結婚退職する部下のオフィシャル送別会に先乗りして1人飲み。
付き合ってる彼氏がいることは何年も前から聞いてたし、プロポーズされて結婚するかどうか迷ってることもずっと前から聞かされてたし、酔っ払って「私っていい奥さん、いいお母さんになれそうな気がする」と独り言つのも何度か聞いたし…。
3ヶ月ほど前に「お知らせしたいことがあります」とあらためて告げられたとき、「結婚すんねやろ」と言うと、彼女は悪びれもせずに「えー、どうしてわかったんですか!」と大袈裟に驚いてみせるから、私は「どんな茶番や」とちょっと寂しそうに笑うしかありませんでした。
…こんな話じゃない、「あれ以上の物語」でした…。

本文とは関係ありません。
沢木耕太郎が語った「あれ(WBC)以上の物語があるとしたら、ボクシングではないか」。
前記事で、ななしさんが他のスポーツ例を挙げてコメントを寄せてくれたように、沢木の言葉はボクシングファンであることが前提で、そうでなければアリやフォアマンなんて、どうでもいいことです。
ボクサーでも「あんなの八百長」と決めつけていた輪島功一は、あの試合を「物語」として見ることができなかったのかもしれません。
いや…。あの試合を輪島が、いくらなんでも出来すぎている、という意味で「あんなの八百長」と感じたのだとしたら、輪島の中でもあの試合は物語としての輪郭をはっきりと形成していたということになります。
そして、沢木にとっては、何度も作品にした、その輪島功一と柳済斗の再戦もまた物語だったはずです。
銀行に立てこもった強盗犯に警察官が「お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習って人生をやり直せ」と説得するエピソードなんて、現代では考えられません。
それほど、あの試合が国民的関心事だったということです。
1970年代のボクシング世界王者のステイタスは、現在では考えられないステージにあったと考えて差し支えないはずです。
もっとわかりやすく言うと、ボクシングの世界チャンピオンとは、あらゆるプロスポーツの頂点でした。
それにしても「輪島を見習って人生をやり直せ」と叫んだ警察官は、よくよく考えてみると輪島に相当失礼な気もしますが、まぁ素晴らしいエピソードには違いありません。
輪島を知らない私にとっての物語は、辰吉丈一郎vsシリモンコン・ナコントンパークビュー、あるいはマニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤになるのかもしれませんが、辰吉もパッキャオもすでに国民的関心事でも、ボクシングを超えて世界的に注目される試合でもありませんでした。
翻って現代。物語を紡げるボクサーはどこかにいるでしょうか?
井上尚弥、井岡一翔、寺地拳四朗…彼らには、輪島や辰吉のように、一度堕ちたヒーローが、圧倒的不利予想のリングで、不死鳥の如く蘇る物語を、ここまでのところ紡ぐことは出来ていません。
また、未来を展望しても、パッキャオのように軽量級から這い上がり、人気階級のピッグネーム狩りで大暴れすることも、彼らにはおそらく出来ないでしょう。
現状のタイソン・フューリーがアリの物語に近寄ることが出来ないのと、同じです。
それでも、もし…。彼らが物語を紡げるとしたら、どんな展開が考えられるでしょうか?
井上がガーボンタ・デービスに痛烈にKO負け。そこから、すでにデービスをタコ殴りしてストップしているテレンス・クロフォードに、フルハウスのT-Mobileアリーナで挑戦、奇跡的な勝利を収める…。
…それだと、いくらなんでも、あまりにも飛躍しすぎですか?

それならば…那須川天心なら?
社会的ステータスという観点からはスポーツと認められていないキックボクシングから〝這い上がり〟ボクシングの世界王者に成り上がる。
アントニオ猪木がプロレスのロジックを使ってしか出来なかったことを、那須川は正面玄関から威風堂々と上がり込んで挑戦しようとしています。
それは、欧米で関心が低い軽量級をスタート地点に、文句無しの人気階級、文句無しのスター選手を鮮やかに斬り落としたパッキャオに通じるところもありますが、天心は軽量級どころかキックを起点にしていることから、そこだけを見るなら「パッキャオ以上の下剋上」と断じても良いかもしれません。
そして、物語として最も重要な対戦相手は、いまのところ一人しか見えてきません。
もちろん、それはモンスターが焼け野原にしたバンタム級のキズモノ穴王者たちではあり得ません。
その〝火元〟です。
軽量級ならどんなクラスでも焼け野原にしてしまう、そんな恐るべき火炎の中に飛び込んでゆく元キックボクサー…。
物語はもうすでに始まっているのかもしれません。
これも他のシリーズ同様、永遠に続きます…。
付き合ってる彼氏がいることは何年も前から聞いてたし、プロポーズされて結婚するかどうか迷ってることもずっと前から聞かされてたし、酔っ払って「私っていい奥さん、いいお母さんになれそうな気がする」と独り言つのも何度か聞いたし…。
3ヶ月ほど前に「お知らせしたいことがあります」とあらためて告げられたとき、「結婚すんねやろ」と言うと、彼女は悪びれもせずに「えー、どうしてわかったんですか!」と大袈裟に驚いてみせるから、私は「どんな茶番や」とちょっと寂しそうに笑うしかありませんでした。
…こんな話じゃない、「あれ以上の物語」でした…。

本文とは関係ありません。
沢木耕太郎が語った「あれ(WBC)以上の物語があるとしたら、ボクシングではないか」。
前記事で、ななしさんが他のスポーツ例を挙げてコメントを寄せてくれたように、沢木の言葉はボクシングファンであることが前提で、そうでなければアリやフォアマンなんて、どうでもいいことです。
ボクサーでも「あんなの八百長」と決めつけていた輪島功一は、あの試合を「物語」として見ることができなかったのかもしれません。
いや…。あの試合を輪島が、いくらなんでも出来すぎている、という意味で「あんなの八百長」と感じたのだとしたら、輪島の中でもあの試合は物語としての輪郭をはっきりと形成していたということになります。
そして、沢木にとっては、何度も作品にした、その輪島功一と柳済斗の再戦もまた物語だったはずです。
銀行に立てこもった強盗犯に警察官が「お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習って人生をやり直せ」と説得するエピソードなんて、現代では考えられません。
それほど、あの試合が国民的関心事だったということです。
1970年代のボクシング世界王者のステイタスは、現在では考えられないステージにあったと考えて差し支えないはずです。
もっとわかりやすく言うと、ボクシングの世界チャンピオンとは、あらゆるプロスポーツの頂点でした。
それにしても「輪島を見習って人生をやり直せ」と叫んだ警察官は、よくよく考えてみると輪島に相当失礼な気もしますが、まぁ素晴らしいエピソードには違いありません。
輪島を知らない私にとっての物語は、辰吉丈一郎vsシリモンコン・ナコントンパークビュー、あるいはマニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤになるのかもしれませんが、辰吉もパッキャオもすでに国民的関心事でも、ボクシングを超えて世界的に注目される試合でもありませんでした。
翻って現代。物語を紡げるボクサーはどこかにいるでしょうか?
井上尚弥、井岡一翔、寺地拳四朗…彼らには、輪島や辰吉のように、一度堕ちたヒーローが、圧倒的不利予想のリングで、不死鳥の如く蘇る物語を、ここまでのところ紡ぐことは出来ていません。
また、未来を展望しても、パッキャオのように軽量級から這い上がり、人気階級のピッグネーム狩りで大暴れすることも、彼らにはおそらく出来ないでしょう。
現状のタイソン・フューリーがアリの物語に近寄ることが出来ないのと、同じです。
それでも、もし…。彼らが物語を紡げるとしたら、どんな展開が考えられるでしょうか?
井上がガーボンタ・デービスに痛烈にKO負け。そこから、すでにデービスをタコ殴りしてストップしているテレンス・クロフォードに、フルハウスのT-Mobileアリーナで挑戦、奇跡的な勝利を収める…。
…それだと、いくらなんでも、あまりにも飛躍しすぎですか?

それならば…那須川天心なら?
社会的ステータスという観点からはスポーツと認められていないキックボクシングから〝這い上がり〟ボクシングの世界王者に成り上がる。
アントニオ猪木がプロレスのロジックを使ってしか出来なかったことを、那須川は正面玄関から威風堂々と上がり込んで挑戦しようとしています。
それは、欧米で関心が低い軽量級をスタート地点に、文句無しの人気階級、文句無しのスター選手を鮮やかに斬り落としたパッキャオに通じるところもありますが、天心は軽量級どころかキックを起点にしていることから、そこだけを見るなら「パッキャオ以上の下剋上」と断じても良いかもしれません。
そして、物語として最も重要な対戦相手は、いまのところ一人しか見えてきません。
もちろん、それはモンスターが焼け野原にしたバンタム級のキズモノ穴王者たちではあり得ません。
その〝火元〟です。
軽量級ならどんなクラスでも焼け野原にしてしまう、そんな恐るべき火炎の中に飛び込んでゆく元キックボクサー…。
物語はもうすでに始まっているのかもしれません。
これも他のシリーズ同様、永遠に続きます…。
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