Number WEBの記事から、あの〝事件〟を思い出して…。

馬淵史郎、67歳。明徳義塾監督。
甲子園を敵に回したという点において、彼ほど派手に立ち回った男は他にいません。
1992年の夏。松井秀喜を5打席連続敬遠したあの事件は、野球もスポーツも超えた社会問題でした。
あれから、もう、31年も経ちましたか…。
当時、私は社会人になって間もない頃でした。
この〝事件〟は会社や、まだちょくちょく顔を出していた大学、私の身の回りでも本当に大きな話題になりました。
この〝事件〟は「大谷翔平、すげぇな」という受け身ではない「この問題をどう解くか?」という能動的な問題という点で、よくある酒の肴的なスポーツの話題とは一線を画していました。
とどのつまりは「是か非か?」。
当時は、圧倒的大多数が「非」と断じましたが、私は「馬淵監督とは、勝利のみを神にいただく一神教の敬虔な信者だ」と考えた、数少ない「是」の立場でした。
もちろん、これは「正しいか、間違っているのかの問題」ではなく、受け入れることが出来るか(是)、それとも受け入れることが出来ないか(非)」という、「スポーツ感の問題」でした。
「正しいか、間違っているのかの問題」なら、ここまで大きな議論を巻き起こすことはなかったはずです。
また、この〝事件〟が「甲子園」という、現実はどうあれ、最も純粋無垢と妄想される〝桃源郷〟で起こったことも強くて高い波風が立った理由でした。
まず、大前提として馬淵史郎は、ルールを破ったわけではありません。
もし、日大のアメフト部のように、監督やコーチがルールを破る指示を出したのなら、単純明快、簡単な話で終わっていたはずです。
しかし、この〝事件〟のテーマは「スポーツ感」です。
「ルールの範囲内で勝利をひたすら追求すること」の是非をどう考えるのか、をスポーツファンのみならず多くの人が突きつけられたのでした。
「美しく敗れることを恥と思うな。無様に勝つことを恥と思え」。…そう豪語したヨハン・クライフと対極にあるのが、勝利のみを唯一神と崇める、一神教を信奉する馬淵でした。
馬淵は「無様な勝利などない、勝利は全て美しい」と確信しているはずです。
そして、よくよく思い巡らせると、クライフのような傲慢な哲学はプロだから許される、と考えることが出来るのかもしれません。
一神教に殉じることが出来るのは、汚れなき若者だけ、というのもまた一つの真理です。
もちろん「高校生」というキーワードでくくったとき、松井秀喜よりも過酷な思いをしたのは明徳義塾の投手であり、星稜の五番打者でした。彼らの気持ちを考えると、どうしても「非」の暗色が濃くなります。
しかし、今一度、甲子園が「最も純粋無垢と妄想される桃源郷」であることに立ち返ると…。
各都道府県代表という羊頭と、東北の多くの強豪校では大阪弁が共通語という狗肉。高校総体を無視して、灼熱地獄で繰り広げられる朝日新聞主催の摩訶不思議な〝虐待大会〟は、プロ野球界の視点からは〝奴隷市場〟の側面も持っています。
強豪校や、有名選手がメーカーから用具の提供を受けるのは他のスポーツでも変わりませんが、プロ球団からあからさまな経済援助を受けるケースも最近までありました。
極論すると、甲子園とは「高校生」でくくってはいけない、高校総体とは全く別の複雑怪奇な〝桃源郷〟なのです。
清濁併せ呑むというには、あまりにも濁流の激しさが目立つ甲子園というムーブメントの中で、勝利のみをひたすら追求するどこまでも尖った姿勢は、甲子園という魔宮の中に、繊細で、しかし峻烈に流れる一筋の清流だったのではないでしょうか?
この〝事件〟が大きな議論を呼んだのは、正しいか?間違っているのか?ではない、それぞれの人の物事の見方の問題であったこと、そして、それが醜い濁流に見えた人と、澄み切った清流に見えた人がいたこと、そのあまりにも両極端な構図、どちらが正しいとか間違ってるとかという問題も超えた〝スポーツ相対性理論〟の色彩を滲ませているからでしょう。
もう一度、31年前に戻ることが出来ても、馬淵史郎が別の選択をすることはないと断言できます。
敬虔な一神教の信者、過激な原理主義者というのは、一般的な社会ではお付き合いするのが非常に難しい人々です。
しかし、ことスポーツの世界となると極原色の濃さを一方的に突き詰める彼らほど面白い存在はありません。
ヨハン・クライフもまた「美しく勝つ」という唯一神に心酔した原理主義者です。もし、クライフと馬淵が対談したなら、全く立場が違うはずの両者は100%理解し合うでしょう。
「This is The Way.彼らの掟、彼らの教義、彼らの生き方。」 唯一神に身を捧げた一神教の原理主義者たちが輝いて見えるのは、私たちがどの神も信じ切ることの出来ない、か弱き迷える多神教者だからです。
This is The Way.まだまだ続きます。

馬淵史郎、67歳。明徳義塾監督。
甲子園を敵に回したという点において、彼ほど派手に立ち回った男は他にいません。
1992年の夏。松井秀喜を5打席連続敬遠したあの事件は、野球もスポーツも超えた社会問題でした。
あれから、もう、31年も経ちましたか…。
当時、私は社会人になって間もない頃でした。
この〝事件〟は会社や、まだちょくちょく顔を出していた大学、私の身の回りでも本当に大きな話題になりました。
この〝事件〟は「大谷翔平、すげぇな」という受け身ではない「この問題をどう解くか?」という能動的な問題という点で、よくある酒の肴的なスポーツの話題とは一線を画していました。
とどのつまりは「是か非か?」。
当時は、圧倒的大多数が「非」と断じましたが、私は「馬淵監督とは、勝利のみを神にいただく一神教の敬虔な信者だ」と考えた、数少ない「是」の立場でした。
もちろん、これは「正しいか、間違っているのかの問題」ではなく、受け入れることが出来るか(是)、それとも受け入れることが出来ないか(非)」という、「スポーツ感の問題」でした。
「正しいか、間違っているのかの問題」なら、ここまで大きな議論を巻き起こすことはなかったはずです。
また、この〝事件〟が「甲子園」という、現実はどうあれ、最も純粋無垢と妄想される〝桃源郷〟で起こったことも強くて高い波風が立った理由でした。
まず、大前提として馬淵史郎は、ルールを破ったわけではありません。
もし、日大のアメフト部のように、監督やコーチがルールを破る指示を出したのなら、単純明快、簡単な話で終わっていたはずです。
しかし、この〝事件〟のテーマは「スポーツ感」です。
「ルールの範囲内で勝利をひたすら追求すること」の是非をどう考えるのか、をスポーツファンのみならず多くの人が突きつけられたのでした。
「美しく敗れることを恥と思うな。無様に勝つことを恥と思え」。…そう豪語したヨハン・クライフと対極にあるのが、勝利のみを唯一神と崇める、一神教を信奉する馬淵でした。
馬淵は「無様な勝利などない、勝利は全て美しい」と確信しているはずです。
そして、よくよく思い巡らせると、クライフのような傲慢な哲学はプロだから許される、と考えることが出来るのかもしれません。
一神教に殉じることが出来るのは、汚れなき若者だけ、というのもまた一つの真理です。
もちろん「高校生」というキーワードでくくったとき、松井秀喜よりも過酷な思いをしたのは明徳義塾の投手であり、星稜の五番打者でした。彼らの気持ちを考えると、どうしても「非」の暗色が濃くなります。
しかし、今一度、甲子園が「最も純粋無垢と妄想される桃源郷」であることに立ち返ると…。
各都道府県代表という羊頭と、東北の多くの強豪校では大阪弁が共通語という狗肉。高校総体を無視して、灼熱地獄で繰り広げられる朝日新聞主催の摩訶不思議な〝虐待大会〟は、プロ野球界の視点からは〝奴隷市場〟の側面も持っています。
強豪校や、有名選手がメーカーから用具の提供を受けるのは他のスポーツでも変わりませんが、プロ球団からあからさまな経済援助を受けるケースも最近までありました。
極論すると、甲子園とは「高校生」でくくってはいけない、高校総体とは全く別の複雑怪奇な〝桃源郷〟なのです。
清濁併せ呑むというには、あまりにも濁流の激しさが目立つ甲子園というムーブメントの中で、勝利のみをひたすら追求するどこまでも尖った姿勢は、甲子園という魔宮の中に、繊細で、しかし峻烈に流れる一筋の清流だったのではないでしょうか?
この〝事件〟が大きな議論を呼んだのは、正しいか?間違っているのか?ではない、それぞれの人の物事の見方の問題であったこと、そして、それが醜い濁流に見えた人と、澄み切った清流に見えた人がいたこと、そのあまりにも両極端な構図、どちらが正しいとか間違ってるとかという問題も超えた〝スポーツ相対性理論〟の色彩を滲ませているからでしょう。
もう一度、31年前に戻ることが出来ても、馬淵史郎が別の選択をすることはないと断言できます。
敬虔な一神教の信者、過激な原理主義者というのは、一般的な社会ではお付き合いするのが非常に難しい人々です。
しかし、ことスポーツの世界となると極原色の濃さを一方的に突き詰める彼らほど面白い存在はありません。
ヨハン・クライフもまた「美しく勝つ」という唯一神に心酔した原理主義者です。もし、クライフと馬淵が対談したなら、全く立場が違うはずの両者は100%理解し合うでしょう。
「This is The Way.彼らの掟、彼らの教義、彼らの生き方。」 唯一神に身を捧げた一神教の原理主義者たちが輝いて見えるのは、私たちがどの神も信じ切ることの出来ない、か弱き迷える多神教者だからです。
This is The Way.まだまだ続きます。
コメント
コメント一覧 (13)
フシ穴の眼
が
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正々堂々と騙し合いをしましょうと試合前に礼をする
何が問題なんだ?
フシ穴の眼
が
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松井も伝説になりましたし。
ボクシングでメキシカンが逃げ回るみたいな事ですか??
フシ穴の眼
が
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フシ穴の眼
が
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高校総体に関しては、アレはアレで日程が高野連以上に無茶苦茶だという真っ当な指摘があまりにも少ないのは、「良識があると思われたい方々」は甘い汁のないところは叩かないのだなと改めて思います。高体連叩いても、美味しい思いは出来ないですから。
フシ穴の眼
が
しました
明徳義塾監督のNumberの記事を見て、漫画【キャプテン】の青葉の監督を思い出しました。青葉の監督はルールブックに記載が無いということで選手交代を次々させてました。敬遠策ではないですけど最終的には監督と選手の思いが違いエースの佐野が勝負をしましたけど。(リアルと漫画と同じように感じるのは、大変失礼な話で申し訳ないですけど)
話が変わり恐縮ですが、推しの高校が敗退したので感じた事ですが、タイブレーク開始時、打順が1番からと7番からでは、どうも釈然としないんですよね。(応援しているチームがどちら側だったとしても)
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
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