました。
まだ、ソビエト社会主義共和国連邦が地球の半分に影響力を持っていた時代です。
ソ連が崩壊するのは1991年のクリスマスの日、クレムリンからソ連国旗が降ろされ、ロシアの三色旗が掲揚されたのは、アルツールが6歳のとき。
ソ連崩壊。
民族間の対立と差別を抑え込んでいたイデオロギーが瓦解したとき、次に何が起きてしまうのか?
けして裕福ではなかったチェチェン人の血を引くベテルビエフ一家に、過酷な運命が待ち構えていることは分かりきったことでした。
それでも、母親とアルツールを末っ子とする5人兄弟を、父親は懸命に働き、支えます。甲斐性のある男でした。
ハサヴユトは格闘家の産出地です。
特に、レスリング・フリースタイルでは2000年シドニー五輪の63kg級でムラト・ウマハノフ、85kg級でアダム・サイティエフが金メダル。マブレット・バチロフは2004年アテネで55kg、2008年の北京で60kg級で連続金メダルを獲得しています。
アルツールの頑健な肉体は、幼い頃に自然とレスリングを嗜んだことが根っこにあるのかもしれません。
しかし、アルツールの天性はボクシングにおいてこそ、特別でした。アイドルはとにかくモハメド・アリ。そして、その強打からよく比較されたマイク・タイソン。
11歳になってジムに通い、ボクシングに専念するようになると、その才能が身近で見ていた人の想像をはるかに超えるものだったことがすぐに明らかになります。
2001年、一家の大黒柱、父親を交通事故で失うと、ベテルビエフの家族はさらに困窮してしまいますが、母親も4人の兄たちもアルツールがボクシングを続けることができるようサポートしました。
ジュニアからシニアへ順調に成長したアルツールは2004年、19歳でロシア選手権で銅メダルを獲得、2006年には欧州選手権、2008年には世界選手権で金メダルを獲得。
アマチュアでやり残したことがあるとしたら、五輪の金メダルだけになります。
しかし…。
ライトヘビー級(81kg)で出場した2008年北京では、金メダルを獲得する張小平に、ヘビー級(91kg)で挑んだ2012ロンドンでもやはり金メダルに輝くオレクサンデル・ウシクに敗れてしまう。
前年の世界選手権でも敗れたウシクは、まさに天敵でした。
そして、2013年。プロ転向を決意、より良い環境を求めてカナダへ移住。
プロではライトヘビー級、175ポンド(79.38kg)とアマチュア時代から10kg以上も絞り込んだクラスで世界を狙うことになリました。
一方で、同じ2013年にプロデビューしたウシクはナチュラルにクルーザー級、200ポンド(90.72kg)を選択、いまはアマチュアでスーパーヘビー級にあたるUnlimited、体重無制限で戦っています。
ウクライナ人のウシクと、チェチェンの血が流れるカナダ人ベテルビエフ。2人が目指すのはそれぞれのクラスのUndisputed champion。
ウシクは来月、タイソン・フューリーを下すと全てのタイトルをコンプリート。
ベテルビエフも今週末のカラム・スミス戦をクリアすると、年内にもドミトリー・ビボルとの無敗のPFPファイター対決となるndisputed championshipにコマを進める可能性が膨らんできます。
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