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ボクシングも偉そうなことは言えませんが、キックボクシングは分断を繰り返し「財産」と呼べるような歴史や格式を築くことができないまま、今に至っています。
1960年代に〝誕生〟したキックボクシングは、昭和から平成、令和と約70年の歳月を生き残ってきました。
沢村忠の時代は複数の民放がゴールデンタイムにレギュラー番組を持ち、魔裟斗はボクシングの世界チャンピオンよりも広く名前が知られた存在、那須川天心は武尊と日本人で初めて東京ドームでメインを張る格闘技選手になりました。
しかし、沢村と魔裟斗、天心の時代は分断され、脈々と受け継がれた歴史はありません。
天心から魔裟斗や沢村を辿ることはできません。

キックには〝ベーブ・ルース〟も、〝ジャック・デンプシー〟や〝モハメド・アリ〟も存在しないのです。
ボクシングでは、バンタム級の井上尚弥は118ポンド、それは山中慎介や長谷川穂積はもちろん、昭和の奥深くまで辿っても同じ118ポンド、グローブの重さこそ6オンスから8オンスになっただけで、ルールもほとんど変わりません。
とはいえ、歴史は、教科書の紙のインクのシミではありません。もし、歴史の人が、つまり伝説がまだ生きているのなら、その声が伝承になるのです。
野球や将棋のように、同じ舞台が地続きで伝承されている競技では、最近でも王貞治が村上宗隆を、羽生善治が藤井聡太を瑞々しい言葉で饒舌に絶賛しました。
私たちが、そこから受けた感銘の主成分は、潔い敗北宣言などではなく、改めて思い知らされる彼らの偉大さでした。
もし、彼らが後輩の快挙に対してほとんど何も語らなかったとしたら、ファンにとってそれほど残念なことはありません。
悲しい哉、キックボクシングには「地続きの同じ舞台」がありません。
しかし、ボクシングにはそれがあるというのに。
というわけで、というわけで。
ボクシングも偉そうなことは言えませんが、キックボクシングは分断を繰り返し「財産」と呼べるような歴史や格式を築くことができないまま、今に至っています。
1960年代に〝誕生〟したキックボクシングは、昭和から平成、令和と約70年の歳月を生き残ってきました。
沢村忠の時代は複数の民放がゴールデンタイムにレギュラー番組を持ち、魔裟斗はボクシングの世界チャンピオンよりも広く名前が知られた存在、那須川天心は武尊と日本人で初めて東京ドームでメインを張る格闘技選手になりました。
しかし、沢村と魔裟斗、天心の時代は分断され、脈々と受け継がれた歴史はありません。
天心から魔裟斗や沢村を辿ることはできません。

キックには〝ベーブ・ルース〟も、〝ジャック・デンプシー〟や〝モハメド・アリ〟も存在しないのです。
ボクシングでは、バンタム級の井上尚弥は118ポンド、それは山中慎介や長谷川穂積はもちろん、昭和の奥深くまで辿っても同じ118ポンド、グローブの重さこそ6オンスから8オンスになっただけで、ルールもほとんど変わりません。
とはいえ、歴史は、教科書の紙のインクのシミではありません。もし、歴史の人が、つまり伝説がまだ生きているのなら、その声が伝承になるのです。
野球や将棋のように、同じ舞台が地続きで伝承されている競技では、最近でも王貞治が村上宗隆を、羽生善治が藤井聡太を瑞々しい言葉で饒舌に絶賛しました。
私たちが、そこから受けた感銘の主成分は、潔い敗北宣言などではなく、改めて思い知らされる彼らの偉大さでした。
もし、彼らが後輩の快挙に対してほとんど何も語らなかったとしたら、ファンにとってそれほど残念なことはありません。
悲しい哉、キックボクシングには「地続きの同じ舞台」がありません。
しかし、ボクシングにはそれがあるというのに。
というわけで、というわけで。
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